善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「不死身の保安官」「大逆転」他

ふだんは日本酒だが、たまに飲むワイン。

きのう飲んだのはイタリア・プーリアの赤ワイン「ネプリカ・プリミティーヴォ(NEPRICA PRIMITIVO)2021」

(写真はこのあと牛ステーキ)

1385年にトスカーナで創設されたイタリアの老舗ワイナリー・アンティノリが、イタリア南部のアドリア海に面するプーリア州で手がけるワイン。

プーリア州の代表的なブドウ品種プリミティーヴォ100%。

ブルーベリーと木イチゴの香味豊かな口当たりよい上品さが魅力だとかで、ほどよい渋みと酸味によるバランスのとれた飲み心地。

 

ワインの友で観たのは、NHKBSで放送していたイギリス・アメリカ合作の映画「不死身の保安官」。

1958年の作品。

原題「THE SHERIFF OF FRACTURED JAW」

監督ラオール・ウォルシュ、出演ケネス・モア、ジェーン・マンスフィールド、ヘンリー・ハルほか。

19世紀のなかば。イギリスの上流階級で伯父の銃器販売を手伝っているジョナサン(ケネス・モア)は、商売よりも発明が大好きの天然男。今も、馬のない馬車の発明に躍起になっているが、真面目に仕事をしないと勘当といわれて、販路拡大のためアメリカ西部に出かけていく。

途中、インディアン(先住民)の酋長と仲よくなったりして、たどり着いたのは、2つの牧場が対立する無法の町。彼の会社の発明品の秘密兵器(スリーブガンと呼ばれる袖に仕込んだ小型拳銃デリンジャー)で酔っぱらいをやっつけたことから凄腕のガンマンと間違えられ、町長から保安官に任命されてしまう。

さらに、酒場のセクシーな女主人ケイト(ジェーン・マンスフィールド)にも気に入られ・・・。

 

ジェームズ・ギャグニー主演のギャング映画「白熱」やゲーリー・クーパー主演の歴史映画「遠い太鼓」のほか、西部劇やミュージカルなども手がけたラオール・ウォルシュ監督によるコメディ西部劇。彼はいろんなジャンルを手がける“職人監督”といわれ、こんなお気楽映画もつくっていた。

原題の「THE SHERIFF OF FRACTURED JAW」とは、直訳すれば「骨折した顎の保安官」となり、何のこっちゃ?それで邦題も顎の骨が砕けても頑張る保安官というので「不死身の保安官」としたのか?と思ったら、「FRACTURED JAW」とは地名で、「フラクチャード・ジョーという名の町の保安官」というのが題名。

 

ヒロインのジェーン・マンスフィールドはこの映画のとき25歳で、ハリウッドデビューから5作目目の主演作品。マリリン・モンローとともに“セックス・シンボル”といわれた人で、いわゆる「ブロンドの悩殺美女(ちなみにスリーサイズは102・53・89㎝だったとか)」として人気だったが、34歳のときに交通事故で亡くなっている。

映画の中でのマンスフィールドの歌と踊りを見るとそのウェストの細さに目を見張る。しかし、歌ってる声は彼女の声ではなく、実際にはコニー・フランシスが歌っていたのだが、クレジットに彼女の名はなかった。

この映画のときのコニー・フランシスは歌手デビューしたばかりの20歳。まだ下積みの時代で、映画の歌唱シーンでの吹き替えを担当していたようだが、やがてポップスの女王になる。日本でも人気絶大で、「ヴァケイション」とか「可愛いベイビー」など日本語カバーの曲も多い。

本作はロケ地がアメリカの西部ではなく、スペインの荒れ地で撮影された点でも先駆的だった。この映画から刺激を受けたのか、60年代に入ってマカロニウエスタンがスペインで撮影されるようになる。

 

袖(スリーブ)の下に隠したスリーブガンが登場しているのも先駆的といえるかもしれない。マーティン・スコセッシ監督の「タクシードライバー」(1976年)とかクエンティン・タランティーノ監督の「ジャンゴ 繋がれざる者」なんかでもスリーブガンが登場しているが、ひょっとして本作からヒントを得たのかも?

