善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「戦争のはらわた」「シービスケット」

フランス・ラングドック・ルーションの赤ワイン「ル・フルイ・デフォンデュ・ルージュ(LE FRUIT DEFENDU ROUGE)2022」

ワイナリーは、ブルゴーニュのワイン一族として高名なラフォン一族の末裔が南フランスで営むドメーヌ・マゼラン。

サンソー、シラー、グルナッシュをブレンド

「ル・フルイ・デフォンデュ」とは、禁断の果実という意味を持っていて、サンソーが栽培されている古い区画が由来という。

フレッシュな赤系果実を思わせる風味が魅力の1本。

 

ワインの友で観たのは、民放のCSで放送していたイギリス・西ドイツ合作の映画「戦争のはらわた」。

1977年の作品。

原題「CROSS OF IRON」

監督サム・ペキンパー、出演ジェームズ・コバーン、マクシミリアン・シェル、ジェームズ・メイソン、センタ・バーガー、デビッド・ワーナーほか。

ワイルドバンチ」「ゲッタウェイ」「わらの犬」などのサム・ペキンパー監督による映画史に残る戦争映画のひとつで、第二次世界大戦の東部戦線をドイツ軍兵士の側から描く。2017年に日本での公開40周年を記念してデジタルリマスター版が劇場公開された。

 

1943年、クリミア半島東隣りのタマリン半島。東部戦線ではドイツ軍とソ連軍が激突していた。ソ連軍の攻勢で後退を余儀なくされているドイツ陣営に西部戦線のフランスから貴族出身のシュトランスキー大尉(マクシミリアン・シェル)が派遣されてきた。彼は欲深い男で、鉄十字勲章を得るために志願してこの戦線にやってきたのだった。小隊長のシュナイター伍長(ジェームズ・コバーン)は、勲章を手に入れることしか興味のない指揮官であるシュトランスキー大尉を次第に嫌悪するようになり、2人の対立は増していく。

ソ連軍の大攻勢で戦いはますます激化。ドイツ軍は撤退を開始し、殿軍(しんがり)を任されたシュタイナー小隊は敵の猛攻を防ぐうちに本隊とはぐれてしまう。やっとのことでシュナイターたちが陣地に戻ろうとしたとき、シュタイナーの帰還を疎ましく思ったシュトランスキーは、シュナイターらの帰還をソ連軍の罠と偽り、弱みを握って味方につけた部下と図って「やつらを殺してしまえ」と命じ、殺戮が始まる・・・。

 

戦争の狂気が描かれている。

原題の「CROSS OF IRON」とは、ドイツ軍の鉄十字勲章のこと。その勲章を得たいため貴族出身の大尉は仲間を平気で裏切ったりするのだが、そんな彼を冷徹な目で見ていた主人公の伍長は、倫理観が強くて人格も確かなはずなんだが、結局は大尉と一緒になって狂気に走っていく。

ラストのジェームズ・コバーンの大笑いは、仲間をあざ笑うとともに、自分をもあざ笑い、戦争が生み出す狂気を弄んでいるようでもある。

 

映画のオープニングや途中に、日本で「ちょうちょう」という題名で親しまれている童謡が流れるが、ドイツでつくられた「小さなハンス」という古い童謡だという。

ハンス坊やが旅に出て7年後、故郷に帰ってきたけどだれも成長したハンスだとはわからない。母親だけはすぐにハンスとわかり、大喜びする、という内容なんだが、なぜか日本では「ちょうちょ、ちょうちょ、菜の葉にとまれ」となったが、少年の成長を描く「遍歴の旅」がテーマのようだ。

なぜオープニングに「小さなハンス」を登場させたのか?

