kino cinéma新宿で上映中の日本映画「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」
2026年の作品。
監督・脚本・製作・撮影・編集:塚本晋也、音楽:ermhoi、出演:ロドニー・ヒックス、ジェフリー・ラッシュ、マーク・マーフィー、タチアナ・アリ、リリー・フランキーほか。

米海兵隊員としてベトナム戦争に動員され武器を持って戦った実在の人物、アレン・ネルソンの物語。
父も元軍人で、暴力の中で育ったアフリカ系アメリカ人のネルソンは、貧困や差別から抜け出すため、18歳で海兵隊に志願した。
沖縄での訓練で教えられたのはいかに多くの人を殺せるかであり、ベトナムの戦地に派遣されると、前線の仲間は大多数が貧困層の黒人で、殺戮の日々で得たものは、ごくわずかな賃金と、PTSD(戦争後遺症)だった。
帰国後、戦争のトラウマにうなされる日々を送り、23歳のときホームレスとなったネルソン。のちにPTSDの治療を受けるようになるが、心の傷を癒す治療は長期にわたり、彼の心の支えとなったのは、退役軍人病院でカウンセリングを行っていたダニエルズ医師の存在だった・・・。
ベトナム帰還兵だったアレン・ネルソンの著書「『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』ベトナム帰還兵が語る『本当の戦争』」の映画化。
同書は講談社の「子どもたちの未来のために」シリーズの1冊として2003年に出版された子ども向けの本(2010年に文庫版が出た)。
日本映画ながら物語の舞台はアメリカ本土、ベトナム、それに沖縄であり、セリフは主として英語、そしてベトナム語。
タイトルの「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」は小学4年生の女の子からの質問だった。
ベトナムからの帰還後、ホームレスになっていたネルソンは、高校の同窓生の小学校教師とバッタリ会い、彼女から、自分が教えている子どもたちにベトナム戦争での体験を話してほしいと頼まれる。
ネルソンはそのときは、「相手が子どもだから」ときれいごとばかり話すが、最後にこう問われたのだ。「あなたは人を殺しましたか?」と。
本作は、ひとつにはその質問の答えにたどり着くまでの作品といえる。
映画の前半は、強烈すぎるほどのベトナムでのむごたらしい殺戮のシーンが次から次へと出てくる。
ネルソンは次々とベトナム人を殺していく。彼らが「ベトコン」と呼んだ解放戦線の兵士、そして戦争とは関係ないような農民、老人、子ども・・・。
塚本監督はインタビューで、観客にはネルソンと完全に同化してほしかったと語っている。
映像上であるけれど戦争のむごさ、悲惨さを目に焼き付けて、戦争の恐ろしさを“体験”してほしかったと語っている。
観客は前半でイヤというほど殺戮シーンを、ネルソンが人を殺すシーンを見ているので、後半でネルソンが言葉に出さないで話しているシーンを見るだけで、殺戮シーンがまぶたに甦えってくる。
小学生の質問「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」の答えはもはや明らかであり、ネルソンは長い沈黙のあと、答える。
「yes(はい、殺しました)」
それまできれいごとをいっていたネルソンは、その質問に最初、戸惑うが、やがて真実を隠してはだめだ、と悟る。のちに彼は人々の前で自分のしたことを語り始めるが、きっかけとなったのが女の子のこの質問だった。
だが、それだけでは彼は戦争のトラウマから逃れることはできない。
彼のカウンセリングを担当したダニエルズ医師は、カウンセリングのたびにネルソンにこう質問する。
「ネルソンさん、なぜ人を殺したのですか」
彼は答える。
「戦争だったから」
「上官に命令されたから仕方なかった」
「それが仕事だった」
だが、ダニエルズ医師はその答えにうなずきながらも、次のカウンセリングのときにも同じ問いを発する。
「ネルソンさん、なぜ人を殺したのですか」
そして、ネルソンはついに答える。
「殺したかったからだ」
つまり、ネルソンはそれまで、ベトナム人を殺したことを「戦争だから」「命令だから」「仕事だから」と、自分のことは棚に上げて他人のせいにしてきた。
初めて「殺したかったから」と答えて、自分が加害者であることを認めたのだ。
映画では、沖縄のキャンプ・ハンセンで訓練中の米兵たちが、基地周辺の歓楽街で遊んでも売春婦にカネを払わなかったり、タクシー運転手にタクシー料金を払わず、殴る蹴るの暴力を振るっていて、アメリカ本土で人種差別されている黒人兵士が、沖縄ではアジア人を差別し横暴の限りを尽くす様子が描かれている。
また、ベトナムでは、アメリカ兵たちはベトナム人のことを「グークス」と呼んで人間扱いしなかった実態も描かれている。
アメリカ軍がベトナムや日本で行っていることは、アジア人は自分たちより下等だという、間違った、というよりむしろ狂った価値観がそこにあったからなのではないだろうか。
強い差別意識があるものだから、人を殺しても加害者としての罪悪感はなく、ネルソンはPTSDのトラウマにさいなまれて、ダニエルズ医師からの心の治療があったおかげで、ようやく人間性を取り戻し、加害者としての罪に目覚めたのではないだろうか。
しかし、なぜアメリカの兵士はそんな、人を殺しても平気な価値観を持つようになってしまったのか?