映画の最後では、ジョナサンとケイトがめでたく結婚し、花嫁の父親代わりとしてインディアンの酋長が結婚式に参列して、人種なんて関係ないよ、と大団円になるところがいい。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のBSで放送していたアメリカ映画「大逆転」。

1983年の作品。

原題「TRADING PLACES」

監督ジョン・ランディス、出演ダン・エイクロイドエディ・マーフィ、ラルフ・ベラミー、ドン・アメチ、ジェイミー・リー・力ーティスほか。

 

大富豪の非人間的ないたずらで天国と地獄を味わった2人の男が、大富豪に復讐するまでを描く痛快コメディ。

商品先物会社を経営する大金持ちの兄ランドルフ(ラルフ・ベラミー)と弟モーティマー(ドン・アメチ)のデューク兄弟は、「黒ん坊は生まれついての犯罪者」、「あんな黒ん坊に会社を任せられない」と発言する人種差別主義者。

その2人が「人間、出世するのは血統か環境か」で意見が別れ、社内で指折りのエリートでハーバード大学出身のウィンソープ(ダン・エイクロイド)と、ホラ吹きの黒人ホームレスのバレンタイン(エディ・マーフィ)の立場をすり替えてどんな結果になるか、1ドルで賭けを始める。

ウィンソープは会社をクビになり、婚約者に見捨てられ、帰る家も失い、娼婦の家に転がり込む。一方、バレンタインは拘置所にいるところをデューク兄弟に保釈金を払ってもらい、デューク兄弟の会社に入社してウィンソープの後釜に就き、独特の相場観で名をあげていく。

酒におぼれ、デューク兄弟の会社に侵入し人に銃を向けるまでに落ちぶれてしまったウィンソープの姿を見て、賭けの結果を確認したデューク兄弟は、再びウィンソープとバレンタインの立場を入れ替え元に戻そうとするが、偶然真相を立ち聞きしたのがバレンタイン。ウィンソープと2人して、兄弟に復讐を開始する・・・。

 

デューク兄弟がやっているサギまがいの商品先物取引の世界が、いかに濡れ手で粟のあぶくゼニの世界かがよく分かる映画。

彼らは額に汗して働いているわけでも、苦労して何かをつくり出しているわけでもない。ただカネを転がすだけで巨額の富を懐にしようとしていて、だからまた、人間を人間として見ようとしない人種差別主義者であり、貧富の格差は当然という偏屈な保守主義者でもあった。

2人のデスクに敬愛する人物としてニクソンレーガン(いずれも元共和党の大統領)の写真が飾ってあるシーンがあったが、監督の皮肉を込めた演出なのだろう。

ただし、最低だったのが日本語字幕。

本作のキモは、デューク兄弟が人種差別主義者であり、黒人を人間として見ようとしないところから物語が始まっているのに、セリフで「ニグロなんかだめに決まっている」というところを日本語字幕では「ニグロ」ではなく「クズ」などとごまかしている。

いったいだれに、何に忖度してあんな字幕になったのだろうか?

 

民放のBSで放送していた韓国映画「詩人の恋」。

2017年の作品。

原題も同じような意味の韓国語。

監督キム・ヤンヒ、出演ヤン・イクチュン、チョン・ヘジン、チョン・ガラムほか。

 

済州島に生まれ育った30代後半の詩人テッキ(ヤン・イクチュン)は、生計のため小学校で子どもたちに詩作を教えているが給料は安く、妻のガンスン(チョン・ヘジン)が家計を支えている。妻は子どもを望んでいるが、彼は気が乗らない。しかし、ついに産科検診を受けると、精子の数が極端に少なく元気もなさそうな「乏精子症」と診断され、ますます自信を喪失してしまう。

詩も浮かばずに思い悩むテッキは、ある日、港に開店したドーナツ屋で働く美青年セユン(チョン・ガラム)と出会う。セユンのつぶやきをきっかけに新しい詩の世界を広げることができたテッキは、セユンについてもっと知りたいと、接近していくが・・・。

 

セユンは、恵まれない家庭で育ち孤独を抱える青年だった。そんなセユンを“守ってあげたい”という思うようになるテッキ。やがて同情心はときめきに変わっていくのだが、“詩人の恋”であっても“愛”ではないところが、もどかしいというか、物語の落ち着き先として無難というべきか・・・。

桜満開の下 カワセミ愛の劇場

木曜日朝の善福寺公園は曇り。湿っぽい空模様で、帰るころにはポツリ。

 

上池をめぐっていると、池の真ん中のカワセミのオスの文二と三郎のテリトリーの境界付近にオスのカワセミ

ひとりものの三郎だろうか?

