アルゼンチンの赤ワイン「ロ・タンゴ・マルベック(LO TENGO MALBEC)2023」
創業120年のアルゼンチンを代表するワイナリー、ボデガ・ノートンの赤ワイン。
「タンゴ」を踊る美しいラベルで知られる。
アルゼンチンの代表品種であるマルベック100%で、柔らかな口当たり。
ワインの友で観たのは、U-NEXTで配信中のアメリカ映画「キートンの大列車追跡」。
1926年のサイレント(無声映画)作品。
原題「THE GENERAL」
監督バスター・キートン、クライド・ブラックマン、出演・バスター・キートン、マリアン・マック、グレン・キャベンダー、ジム・ファーレイほか。
喜劇王バスター・キートンの製作・監督・主演による南北戦争時代のアメリカで実際に起きた列車強奪事件をモチーフに描いたアクション喜劇。
ちょうど100年前の映画だが、古さをまるで感じさせない、今でもアクション映画として十分どころか、十二分に楽しめる作品で、トム・クルーズも顔負けの出来ばえ。
ジョニー・グレイ(バスター・キートン)は、彼の運転する機関車「将軍(ジェネラル)号」と、恋人のアナベル(マリアン・マック)をこよなく愛するジョージア州のウェスタン・アンド・アトランティック鉄道の機関士。南北戦争が始まるとジョージア州は南部連合に加わり、ジョニーも意気揚々と南軍に志願するが、機関士という貴重な職業から入隊を認められない。本人は入隊を認められなかった理由を知らないまま家に帰ると、志願しなかったと誤解されて回りからは南部の恥といわれ、アナベルからも「口も聞きたくない」と愛想を尽かされてしまう。
落胆したジョニーだったが、ある日、将軍号が北軍スパイに奪われる事件が起きる。しかもその荷物車にはアナベルが乗っていた。別の機関車で将軍号を追うジョニーだったが、知らぬ間に北軍の真っただ中に入り込んでしまい・・・。
南北戦争中の1862年に実際に起きた北軍による列車強奪事件のノンフィクション本をもとに、バスター・キートンがつくった超大作無声アクション喜劇。
原作は北軍の視点で書かれているが、キートンは機関車を奪われた南軍の機関士の視点から脚色し、本物の蒸気機関車2台が追いつ追われつチェイスを繰り広げるエキサイティングな戦争喜劇に仕上げた。
超人的な身体能力を持つバスター・キートンの真骨頂といえるような作品。CGなんてない時代、体を張っての演技が凄まじい。
恋人のアナベルを乗せたまま北軍の兵士に奪われてしまった将軍号を追う追跡劇と、アナベルと将軍号を取り返し、北軍の兵士から逃げる逃亡劇で、人間より機関車が主役といえるような映画だが、キートンは勇猛果敢なヒーローとして大活躍。
列車が橋に差しかかり、爆発によって橋が崩れ落ちて列車が川に落下するシーンなんか、いまだったらCGで簡単に撮っちゃうだろうが、本物の列車を使って撮影している。それだけに臨場感、スケール感は半端ないが、このシーンの1ショットに4万2000ドルかかったそうで、サイレント映画史上最もお金のかかったショットだとか。
ただし、本作は公開当時の評判はあまりよくなかったらしい。
南北戦争は奴隷解放を掲げた北軍の勝利に終わったが、南軍の視点で北軍を敵として描いていること(原作が北軍寄りであるのにもかかわらず)、国を二分した内戦(Civil War)を笑いのタネにしていることに、反応が冷やかだったのかもしれない。
このためもあってか、当初はアメリカと日本で同じ時期に公開される予定だったらしいが、まず日本で1926年(昭和元年)12月31日に東京の帝国館、目黒キネマ、京都松竹座、神戸キネマ倶楽部4館で公開され、アメリカで公開されたのは翌年の1927年2月8日。
当初の予定では1月22日にニューヨークのキャピトル劇場で初公開しようとしたところ、その前にキャピトル劇場で上映中のジョン・ギルバート、グレタ・ガルボ共演の「肉体の悪魔」が大ヒットによりロングランとなり、初公開が延期された。
