善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「ドリーム・ホース」

スペイン・リオハの赤ワイン「アルトス・イベリコス・クリアンサ(ALTOS IBERICOS CEIANZA)2019」

フランスとの国境に近いバルセロナの近郊、ペネデス地方でワインをつくり続けて150年以上の歴史を持つトーレスが、そこより内陸でスペイン北部のリオハでつくる赤ワイン。土着品種のテンプラニーリョ100%。飲みやすいワイン。

 

ワインの友で観たのは、民放のCSで放送していたイギリス映画「ドリーム・ホース」。

2020年の作品。

原題「DREAM HORSE」

監督ユーロス・リン、出演トニ・コレットダミアン・ルイスオーウェンティールほか。

イギリス・ウェールズを舞台に、片田舎の小さなコミュニティで育てた競走馬が最高峰のレースに挑んだ実話をもとに描いたヒューマンドラマ。

 

ウェールズの谷あいにある小さな村。そこにはかつていくつもの炭鉱があり、炭鉱で働く労働者の町として栄えていた。しかし、炭鉱は次々と閉鎖されてなくなり、労働者は首を切られ、ほかに仕事もなくなり、人々は家に引きこもるようになっていた。

無気力な夫ブライアン(オーウェンティール)と暮らすジャネット(ジャン、トニ・コレット)は、スーパーの清掃係とパブのバーテンダーの仕事をかけ持ちしていたが、ある日、勤め先のパブで常連客の税理士デーヴィス(オーウェンティール)がかつて共同馬主をしていたときの話を小耳にはさむ。デーヴィスはそのとき大損をしたという話だったが、ジャンは強い関心を抱き、競走馬を生産することを思い立つ。

彼女は夫を説き伏せて、勝ったことはないが血統のよい牝馬を貯金をはたいて購入。飼育資金を集めるため村の人々に馬主組合の結成を呼びかける。週10ポンドずつ出しあって共同馬主となったのは20人余の村人たちだった。

彼らの夢と希望を乗せ、生まれた子馬は「ドリームアライアンス(夢の同盟)」と名づけられた牡馬で、レースを勝ち進んでいく。一時はケガで再起不能といわれたこともあったが、奇跡的に復活。ついにはウェールズにおける最高峰の障害レース、ウェルシュナショナルに出走し、ほかの馬を抜き去って優勝する快挙を成し遂げる。

ドリームアライアンスの快進撃は、沈み込んでいた村の人々に夢と希望を持ってチャレンジすることの大切さを教え、人生は決して暗いままではなく再び輝くときがくることを教えてくれる・・・。

 

この映画の痛快なところは、“労働者階級の馬”の活躍だろう。

先進国のなかでも、イギリスほど階級の枠組がはっきりしている国はないといわれる。貴族による上流階級、中産階級の人々が構成する中流階級、そして労働者階級たちの下層階級。ドリームアライアンスの馬主たちは3階級の一番下の労働者階級の人々だ。

彼らはかつて、イギリス経済を牽引した炭鉱労働者だった。

産業革命を起こし、近代化を成し遂げた大英帝国の発展の原動力となったのが石炭であり、ウェールズはその一大産地だった。最盛期にはここに600以上もの炭鉱があったという。

しかし、エネルギー政策が石炭から石油にシフトチェンジする中で、サッチャー政権のもと、1980年代始めから大規模な炭鉱の閉鎖が始まり、80年代で炭鉱の操業はほぼ停止し、労働者たちは大量解雇の憂き目にあった。

映画に登場する人々が住むウェールズ南部のブランクウッドにもいくつもの炭鉱があったが、次々と閉鎖されて、ついには炭鉱が1つも存在しない村となった。

かつてボタ山が築かれていた谷には緑が生い茂り、アロットメントと呼ばれる市民農園をつくって人々は自家消費のための野菜をつくるようになった。

しかし、働く当てもなく、高齢化も進んで、暗く沈んだ村となっていたのだ。

そんな旧炭鉱町で持ち上がったのが競走馬を育てる事業であり、村人たちは共同で馬主になった。

 

