ふだんは日本酒だが、たまに飲むワイン。
チリの赤ワイン「エスクード・ロホ・グラン・レゼルヴァ(ESCUDO ROJO GRAN RESERVA(2021))
メドック格付け第一級のシャトー・ムートンを手がけるバロン・フィリップ・ド・ロスチャイルドがチリにつくったワイナリー、エスクード・ロホの赤ワイン。
ブドウ品種はカベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フラン、シラー、カルメネール、プティ・ヴェルドをブレンド。
ボルドーふうチリワイン。
ワインの友で観たのは、民放のCSで放送していたアメリカ映画「バウンティフルへの旅」。
1985年の作品。
原題「THE TRIP TO BOUNTIFUL」
監督ピーター・マスターソン、出演ジェラルディン・ペイジ、ジョン・ハード、カーリン・グリン、レベッカ・デモーネイ、リチャード・ブラッドフォードほか。
息子夫婦と暮らす老女が自分の育った故郷バウンティフルを目ざして旅に出る姿を描くロードムービー。
第2次世界大戦後のアメリカ。キャリー・ワッツ(ジェラルディン・ペイジ)は、テキサス州ヒューストンのアパートで息子のルーディ(ジョン・ハード)と嫁のジェシー・メイ(カーリン・グリン)ととも暮らしている。心臓発作の持病を抱えているキャリーだったが、嫁との確執に耐えかねて、20年ぶりに生まれ故郷のバウンティフルに戻ろうと家を飛び出し、駅に向かう。
もはや鉄道は廃止され、長距離バスで行くしかないのだが、バウンティフルというバス停も廃止されていて、途中で降りるしかないと告げられる。それでもバウンティフルに向かおうとした彼女が駅で知り合ったのが、夫が軍隊に行っているため実家に帰ろうとする若い人妻テマル(レベッカ・デ・モーネイ)だった。
テルマのやさしさに心がなごむキャリーだったが、テルマと別れて田舎の停留所の待合室にいると、保安官(リチャード・ブラッドフォード)がやってきた。行方不明の届けが息子夫婦から出ていて、キャリーを保護しに来たのだ。バウンティフルの家を一目見たいというキャリーの強い願いに、保安官は彼女をバウンティフルまで連れていく。
しかし、20年前のその地はもはやなく、住む人もいない荒地と化していた・・・。
過ぎ去っていった時代を思い出し、懐かしむような映画。
主人公のキャリーは、老女といっても60歳そこそこという感じで、息子も40歳前後ぐらいだろう。
彼女が帰りたがっている故郷であり、タイトルにもなっている「バウンティフル」とは、おそらく架空の地名で「豊作・豊か(BOUNTIFUL)だったころへの旅(TRIP)」といった意味が込められているではないか。
都市化の進展で農民たちは次々に故郷から離れていき、かつて豊かだった土地も荒れ果てていったに違いない。あるいは、干ばつなどの自然災害も農民たちの離農をうながしたかもしれない。
人がいなくなれば交通手段も劣悪になっていく。鉄道はなくなり、代替のバス路線も縮小して、降りるべきバスの停留所はなくなり、それどころか住む人もいなくなり、町までもが消えてしまっている。
それはアメリカだけの話ではなく、今の日本の農村の姿でもある。
何年すごそうと都会生活に馴染むことができないキャリーのセリフが心に残った。
「もう20年も畑仕事をしていない。手が土に飢えているわ」
キャリー役のジェラルディン・ペイジは本作でアカデミー主演女優賞を受賞。
8回目のノミネートでの受賞だったというが、それから2年後の1987年6月、ニューヨークの自宅アパートにて62歳で亡くなる。死因は心臓発作だという。
ついでにその前に観た映画。
民放のCSで放送していたアメリカ映画「西部番外地」。
1970年の作品。
原題「MACHO CALLAHAN」
監督バーナード・L・コワルスキー、出演デヴィッド・ジャンセン、ジーン・セバーグ、リー・J・コッブほか。
南北戦争下のアメリカ。粗暴な性格のせいで捕虜収容所に閉じ込められた南軍兵士キャラハン(デヴィッド・ジャンセン)は、自分をだまして軍隊に送り込んだ“黄色の長靴をはいた男”に復讐を果たすため脱走。それから数日後、たどり着いた町で酒場に立ち寄った際に、妻のアレキサンドラ(ジーン・セバーグ)と新婚旅行のためやってきた北軍大佐といい争いを起こし、挙げ句に撃ち殺してしまう。
キャラハンは“黄色の長靴をはいた男”も見つけて殺害し、町を出るが、夫を殺されたアレキサンドラはキャラハンの首に賞金を懸け、自らも酒場女となり彼を追いかける。やがてキャラハンに追いついたアレキサンドラだったが、次第に彼の人柄に惹かれていく・・・。
4Kに修復したのを2Kで放送していて画像は鮮明。
大ヒットしたテレビドラマ「逃亡者」(1963年~67年)で主役をつとめたデヴィッド・ジャンセンの人気にあやかった“西部劇版逃亡者”。テレビシリーズの最終回では視聴率が50%を超えるほどで、テレビでは医者だったが、映画ではアウトローとして賞金稼ぎの集団に追われる役どころだった。
相手役は「悲しみよこんにちは」「勝手にしやがれ」のジーン・セバーグ。究極のスタイルヒーロー、セシルカットの女王と呼ばれ、オシャレなフランス映画が似合いそうな彼女が、何でまた男臭い、しかもヌードまでさせられる西部劇なんかに?と思ったが、彼女の経歴を知ってナルホドと思った。