 

下池では、ジョウビタキのメスが梢をめぐっていて、やがて去っていった。

すると別のジョウビタキのメスを発見。

以前も2羽いるところを見たが、やはり複数で越冬したみたいだ。

様子をうかがう感じだったから、仲間を探しているのかな?

 

再び上池に戻ると、ハナカイドウが咲き出していた。

ハナカイドウというから「花街道」かというとそうじゃなく、「花海棠」。

もともと中国原産で、この植物が渡来する前にやってきていた「実海棠」と区別するため、花が美しいので「花海棠」と命名された。

ちなみに「海棠」の由来は、「棠」は本来「ノカイドウ(ヤマカイドウ)」を指し、「海棠」が海岸寄りの陸地で見られたので区別するため「海」をつけて、「海棠(カイドウ)」と呼ぶようになったといわれる。

花が垂れた感じで咲くその美しい姿は、唐の玄宗皇帝が酔って眠る楊貴妃をハナカイドウにたとえたように昔から美人の代名詞として使われるほどなんだとか。

 

と、ハナカイドウを愛でたところで、始まったのがカワセミの劇場。

池のほとりでサクラらしいメスのカワセミがピーピー鳴いている。

オスの文二を呼んでいるのか?

するとどこからか文二が飛んできて、いきなり交尾を始めた!

上が羽を広げて雄々しい感じの文二。下がお尻を突き出して文二を迎え入れるサクラ。

桜満開の下、命を育む美しい瞬間だ。

交尾が終わってスッキリした感じのサクラ。

 

文二は近くの枝に。

何してるかと思ったら、交尾のお礼?にサクラにプレゼントするエサをねらっている。

サクラもピーピー鳴いて「早く、早く」と訴えている。

すると、文二がエビをゲットしてきた。

捕らえたのが魚の場合は、エラやトゲがのどに引っかかったりしないように魚の頭を上にしてメスにプレゼントするが、エビは逆に尻尾からあげる。

これも求愛給餌の流儀なのだろう。

栄養をたくさんとって元気な子を産んでおれね、と文二はいってるのか?

背伸びのポーズをしてどこか誇らしげだった。

文二とサクラはきのうも交尾をしていたという。

カワセミは1日に数回交尾し、それが1週間ぐらい続くといわれている。

メスはその間に4~7個ぐらいの卵を産んで、オスとメスが交代で抱卵し、約20日ぐらいで孵化するという。

ヒナの誕生が今から楽しみだなー。

ウグイスが見惚れてる先は・・・

水曜日朝の善福寺公園は快晴。風も弱く暖かい。

きのうの春分の日は、天気もよくて公園で3年ぶりの花見を楽しんだ。

私が所属している地元のミニラジオ放送局「ラジオぱちぱち」のメンバーが集まって、ブルーシートを敷き、それぞれ一品持ち寄りでのサクラの下での宴会の、何て楽しいこと。

ちなみに「ラジオぱちぱち」は学童グラブの父母の有志によりスタートしたもので、来月4月で開局22周年を迎える。

 

さてけさの散歩は、公園に着くなりルリビタキと遭遇。

メスか、あるいは若いオスの可能性もあるが、まだ北に帰らずにいてくれたんだね。

 

足元ではツルニチニチソウが咲き出していた。

ヨーロッパ原産で、観賞用に栽培されたものが野生化したといわれる。

風車のような花の形が愛らしい。

 

上池では、遠くの方に文二らしきオスのカワセミ

 

下池にまわると、ジョウビタキのメス。

ルリビタキ同様、まだ帰らずにいてくれた。

木の枝を転々としながら、地面におりてはエサを探していた。

 