本作は第83回ヴェネチア国際映画祭のコンペティション部門に出品され、金獅子賞など本賞の受賞は逃したが、「金の小獅子賞」と呼ばれる「レオンチーノ・ドーロ」を受賞した。
この賞は1989年に創設され今回で38回目だが、イタリアの高校生が選ぶ賞で、日本映画の受賞は初めてという。
イタリア全20州から選ばれた18歳の高校生20人が審査員をつとめていて、昨年はパレスチナのガザ地区で命を奪われた少女の実話をもとに描いた「ヒンド・ラジャブの声」(カウテール・ベン・ハニア監督)が受賞している。
今回、高校生たちはどんな理由で「ネルソンさん、あなたは人をころしましたか?」を選んだのか?
選考理由としてあげられたのは、戦争に共通する暴力を描き切った表現力、主人公の意識が変化していく過程へ観客を引き込む力、映像と音響を駆使して戦争と帰還兵のトラウマを告発したことなどだが、さらに「侵略戦争(guerra di aggressione)を支える帝国主義的論理(logica I perialista)を明確に拒絶するメッセージをあらゆる世代に伝える作品」というのも選考理由のひとつだった。
イタリアの高校生たちが、ベトナム戦争をベトナムに対する「侵略戦争」と位置づけ、その戦争を支えるものが「帝国主義的論理」であると喝破したのはさすがの慧眼だと思う。
映画の最後のほうで、リリー・ラランキーがネルソンの講演活動を支える日本人の役で出ていて、彼は自分の父親のエピソードを語っている。
自分の父親も太平洋戦争で日本軍の兵士として戦地に赴いたが、終戦後、日本に帰ってからは戦争についてひとことも語らず、無気力でいつも悲しそうで、人が変わったみたいになってしまっていて、やはり父親もPTSDを患ったのではないか、と語っていた。
日本もかつて中国などアジアに侵略戦争を行っていて、多くの人を殺した。
侵略戦争というものは、「自国の防衛・生存」を大義名分としながらも、実は他国・他民族の政治・経済・領土を自分のものにしようという帝国主義的論理で行われるものであり、その言い訳の中には、力を持つ自国の支配が遅れた地域に秩序や近代化をもたらすという優越思想のレトリックがあった。
動員される兵士もまた、帝国主義的論理に染まって人を殺してしまうのだろうか?
映画では描かれていないが、実在のネルソンは日本に長く滞在し、自身の体験を伝える講演活動を日本で1200回以上行ったというが、きっかけは、1995年、沖縄で米兵による少女暴行事件が起き、心を痛めていたとき、翌96年、「基地をなくす運動の一環として沖縄でベトナム戦争の話をしてくれないか」と誘われたことだったという。
彼が沖縄を訪れたのは、新兵のときにキャンプ・ハンセンで訓練を受けてから30年ぶりのことだったという。
ネルソンは日本国憲法9条にも感銘を受けていた。
戦後、日本は他国と戦争せず、他国民を一人も殺さず、また殺されもしなかった。非戦を貫けたのは戦争放棄と戦力の不保持を定めた憲法9条があったからにほかならない。日本で講演活動を始めて以来、彼はずっと、暴力に頼らない唯一の道は9条の理念にある、と訴え続けた。
ネルソンはアメリカ軍がベトナムで散布した枯葉剤の影響による多発性骨髄腫のため2009年、61歳で亡くなる。
墓は石川県加賀市の浄土真宗の寺「光闡坊(こうせんぼう)」にあり、彼はそこで眠っている。

















