彼女は19歳のとき「悲しみよこんにちは」(1958年)にセシル役で出演。ベリーショートの髪形はセシルカットとして大流行し、1960年公開のジャン=リュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」では、ヌーヴェルヴァーグの寵児となる。
しかし、1960年代後半から70年代にかけてアメリカで黒人民族主義運動・黒人解放闘争を展開した急進的な政治組織、ブラックパンサー党を支持したことから、彼女の人生は暗転する。
ジーン・セバーグは子どものころから正義漢が強く、個人の尊重や言論の自由といったことに強いこだわりを持っていたといわれる。社会的弱者への援助を惜しまず、公民権運動や反戦運動にも傾倒していて、ブラック・パンサー党を支持したのも彼女の正義漢の強さゆえだったのだろう。
ところが、そんな彼女をアメリカの治安を脅かす敵とみなして、“破滅”させ“抹殺”しようとしたのが、反共に凝り固まっていた当時のJ・エドガー・フーバー長官率いるFBI(連邦捜査局)だった。
FBIは彼女を危険分子として監視を開始。尾行はもちろん電話の盗聴なども行われた。ジーン・セバーグの名声を失墜させるFBIの作戦には当時のニクソン大統領にも知らされていたといわれる。
なぜFBIという国家組織がジーン・セバーグという個人をそれほどまで憎み、破滅の対象としたのか。ある証言によれば、もともとはFBIから彼女に“情報提供者”にならないかとの誘いがあり、それを断ったことでフーバー長官は怒りに変わった、との説があるらしい。「かわいさ余って憎さ100倍」ということなのか。
彼女に対するFBIの監視は1969年にはすでに行われていたようで、その最中に製作されたのが本作で、ロケはメキシコで行われた。ひょっとしたら、自分がFBIのターゲットになっていることを彼女も知っていて、追及から逃れたい一心での本作への出演ではなかっただろうか。
FBIによる彼女を「無力化」させようとする計画は何とも執拗で残忍で、本作の撮影終了後、彼女は妊娠中だったが、おなかの子の父親は彼女の夫ではなくブラックパンサーの幹部というデマを流す。
しかもFBIのやり方が悪らつだったのは、このデマを三流新聞とかではなく、ニューズウィークやロサンゼルス・タイムスといった一流紙にリークして報道させたことだ。多くの人はデマ記事を信じた。
セバーグは早産となり、1070年8月に女児を出産したもののその子は2日後に死亡。セバーグはデマであることを証明するため、集まった記者に死んだ乳児の肌を見せることまでしたという。
しかし、その後、彼女は精神的に不安定となって深刻なうつ病に悩まされるようになる。睡眠薬など薬物摂取が増えていき、全財産を寄付で使い果たしたりしていったという。
1979年9月、パリの大通りに駐車してあった車の中から彼女の変死体が発見され、死因は自殺と判定される。まだ40歳の若さだった。
彼女の評判を失墜させようと画策したFBIによる“国家犯罪”は許せないが、同時に、ニューズウィークなどのメディアが権力に迎合してその片棒を担いだことも許せない行為だ。権力の横暴を批判すべき報道機関が権力と結託するなんて、恥ずべきことだというほかはない。
民放のCSで放送していたインド映画「兄貴の嫁取物語」。
2014年の作品。
原題「VEERAM」
監督シヴァ、出演アジット・クマール、タマンナー、サンダーナム
インドの最南部にあるタミル・ナードゥ州の西部オッタンチャッティラムに暮らす暴れ者の5人兄弟。長兄のビナーヤガ(アジット・クマール)は腕っぷしが強く、村人たちからも尊敬されていたが、超硬派のカタブツで女性との付き合いは全くない。
一方、4人の弟たちはそれぞれ恋人との結婚を考えているものの、なかなか長兄にいえないでいた。そんなある日、美術修復家の女性コーペルンデビ(タマンナ・バティア)が村にやって来る。
弟たちは、彼女とビナーヤガとの間に恋を芽ばえさせようと策略を巡らす。次第にビナーヤガはコーペルンデビに惹かれてゆくが、彼女の一家は全員が徹底した非暴力主義者だった・・・。
歌も踊りもあって楽しいが、やはり見どころはアクションシーン。
「兄貴の嫁取物語」という邦題よりも、「武勇」を意味するタミル語の原題の「VEERAM」ほうがピッタリだったかも。
見ていて印象的だったのが、登場人物たちが人と会って話をするとき、特に目上の人に対して、顔というか首を微妙に振るしぐさを見せるところ。
インドでは、「YES」と同意するとき、あるいは相槌を打つとき、首を左右に振るのだとか。日本だと「はい」と同意するときは首を縦に振るが、インドでは横で、まったく逆だ。
1回横に振ったぐらいのときは軽く「YES」という感じだが、目上の人に対しては何回も小刻みに振るので、その微妙に振るしぐさはまるで首振り人形みたいに見える。
もうひとつ、目上の人に会ったとき、ひざまずくようにして相手の足に手を触れるシーンもあった。目上の人に対して敬意を込めたあいさつのときのマナーだそうで、もともとは五体投地に由来しているという。
五体投地とは、五体すなわち両手、両膝、額を地面に投げ伏す礼拝のやり方。それが簡略化されて、右手で相手の足の甲に触れ、それを自分の額に当てることで祝福が得られるのだという。
五体投地は仏教において最も丁寧な礼拝のやり方のひとつとされ、チベット仏教では寺院に行くと五体投地しながら礼拝する人の姿をよく見る。さすが仏教発祥の地のインドだけあって、今は仏教の信者は少なくなっても、かつての伝統は引き継がれているのだろう。
それにしても、昔の映画を見るといろいろ勉強になる。