下池を1周して再び上池へ。

茂みの中をいろんな鳥たちが行き交っている。

まず見つけたのがウグイス。

ほかの鳥たちと一緒だと、チャッチャッの地鳴きもしないで、ほかの鳥に紛れるように移動していく。

 

メジロも木の実を探していた。

 

アオジのオスがしきりに鳴いている。

そばにもう1羽、アオジがいた。恋の歌を歌っているのか。

 

続いて現れたのはさきほどのウグイスか。

「今から飛びます、飛びます」っていってるみたい。

首を伸ばした先には赤い実。

視線の先には・・・やっぱり赤い実。

まるで見惚れているようで、ウグイスは赤い実が大好き。

 

ムスカリが咲いていた。

一見するとブドウの房のように見えることから、ブドウヒアシンスの別名もあるという。

原産地は地中海沿岸から西アジアで、日本にやってきたのは比較的最近のようだ。

ムスカリの語源は甘い香りの麝香を意味するムスクからきていて、イラク北部にある約6万年前のネアンデルタール人の遺跡から、埋葬時にムスカリの花を手向けたと考えられる痕跡が発見されたことから、世界最古の献花といわれている。

メスのカワセミが求愛のポーズ?

春分の日の火曜日朝の善福寺公園は曇り。ときおり薄日が差す。

 

公園に着くと、上池の遠くの対岸に2羽のカワセミが近づいてとまっている。

上がメスのサクラで、下はオスの文二のようだ。

鳴き交わしたり、背伸びのポーズをとったりしているが、積極的なのはメスのほう。

夫婦関係は順調にいってるはずだが、ひょっとして文二じゃなくて別のオスか?

見た目ではまるでわからない。

 

池をめぐっていくと、さっきより少し離れた場所に再びサクラと文二らしいカワセミ

今度は左にサクラで、盛んに鳴いて何か訴えている。

とうとうサクラのほうから近くに寄ってきた。

それでも反応がない様子で、しびれを切らしたのかサクラは飛び去っていった。

いったいどーなってるの?

 

下池では、だいぶ開花が進んでいるソメイヨシノメジロの群れが蜜を吸いにやっていていた。

花の中にクチバシをつっこんでチューチュー。

実際にはブラシのようになっている舌の先でなめとってるらしいんだが。

 

お散歩仲間から、とても変わった植物が生えているのを教えてもらった。

ムサシアブミ(武蔵鐙)。

グローブみたいなのが仏炎苞と呼ばれる花だ。

サトイモ科テンテンショウ属の多年草で、関東以西、四国、九州、沖縄に分布するという。

花の形が鐙に似ていて(昔はグローブなんかなかった)、武蔵の国でつくられた鐙が良質であったことからこの名がついたという。

 

公園の隣のお宅の庭でリキュウバイ(利休梅)が咲いていた。

梅と名がつくがウメの仲間ではなく、原産地は中国揚子江下流域で明治末期に日本にやってきたという。

リキュウ(利休)の名の由来は、茶花として広く利用されたからとか、千利休の命日のころに咲くのでこの名がついたなどの説があるそうだ。

千利休の命日は旧暦の2月28日で、新暦では4月21日だが、表千家裏千家では旧暦2月28日の1カ月後を利休忌として、3月27日(表千家)、28日(裏千家)に京都・大徳寺で利休を偲ぶ茶会が営まれる。

 

上池に戻ると、さきほどのメスのカワセミのサクラがオスからもらった魚をくわえているのだが、くわえ方がおかしい。

何と魚の頭を上にしてくわえている。

これはオスがメスに求愛のために魚をプレゼントするときのくわえ方だ。

ふつう、カワセミはとらえた魚を飲み込むとき、魚の頭から飲み込む。こうしたほうがエラとかヒレなどがのどに引っかかったりしないからだ。

逆に求愛給餌でオスがメスに魚を与えるときは、相手が飲み込みやすいようノドのほうに尻尾がきて頭を上にする。

ということは、サクラのくわえ方は相手に魚をプレゼントするときのポーズだ。

サクラはいったい誰に魚をあげようとしているのか、はて?

まさかメスのほうからオスに求愛のポーズ?