ペキンパー監督は、ヒトラーという独裁者を指導者にしたことによるドイツという国の「遍歴の旅」の行き着く先をいいたかったのではないか。

ペキンパー監督が、映画のラストをドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトの次の言葉で締めくくっているのも暗示的だ。

「やつの敗北に、喜ぶな、お前たち。世界は立ち上がり、あの腐れ外道を阻止したが、やつを産んだメス犬に、また盛りがついた」

「やつ」とは、ナチスドイツのヒトラーであり、人間性とか人格、自由で平等な社会を否定して自分たちの利益のために戦争への道を突き進もうとする者たちのことだ。

このブレヒトの言葉は、彼の戯曲「アルトゥロ・ウイの興隆」のエピローグに出てくる。

この作品は、ヒトラー率いるナチス党が、陰謀によりドイツ共産党を壊滅させたのを手始めに、民衆の不満を巧みに利用して独裁者として上り詰めていく過程をシカゴのギャングの世界に置き換えて描いた作品。

いかにも民衆のためを思っているかのようなギャングの甘い言葉、勇ましい言葉を鵜呑みにして、たやすく受け入れてしまった当時の社会を冷やかな視点で描いていて、それはそのままナチスの君臨を許した社会への警鐘ともなっている。

ナチスの「興隆」は決してすぎ去った過去の話ではない。姿かたちを変えながらも、その危険は今もあるんだよ、とブレヒトは現代のわれわれに警告している。

 

ついでにその前に観た映画。

NHKBSで放送していたアメリカ映画「シービスケット」。

2003年の作品。

原題「SEABISCUIT」

監督・脚本ゲイリー・ロス、出演トビー・マグワイアジェフ・ブリッジスクリス・クーパーほか。

1930年代の大恐慌下のアメリカで、人々に希望をもたらした実在の競走馬シービスケットを題材にしたベストセラー小説を映画化。

 

不況で一家離散した天涯孤独の青年騎手(トビー・マグワイア)、愛する息子を失った西部の自動車王(ジェフ・ブリッジス)、時代に取り残された元カウボーイの調教師(クリス・クーパー)。心に傷を負った3人の男たちは、一頭の小柄な馬シービスケットと出会い、人生の再起を懸ける・・・。

 

原作のノンフィクション小説は全米で400万部を超える大ベストセラーとなり、「スパイダーマン」のトビー・マグワイアが製作総指揮に名乗りを上げ主演をつとめた。

シービスケットは実在のサラブレッドで、1930年代の大恐慌禁酒法の時代に活躍した競走馬。小柄な馬体のうえに激しい気性がわざわいしてか、初勝利まで18戦を要し、当初はまったくの無名馬だった。しかもシービスケットが所属したのは西海岸の厩舎で、当時は東海岸と比べて競馬の後進地といわれていた。

シービスケットはデビューした2歳時に35戦、翌年の3歳時には23戦も出走した。つまりは、気性は荒かったものの、それぐらいタフな馬だったのだろう。しかし、2、3歳時は58戦して1着になったのは5回だけ。

ところが、3歳の途中で、映画に出てくる馬主、調教師、騎手の3人の男に見込まれて転厩してからは一変。活躍馬として頭角をあらわし、4歳になってからは連勝街道を突き進むようになりアイドルホースとして騒がれる。

ついには5歳時の1938年11月、米国の三冠馬東海岸で最強といわれたウォーアドミラルとの世紀のマッチレースを制して全米最強馬に上り詰めた。東の先進地に勝ったというので西海岸の英雄となっただけでなく、世界大恐慌下で暗く沈んでいたアメリカ国民の希望のシンボルともなった。

ところが、6歳になって最初のレースで左前脚に故障を発生。腱靱帯の断裂という競走馬にとっては致命的なケガを負ってしまう。もはや競馬で走れる状態ではなく、それどころか安楽死もありうるケガで、事実上の現役引退に追い込まれた。

しかし、そこから驚異的な復活をとげたのがシービスケットであり、何と1年後に現役復帰して、サンタアニタパーク競馬場(競馬の祭典ブリーダーズカップが行われる競馬場)でのサンタアニタハンディキャップを制する。これが同馬の最後のレースともなった。

サンタアニタパーク競馬場にはシービスケットの等身大の銅像がたっており、アメリカ競馬の殿堂博物館に殿堂入りしている。

 

三冠馬とのマッチレースやサンタアニタハンディキャップを含むレースのシーンは迫力があって、ついついシービスケットを応援してしまう。

競馬場を埋めつくす何万もの大観衆。エキストラを動員するのは大変だったろうなと変に心配してしまったが、ディジタルコピーの手法で“水増し”されてるらしい。

 

映画を見ていて思ったのは、アメリカの競馬はどれもダートで行われていることだった。

競馬場の映像を見ると芝コースもあるが、主要なレースはすべてダートで行われている。ただし、ダートといっても日本のような砂のダートではなく、土でできたダートのようだった。

これはどうしてか?