ということは「キートンの大列車追跡」の世界初公開に日本だったことになる。
キャピトル劇場での上映は1週間で終わり、最終的には製作費75万ドルに対してアメリカ国内での興行収入は47万4264ドルだったという。
日本での評価もイマイチで、公開翌年の1927年度(昭和2年度)のキネマ旬報ベストテンでは、外国映画の1位が「第七天国」1000票以上だったのに、本作はわずか15票でベストテンどころか48位。
ちなみに前年の1926年度のキネ旬ベストテンでは外国映画の1位がチャップリンの「黄金狂時代」だった。キートン作品では、その前年の1925年度のキネ旬ベストテンで「荒武者キートン」が8位に入っていた。
ついでにその前に観た映画。
このところ溝口健二監督の映画を連日のように観ていて、U-NEXTで配信中の日本映画「祇園囃子」。
1953年の作品。
監督/溝口健二、脚本/依田義賢、撮影/宮川一夫、出演/木暮実千代、若尾文子、進藤英太郎、河津清三郎、菅井一郎、田中春男、小柴幹治、浪花千栄子ほか。
川口松太郎の原作をもとに描いた京都の花街・祇園に生きる女性たちと欲望丸出しの男たちをめぐる人間ドラマ。
祇園の芸妓美代春(木暮実千代)のところに、舞妓志願の少女栄子(若尾文子)がやってくる。栄子は美代春も旧知のメリヤス問屋沢本(進藤英太郎)の2号の娘だったが、沢本は零落し、体調も崩していた。祇園で働きたいという栄子の健気な言葉に、美代春は育て上げることを決心する。
それから1年がたち、栄子は舞妓として座敷に出るようになる。持ち前の美貌と現代っ子らしい陽気な気性の栄子は、たちまち祇園の売れっ子となっていく。
そんな栄子に食指を動かし始めたのが車輛会社の専務楠田(河津清三郎)であり、一方、楠田の仕事の発注先である官庁の課長神崎(小柴幹治)もまた、美代春に色目を使っていた。
楠田は、日ごろから役人接待の場所として祇園を使っていて、大型事業の発注を得るために美代春を神崎と一夜をともにさせようと画策。自分もまた、栄子をわがものにしようとするが・・・。
祇園はもともと遊里だった。といっても江戸時代の京都で公認の遊里といえば島原だったから、祇園は江戸でいったら深川、品川のような非官許の岡場所だった。
祇園が現在のような一見さんお断りの高級料亭街になったのは明治時代以降で、政府の役人とか政治家などが利用するようになってからといわれる。
戦後になって売春禁止法が施行され、遊里は「花街」と呼ばれるようになったが、依然として女性が体を売るのは当たり前とする“文化”は残されたのだろう。
本作で描かれるのは、華やかな世界の裏側で、旧態依然として“セックス接待”に苦しめられる女性たちの悲しい運命を描いている。
成熟した女性を演じる木暮実千代は大人の魅力とととも女性の悲哀を見事に表現し、強気に生きようとしながらも男たちの欲望と権力に徐々に屈伏していく姿が悲しかった。
一方の舞妓役の若尾文子は本作のとき20歳になったばかりぐらい。銀幕デビューから間もなく、花街のしきたりに無頓着なまま、ときに労働者の権利を口にしたりして、自由奔放に振る舞う妹分のような役で、はつらつと演技していた。
映画の終わり方が溝口監督らしい。
本作を観る前に、成瀬巳喜男監督の「乱れ雲」(1967年)を観たが、司葉子と加山雄三が共演し、交通事故で夫を亡くした女性と事故の加害者である青年とが、愛憎入り混じった許されない間柄でありながらも惹かれ合い、結局は結ばれないまま別離のときを迎える映画だった。
溝口監督の本作も、結局はやるせない結末で終わるが、その中でも、固い絆で結ばれた2人が前を向いて懸命に生きようとする姿を映し出している。
時代は変わっていくという予感を感じさせる終わり方だった。