まさかヒナが生まれてるわけないし・・・。

少年の心を持つテリー・ギリアム監督の映画づくり

未来世紀ブラジル」「バロン」などで知られるテリー・ギリアム監督の映画を2本、立て続けに観た。

観て思ったのが、子どものころの心を持ち続けることの大切さだった。

子どものころに抱いた夢とか空想とかの、いゆる子ども心。それは大人になったらもう忘れていいものではなく、人間が人間として生きていく上でずっと持ち続けるべきものなのだと、ギリアム監督の映画を見て思ったのだった。

 

まずテレビで観たのが、民放のBSで放送していたイギリス・カナダ合作の映画「Dr.パルナサスの鏡」。

2009年の作品。

原題「THE IMAGINARIUM OF DOCTOR PARNASSUS」

監督テリー・ギリアム、出演クリストファー・プラマーヒース・レジャージョニー・デップジュード・ロウコリン・ファレルリリー・コールほか。

人々の隠れた欲望を形にする魔法の鏡「イマジナリウム」を出し物に一座を率いて旅するパルナサス博士(クリストファー・プラマー)は、かつて一人娘を16歳の誕生日に悪魔に差し出すことを条件に永遠の命を手に入れていて、すでに1000歳を超える年齢となっていた。

娘ヴァレンティナ(リリー・コール)は美しく成長していて、16歳の誕生日まであと3日というとき、博士は彼女に想いを寄せる曲芸師アントン(アンドリュー・ガーフィールド)、新たに一座に加わった青年トニー(ヒース・レジャーほか)とともに、悪魔との最後の賭けに出る。

魔法の鏡の中は摩訶不思議なファンタジーの世界。現実世界と妄想世界を行きつ戻りつの複雑な物語が展開されていく・・・。

 

本作を撮影中に、主役であるトニー役のヒース・レジャーが薬物の過剰摂取により急死してしまうという緊急事態。このとき、ヒース・レジャーの現実世界での登場場面は撮影を終えていたという。そこでギリアム監督は、トニーが鏡の向こうの妄想世界に入り込んだとき同伴した客の希望の顔に変身するというアイデアを思いつき、脚本を書き直す。

代役として出演したのがジョニー・デップジュード・ロウコリン・ファレルといった大物俳優。3人は未撮影場面でのレジャーの役に交代で扮して作品を完成させた上、出演料はレジャーの当時2歳の遺児に寄付したという。

 

鏡の中の妄想世界がファンタジーに満ちていて楽しい。2009年の作品なのでCG技術は発達しているから、当然ほとんどの場面はVFXのはず。しかし、ギリアム監督のCG作品はまるで場末の見世物小屋みたいな手づくり感があって、幻想の世界なんだけどどこかリアリティーがある。

 

そんな彼の作品に惹かれるのはどうしてだろうと思っていたら、翌日、銀座のエルメスビル10階のプライベートシネマ「ル・ステュディオ」で、ギリアム監督の映画づくりをドキュメンタリーで追った映画を観て、その“秘密”の一端がわかった気がした。

 

ギリアム監督は1940年アメリカ生まれの今年82歳。父親はコーヒーの訪問販売員をしていてのちに大工に転職。ギリアム監督は3人きょうだいの長男だったという。大学卒業後はアニメーターとなり、イギリスに渡ってコメディーグループ「モンティ・パイソン」のメンバーとなるが、ここでもテレビ番組でのシュールなアニメーションを担当していたという。

1975年に公開されたモンティ・パイソンによるイギリスのアーサー王伝説をもとにしたパロディ映画が監督としての初仕事。その後、「未来世紀ブラジル」(85年)「バロン」(88年)「12モンキーズ」(96年)「Dr.パルナサスの鏡」(09年)などの作品を発表している。

 

ギリアム監督が長年、映画化したいと願っていたのがドン・キホーテの作品だったという。

彼はドン・キホーテを「夢想家で理想主義者、ロマンティックかつ断固として現実の限界を受け入れようとはしない人物」と見ていて、ドン・キホーテと21世紀の世界からやってきたCM監督とを対峙させる作品を思いつく。