ダートとは本来、土や泥を意味していて、サンド(砂)とは異なると思うが、日本の競馬場のダートコースは地面を掘り返して土台を固めてその上に砂を乗せている。これに対してアメリカのダートは、始めのころは地面を耕しただけの土の馬場だったといわれ、現在でも、アメリカの競馬の主要レースは、芝が中心のヨーロッパや日本と違って、ケンタッキーダービーを始めとしてダートで行われている。

ヨーロッパの競馬(近代競馬)は貴族の遊びとして始まったという。自然の地形を利用して緑豊かな中で行われたので、レースも芝生の緑の中で行われるのが当然ということになったのだろう。1540年、イギリスで世界初の競馬場が建設され近代競馬(正式のルールと専用の施設による競馬)が行われた現存最古の記録が残るチェスター競馬場は、今も芝コースのみでレースが行われている。

一方、アメリカでは興行としての競馬の側面が最初から強かったようだ。馬券を買って一山当てる客を喜ばせるため、どこでも手軽にできるダートコースが好まれたのだろうか。しかも、土のコースはスピードが出やすいため、速さを競う競馬にピッタリだったという。

フォスター作曲の有名な曲に「草競馬」(1850年)があるが、原題は「Gwine to Run All Night, or De Camptown Races」で「一晩中走れ、あるいはキャンプタウンの競馬」。日本語のタイトルで「草競馬」とあるのは草の上を走るというより、田舎の競馬といった意味なのだろう。

歌詞には、「トラックは5マイル(約8㎞)だ」とか、「でかい泥の穴にはまった」とかあるから、とても芝コースには見えない。

といっても、当初はどうだったか知らないが、少なくとも現在のアメリカのダート馬場は、土といってもただ地面を掘り返しただけではない。

そもそも土とは、「地球の外殻、特に陸地。また、その表面。大地。地上。地面」であり、「(それを)形成している岩石などが細かい粉末状になったもの。岩石・鉱物と区別してしいう」と「日本国語大辞典」にあり、土には砂や粘土なども含まれているはず。大事なのはそれらの割合のようだ。

土の種類は粒の大きさによって区分され、0・005㎜以下の粒子を粘土、0・074~0・005㎜の粒子をシルト、2~0・0074㎜の粒子を砂、2㎜以上の粒子をレキと呼んでいる。

日本のJRA中央競馬会)のダートコースはすべて青森県六ヶ所村産の海砂が使用されている。砂の粒は最大2㎜以下で、粒が角張っていない、細かい粒子であるシルトは1%以下、砂がある程度重いものといった基準を満たすものとされているそうだ。

一方、アメリカのダートは、砂の割合が88~75%ぐらいで競馬場によって異なり、残りはシルトや粘土という。

つまりアメリカのダートは、土といってもかなりの割合で砂が含まれていいるのが本当のところのようだが、それでも、シルトが1%以下の、99%砂といっていい日本と違って、粘土質で「土」のイメージに近いのがアメリカのダートの特徴といえる。

 

シービスケットの奇跡の復活をとげるレースが行われたサンタアニタパーク競馬場のダートコースは、砂が87・5%、シルト8%、クレイ(粘土)4・5%というから、アメリカの競馬場の中では比較的砂の割合が多い競馬場のようだ。それでも粘土質であるのは変わらない。

1940年3月2日に行われた第6回のこのレース(距離2000m)で、59キロのトップハンデながら優勝したシービスケットのタイムは2分01秒20のレコードタイム。馬場は良馬場(Fs)。

その後、記録は更新され、レコードタイムは2014年の第77回のときの1分58秒17だが、昨年2023年の第87回の優勝タイムは2分03秒49だから、84年前のシービスケットのタイムはかなりいい。

小柄ながら激しい気性の持ち主のシーズケットは、アメリカのダートコースにふさわしい馬だったのかもしれない。

 

ちなみにサンタアニタパーク競馬場は、太平洋戦争時には日系人強制収容所となり、人々は馬屋やコース内にテントを張ったりしてそこで寝起きすることを強いられたという。