善福寺公園めぐり

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上野通明の「鳥の歌」と新日本フィル50周年

先日(4月3日)、阪田知樹のピアノとのデュオで聴いたチェロの上野通明が、錦糸町すみだトリフォニーホールでオーケストラと共演しショスタコーヴィチ「チェロ協奏曲第1番」を演奏するというので聴きに行く。

オケは新日本フィル。指揮はシャルル・デュトワ

同楽団の創立50周年を記念する特別演奏会で、ショスタコーヴィチの「チェロ協奏曲第1番 変ホ長調 op. 107」(チェロ上野通明)のほか、バーバー「弦楽のためのアダージョ op. 11」、チャイコフスキー交響曲第5番 ホ短調 op. 64」。

創立記念の演奏会らしく会場は満席。熱烈拍手で盛り上がっていた。

デュトワはセクハラ問題で静かにしてるかと思ったら、今も健在のようで、エネルギッシュな指揮ぶり。今年86歳になるはずだが、最近よくN響を指揮しているプロムシュテットの枯れた指揮ぶりと違って、若々しい。

 

上野通明のアンコール曲が心に沁みた。

スペイン・カタルーニャ民謡で、チェリストパブロ・カザルスが編曲した「鳥の歌」。

1971年10月24日、カザルスは国連平和賞を受賞し、その記念に、すでに94歳と高齢だったにもかかわらずニューヨークの国連本部で「鳥の歌」を演奏した。演奏前のスピーチで彼はこう語った。

「私はもう40年近く、人前でチェロを演奏してきませんでした。でも、きょうは演奏しなければなりません。これから演奏するのは短い曲です。その曲は『鳥たちの歌』と呼ばれています。空飛ぶ鳥たちは、こう歌うのです。ピース、ピース、ピース。ピース、ピース、ピース!」

 

上野は、ロシアによるウクライナ侵攻に対し平和への願いを込めて、この曲を演奏したのだろう。演奏後、彼はしばらく顔を上げなかった。きっと、祈りを捧げていたに違いない。

 

この日は新日本フィルにとって記念すべきコンサートだったが、創立50周年ということになれば、どうしても触れておかなければいけないことがある。

話はまさしく50年前にさかのぼる。

その当時、1956年に設立された日本フィルというオーケストラがあった(もちろん、今もあるが、初代常任指揮者は渡辺暁雄)。もともと文化放送の専属オーケストラだったが、途中からフジテレビの専属にもなる。

1971年、音楽と自分たちの生活を守るためとして日本フィルに労働組合が結成され、賃上げを要求してその年の12月、ちょうどカザルスが国連本部で「鳥の歌」を演奏した2カ月後、日本音楽史上初の全面ストライキを実施する。これに対してフジと文化放送の両社は翌72年の6月、日本フィルの解散と楽団員全員の解雇を通告する挙に出たのだった。

フジも文化放送も、財界や保守勢力によりマスコミ対策のために放送や新聞に進出してきたフジサンケイグループの一員(当時のフジサンケイグループの総帥として君臨していたのは、ゴリゴリの反共・右派で、マスコミ将軍として大きな影響力を持っていた鹿内信隆)。よりによってそのお膝元で音楽家たちが労働組合をつくり、賃上げを要求するなんて「不届き極まる。断じて許さん」と思ったのだろう。

しかし、楽団員は解散・解雇に反対し労働争議を起こす。当然、会社側は分裂工作を仕掛けてきたが、楽団員のおよそ3分の2は労働組合にととどまり、不当解雇を訴えて裁判を起こす。と同時に、市民とともに歩む自主運営のオーケストラとして活動していく。

一方、残りの3分の1は、労働組合から離脱して新しいオーケストラをつくり、自主運営と称しながらも財界の支援を受けて活動をはじめる。それが新日本フィルだった(現在も元オリックスCEOの宮内義彦氏が理事長をつとめ、副理事長は元フジテレビ社長の日枝久氏、理事の中には大臣経験もある経済学者の竹中平蔵氏の名もある

会場に結成したときの特別演奏会のポスターが展示してあった。指揮は小澤征爾

 

いうなれば音楽家としての誇りを胸に、苦難に直面しながらも市民に支えられながら音楽活動を続ける日本フィルに対し、それよりも会社や財界のメガネに叶うオーケストラとしてスタートしたのが新日本フィル。むろん彼らとて自分や家族の生活のためにあえて“スト破り”的な道を選択したのだろうから、同情しないわけでもないが・・・。

しかしどうしても、判官贔屓じゃないけれど、冷たい仕打ちを受けながらも、節を曲げることなくがんばる人たちを応援したくなるのは、人情というものではないか。

 

そうはいってもあれから50年。分裂騒動ももはや遠い過去の話で、そんなことがあったなんて知らない人のほうが多いに違いない。ただ、音楽は音楽のためのみにあらず。人々の暮らしや喜び悲しみとともにあるのが音楽だ。そうした歴史があったことだけは忘れてはいけないと思う。