広告業界の人間は夢を売るが、ドン・キホーテは夢を信じる。夢は世界を変える力を持ってい、ドン・キホーテの物語はそんな夢を信じる物語だ」と彼はいう。

ところが、いざ資金を集めて映画製作を始めるが、ロケを開始してわずか数日で撮影ストップ。結局、映画化を断念してしまう。

「ル・ステュディオ」で観たのは、2000年、ギリアム監督がドン・キホーテ物語の映画化に挑み、挫折するまでをとらえたドキュメンタリー映画だ。

題して「ロスト・イン・ラ・マンチャ」。

アメリカ・イギリス合作により2001年の作品。

監督キース・フルトンルイス・ペペ

ギリアム監督が映画化に挑んだ作品の題は「The Man Who Killed Don Quixote」。

ドン・キホーテ役にはフランスの俳優で「髪結いの亭主」などに出演したジャン・ロシュフォールが起用され、ロシュフォールは7か月をかけて英語を学び準備をしていた。21世紀からやってきたCM監督のトビー役にはジョニー・デップが起用された。

撮影は2000年9月、スペイン・マドリードの北にある不毛の景勝地バルデナス・レアレスで始まる。ところがここはNATOの軍用地に近く、軍用戦闘機が頻繁に頭の上を飛び交い、爆音の下での撮影となる。撮影2日目には洪水に襲われて撮影機材が流出し、またこれによって崖の色が変わってしまい、それまでに撮ったテープは使えなくなってしまう。

馬術経験のあるロシュフォールは馬に乗って演技を始めたが、その際に痛みが走り、歩けないほどとなったためパリに戻るはめに。医師の診察を受けると椎間板ヘルニアと診断され、結局、降板してしまう。

総製作費50億円を投入した空前の超大作のはずが、わずかクランクイン6日目にして製作は頓挫に追い込まれる。その顛末を追ったのが本作だ。

ちなみにこのときは映画化は挫折したが、その後、ギリアム監督は再チャレンジして、2019年に「テリー・ギリアムドン・キホーテ」(原題は「The Man Who Killed Don Quixote」のまま)」を完成させている。

 

このドキュメンタリーを見て何より印象的だったのが、映画づくり失敗の悲惨さ、無念さより、ギリアム監督の目の輝きだった。

彼がつくり上げた空想世界を撮影中のギリアム監督は、目をキラキラさせてうれしそうにその映像に見入っている。

本番の前に、テスト用としてハンディカメラで巨人が迫ってくるところを彼が撮影しているシーンがあるが、まるで子どものように嬉々としてファインダーをのぞいている。

このとき彼は日本の太鼓集団の「鼓童」のTシャツを着ていたが、「鼓童」のファンなのか、それとも漢字の文字が気に入ったのか?

それはさておき、このシーンを見て、ここにこそ彼の映画づくりの原点があるのではないか、と思ったのだった。

彼は子どものころ、おとぎ話が大好きな子どもだったという。

「お城とか騎士とかドラゴンとか、そうしたものを想像して遊んでる子どもだった。山や森に囲まれた田舎育ちで、そうしたものが身近に感じられたし、TVもなくラジオを聴いて育ったから、視覚的な想像力が養われたんだと思う」とインタビューを受けたときに自分の少年時代を思い出して語っていて、こうも付け加えている。

「今も子どものときと同じように遊んでいるだけだよ。それでギャラをもらっているんだけどね(笑)」

 

ヒトの特徴としてあげられるものに「ネオテニー」がある。

ネオテニー(neoteny)とは、動物において性的に完全に成熟した個体でありながら非生殖器官に未成熟な、つまり幼生や幼体の性質が残る現象をいう。「幼形成熟」「幼態成熟」ともいうが、これがほかの動物とヒトとの大きな違いの1つといわれる。

このように、子どもの特徴を保ったまま大人になるのがネオトニーだが、これは姿かたちが幼いままというだけではない。大人になっても遊び行動があらわれたり、年老いてきても見知らぬものへの興味や探索心を持ち続けたり、さらには寛容性を失わないことなども含まれるといわれる。ヒトは、ネオテニーにより、子どものような心を持ち続けたことで、進化の過程で生き残りや適応にプラスに働いたのではないかともいわれている

ヒトの特徴であるネオトニーを最大限発揮しているのがギリアム監督なのではないか。

彼の作品に魅力を感じるのは、現代人が失いかけている“子どもの心”を取り戻すからなのかもしれない。

エナガが花見にやってきた!?

