フランス・ボルドーの赤ワイン「オー・メドック・ジスクール(HAUT MEDOC GISCOURS)2016」
1330年から続くメドック格付け3級のシャトー、ジスクールの赤ワイン。
19世紀、ジスクールのワインはルイ14世の王宮で飲まれていたという記録が残っているとか。
ブドウ品種はメルロー、カベルネ・ソーヴィニヨン。
なかなか飲み応えのあるワイン。
ワインの友で見たのはNHKBSで放送していたアメリカ映画「わが谷は緑なりき」。
1941年の作品。
原題「HOW GREEN WAS MY VALLEY」
監督ジョン・フォード、出演ロディ・マクドウォール、ウォルター・ピジョン、モーリン・オハラ、ドナルド・クリスプほか。
当時10歳だったモーガン家の末っ子ヒューが、50年たって、そのころのことを回想しながら物語が進んでいく。
イギリス・ウェールズの炭鉱町で坑夫として働いて生計を立てているモーガン家。
末っ子ヒュー以外、父も兄たちも炭鉱で働いていたが、ある日、炭鉱の経営者は労働者たちの賃金を一方的に削減。組合を作るか否かで兄弟と父親は対立し、姉のアンハラドとヒュー以外の息子たちは家を出てしまう。
そして、炭鉱の落盤事故で長男が亡くなり、ついには父までも・・・。
映画を見るまでは「わが谷は緑なりき」という題名からしてのどかで雄大な自然の中の話かと思ったら、ウェールズの炭鉱で石炭にまみれて真っ黒になって働く一家の物語だった。
ジョン・フォードは当初、サウス・ウェールズでのオール・ロケを計画していたらしいが、ちょうど第二次大戦の真っ最中だったため計画は取りやめ。代わって、ハリウッドに近いサン・フェルナンド渓谷に80エーカーの村をそっくり建て、ロケが行われた。
モノクロだが、労働者家族が住む炭住街が見事に再現されていて、モクモクと煙をあげる炭鉱を取り巻く自然の緑が美しい。
(映画の炭住街を見て、4年ほど前に北イタリアを旅したときに訪れた「クレスピ・ダッダ」を思い出した。産業革命期の19~20世紀初頭、綿織物工場の経営者が工場の労働者と家族のためにつくった企業村がクレスピ・ダッダで、世界遺産に登録されている)
末っ子のヒューは町の学校に行くものの炭住に住む貧乏人の息子というのでいじめられるが、彼を見守る労働者たちの機転とユーモアでいじめをやり返し、ヒュー自身も成長していく。
ガンコだが威厳のある父、肝っ玉母さん、炭鉱で働く頼もしい兄、そして姉。慎ましく暮らすモーガン家には次々と不幸が襲ってくるが、彼らは常に前向きに、明るく生きようとし、炭鉱労働者としての誇りを失うことはなかった。
映画を見終わって、思い出したのが三井三池炭鉱(1997年に閉山)の労働者で作曲家の荒木栄が1961年に作詞・作曲した組曲「地底のうた」だった。
落盤で殺された 友の変わり果てた姿
狂おしく取りすがる 奥さんの悲しみ
幼児(おさなご)は何も知らず 背中で眠る
胸突き上げるこの怒り この怒り!
ピケでは刺し殺され 落盤では押しつぶされ
炭車のレールを血で染めた仲間
奪ったやつは誰だ!
1959年から60年にかけての三井三池争議では、1200人を超える組合員の指名解雇に端を発し、組合側は会社側のロックアウトに対抗して無期限のストに入ったが、ピケを張っていた組合員の一人が暴力団員に刺殺されたり、財界がこぞって会社を支援、第二組合の離反もあって、労働者側の敗北に終わった。
その直後に作曲されたのが「地底のうた」だった。
この曲の発表から2年後の1963年にも、三井三池坑で炭じん爆発が発生。458人の死者と、一酸化炭素中毒患者849人を出す戦後最悪のものとなった。
荒木栄はその前年、胃がんのため亡くなる。享年38という若さだった。
彼が亡くなった大牟田市の病院には記念碑がたてられ、「地底のうた」の一節が刻まれているという。