イギリスで、田舎町に住む労働者階級の人々が競走馬の馬主になるなんて、誰もが驚いたに違いない。

何しろイギリスにおける競馬とはもともと貴族がする遊びにほかならなかった。

日本でも毎年、競馬の最高峰のレースとして3歳馬によるダービーが行われるが、ダービーの呼び名はイギリス貴族のダービー卿に由来する。世界的に有名なアスコット競馬場は、イギリス王室が所有する競馬場だ。当然、競走馬の馬主も、貴族か金持ちということになる。

日本では、「一口馬主」といって一般庶民が馬を共同所有する例は多いが、この場合はすでに競走馬として生まれ育った未出走の馬に出資するのが普通だ。

ところがこの映画の場合、主人公のジャンは、競走馬の血統を徹底的に調べた上で、引退した良血の牝馬を割安で購入し、これに有力な種牡馬と交配させるところからスタートしている。

生まれた牡馬がドリームアライアンスであり、かつてボタ山だった市民農園に馬小屋を建て、彼女自らが飼育した。

馬のことなんか何も知らない“フツーのオバサン”(失礼。ご主人も含めればオバサン・オジサン)が競走馬の生産・飼育に取り組むなんて驚き以外ない。

ただし、彼女はそれまでに競走犬やレース用のハトを育てた経験があり、「馬を育てることは、イヌやハトを育てるのとそれほど違いがないはず」と考えていたようだ。

共同馬主の多くもかつての炭鉱労働者たちだった。炭鉱という危険を伴う現場で組織だって働いてきた経験があるだけに、ともに協力し合い、喜びをともに分かち合うことには違和感はなかったに違いない。

 

彼ら共同馬主たちの真価が発揮されたのは、ドリームアライアンスが走れなくなるかもしれない危機に直面したときだ。

競馬にデビューして快進撃を続けていたところ、ドリームアライアンスは競走中に屈腱を切断する大ケガを負う。そのまま安楽死処分になっておかしくないほどの故障だったというが、何とか処分されず済んだものの、屈腱炎を発症する。

競走馬の屈腱炎は“不治の病”といわれ、元通りに回復するのが難しく、多くの馬が引退を余儀なくされている。

ドリームアライアンスの場合も、治療を続けて再起をめざすのか、それともここで引退させて馬主組合を解散してしまうか、ジャンと共同馬主たちとの間で議論になった。

これ以上、この馬にお金をかけるのは損になるから、もうやめよう、という意見に、ジャンは力説する。「この馬からたくさんの希望をもらい、夢をもらったのを忘れたの?」

結局、ドリームアライアンスの活躍に感謝する意味でも、馬主組合を続け、治療に金を出そう、ということになる。

そして、ドリームアライアンスに行われた治療とは、幹細胞移植という最先端の治療だった。

日本のJRA日本中央競馬会)でも現在、実験的にこの治療法が行われているそうだが、屈腱炎になると、炎症により腱細胞が壊れてしまう。そこで、馬自身から屈腱の組織に分化する間葉系幹細胞を取り出して、培養した上で屈腱炎の部分に注射器で注入して細胞移植し、腱組織を再生しようというのがこの治療法だ。

結局、15カ月に及ぶ治療とリハビリテーションの末に、ドリームアライアンスは競馬に復帰。調教師にいわせると「前より走る力が強くなった」というほどだったという。

復帰初戦のレースでは2着に入り、大幅に良化した長期休み明け2戦目の2009年12月末、ウェールズにおける最高峰の障害レースであるウェルシュナショナルに出走。距離3マイル6½ハロン(約6154メートル)、障害数22というレースで、人気薄ながら1番人気の馬などを退け、見事、優勝したのだった。

 

映画はそこで終わっているが、現実のドリームアライアンスは翌年、世界最高額の障害レースといわれ、イギリスで最も人気のあるという「グランドナショナル」に出走している。しかし、競争中に鼻出血を発症し、競走中止。その後もしばらく現役を続けたあと引退。イングランドのサマセットにある牧場で余生を送っていたが、2023年4月、繋養先で死亡した。22歳だったという。

競走馬は2歳からレースに出走し、日本でも2歳馬のG1レースがあるが、ダービーに出走する3歳だと人間の年齢に換算して17~18歳ぐらい。8歳ぐらい(人間の年齢だと30歳ぐらい)になるとたいがいが引退する(10歳でも走っている馬がいたが)。22歳というと65歳ぐらいか。オグリキャップトウカイテイオーも25歳まで生きた。ドリームアライアンスもよくがんばったといってあげていいかもしれない。