月曜日朝の善福寺公園は快晴。風は冷たいが、日差しは暖か。

 

シャガが咲き始めていた。

中国原産の帰化植物で、漢字で書くと「射干」あるいは「著莪」。「胡蝶花」という呼び方もある。

アヤメ科の植物で、花びらに紫と黄色の模様があるのが特徴。

花の中央から糸のような細いのがたくさん出ているが、あれは雄しべの花柱の先の枝分かれした付属体だという。

ブラシみたいになっていることで、花粉媒介にやってきた昆虫に付いている花粉を効率よく受け取ろうとしているのだろうか。

しかし、日本に渡来したシャガは染色体数が3倍体なので種子はつくれず、遺伝子型はすべて同一のクローン。地下茎を伸ばして成長するというから花粉媒介は必要ないはずだが、かつての2倍体のころの記憶を花びらの形にとどめているのだろうか。

 

上池を半周して下池へ。

公園内の公衆トイレの屋根の上をハクセキレイが歩いていた。

屋根にはいろんな植物の種子かなんかが落ちていて、中には芽吹いたりしていて、ハクセキレイの格好のエサ場なのかもしれない。

 

開花が進んでいるシダレザクラエナガがやってきた。

枝の向こうから顔を出したところ。

いつもはせわしないのに、枝にとまって少しだけジッとしてくれた。

エナガは蜜を吸うわけではなく、花に興味はないはず。木から木へ移動する際にちょっと一休み、というところか。

それとも、エナガもサクラの開花がうれしくて、さっそく花見にやってきたのかな?

 

先日、2羽で巣づくりしていたカイツブリは、その後巣づくりをやめてしまい、2羽でいるところも見なくなっていたが、けさは久々に仲のいい姿。

子づくりに再チャレンジするかな?

 

青空の下のヤナギの緑が目に鮮やか。

 

下池を1周して再び上池へ。

木の上でツグミが鳴いている。

そろそろ北へ帰るころなので、仲間を呼んでいるのだろうか。

 

枝に隠れるようにして、きのうと同じところにサクラらしいメスのカワセミ

やがて鳴きながら対岸に飛んで行った。

飛んで行った先を見ると、文二らしいオスのカワセミの隣。

エサのプレゼントをおねだりに行ったのかな?

しかし、文二は飛び去り、サクラはまたひとりぼっち。

ひょっとしてサクラのためにエサ獲りに行ったのかも。

ツクシが顔を出す

日曜日朝の善福寺公園は快晴。風が冷たい。

 

きのうは1日中雨で散歩ができなかったが、けさは雲ひとつない、いい天気。

きのうは多少は足踏みしただろうが、サクラ(ソメイヨシノ)の開花も進んでいる。

 

上池をめぐっていると、アオサギが羽繕い中。

こうしてみると白っぽく見えるが。

 

下池にまわると、カワセミの声がして、イチョウの木の高いところからカワセミがエサをねらっていた。

オスのようだから、小四郎だろうか。

 

下池を1周して再び上池に向かう途中にはアオジカップル。

やさしい顔しているのがメス。

地面に落ちている木の実かなんかをゲット。

濃い顔をしているのはオス。

2羽で仲よく食事中だった。

 

上池に戻ると、枝の陰にいたのはサクラらしいメスのカワセミ

すでにオスの文二が求愛給餌をしたらしいが、もっとほしいのか、小さな声で鳴いていた。

 

池の畔でツクシが顔を出していた。

童謡の一節に「ツクシ誰の子スギナの子」というフレーズがあるが、トクサ属のスギナの地下茎。春になって地下から伸びてきて、胞子を放出するとやがて枯れ、同じ場所に今度は栄養茎であるスギナが伸びてくる。

ツクシの語源には諸説あるが、スギナにくっついているから「付く子」、茎の袴の部分が継いでいるように見えるところから「継く子」などの説があるという。

漢字で「土筆」と書くのは、見た目の通り土の中から出てきた筆のようだというわけなのだろう。

いずれにしても、春はいよいよ本番という感じ。あさっては春分の日だ。