善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「ゴヤの名画と優しい泥棒」ほか

イタリア・プーリアの赤ワイン「ネプリカ・ネグロアマーロ(NEPRICA NEGROAMARO)2021」

イタリアのワインメーカー、アンティノリ社がプーリア州で立ち上げたトルマレスカのワイン。

ネプリカ・シリーズは、ネグロアマーロとプリミティーヴォ、カベルネ・ソーヴィニョンの頭文字を取ったプーリア州の魅力を気軽に愉しめるシリーズだとか。

きのう飲んだのはネグロアマーロ100%。果実味と柔らかなタンニンを感じる赤ワイン。

 

ワインの友で観たのは、民放のBSで放送していたイギリス映画「ゴヤの名画と優しい泥棒」。

2020年の作品。

現代「THE DUKE

監督ロジャー・ミッシェル、出演ジム・ブロードベントヘレン・ミレン、フィン・ホワイトヘッドほか。

 

1961年に実際に起こったゴヤの名画盗難事件の知られざる真相を描いたドラマ。

「真実にもとづく映画」といっても、かなりフィクションが入っていると思って気楽に見ていたが、見終わったあと、描かれている内容(セリフの細かいところは別として)はすべて真実と知って、びっくり。「事実は小説より奇なり」の格言にぴったりの映画(ちなみにこの格言はイギリスの詩人バイロンの詩の中に出てくる言葉という)。

 

1961年、世界屈指の美術館ロンドン・ナショナル・ギャラリーからゴヤの名画「ウェリントン公爵の肖像」が盗まれた。

この事件の犯人は、かつての炭鉱町で低賃金の労働者や移民が多く暮らすイギリス北東部のニューカッスルでタクシー運転手をしている60歳のケンプトン・バントン(ジム・ブロードベント)。長年連れ添った妻のドロシー(ヘレン・ミレン)や、やさしい息子ジャッキー(フィン・ホワイトヘッド)と小さなアパートで慎ましく暮していて、一方でその年になっても劇作家を目指していて、戯曲を書いて送ってもいつもボツになる、ごく平凡な庶民だった。

彼は社会の不正義や差別に声を上げる筋金入りの“反骨オヤジ”でもあり、BBCの受信料を年金ぐらしの高齢者はタダにすることを求めて一人で運動していた。年をとれば楽しみはテレビを見ることぐらいで唯一の娯楽なのに、貧しい高齢者に高額な受信料を課すなんてとんでもない、タダにすべきだと訴えていて、彼自身、受信料を払ってなくて刑務所に収容されたこともある。

しかし、いくら声を上げても政府もBBCも動かない。テレビで安らぎを得たい孤独な高齢者を救済するためにはどうしたらいいか、そこで彼が考えたのは、盗んだ絵画の身代金でBBCの受信料を肩代わりしようという企てだった。

何て一本気で正義の味方みたいなオヤジ!

 

ゴヤのこの作品はもともとイギリスの貴族が所有していたが、1961年、アメリカの実業家が14万英ポンドで購入してアメリカに持っていかれようとした。そこでイギリス政府が国庫補助金を出して、同額で買い戻して国外流出を阻止。その年の8月2日、ロンドンにあるナショナル・ギャラリーにて初めて展示された。ところが、展示から19日後に盗まれた。

犯人からは「絵を返してほしければ高齢者のBBC受信料を無料にせよ」との手紙が送られてくるが、まるで無視されてしまう。

その後、1965年6月に返却され、ケンプトン・バントンが窃盗の罪を認めたのだった。

 

裁判になり、判決はというと、ケンプトンは絵画を永遠に盗もうとしていたわけではなく「ちょっと借りただけ」ということで絵画の窃盗については無罪。紛失してしまった額縁のみ盗んだとして有罪となり、懲役3カ月の軽い刑ですんだ。

しかし、映画(というか真実)はこれで終りではなく、実際の犯人があらわれるのだが、それは何と彼の息子だった。正義漢の父親に味方しての犯行だったようだが、息子は自首したものすでに月日もたっていて、証拠不十分というので無罪放免。

そしてBBCは2000年になってようやく、75歳以上の高齢者は受信料を免除することに踏み切る。ただし、最近になって財政難を理由に受信料免除は一部の高齢者に限られるようになっているようだ。

 

ちなみに製作総指揮に加わったのクリストファー・バントンは、事件の犯人ケンプトン・バントンの孫。

また、劇中、デューク・エリントンっぽいビッグバンド・サウンドがバックに流れていたが、原題の「デューク(DUKE)」にひっかけた監督の遊びかシャレか?

DUKE」とは「公爵」の意味で、盗まれた絵画に描かれたウェリントン公爵を指すとともに、イギリスの階級社会への皮肉も込められているみたいで、なかなかいい題名と思う。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のBSで放送していたアメリカ映画「ニューオーリンズ・トライアル」。

2003年の作品。

原題「RUNAWAY JURY」

監督ゲイリー・フレダー、出演ジョン・キューザックジーン・ハックマンダスティン・ホフマンレイチェル・ワイズほか。

 

ジョン・グリシャムの小説「陪審評決」を映画化。原作ではたばこ会社が訴訟の相手だったが、本作では銃製造会社が相手で、銃乱射事件の裁判の裏側での陪審員工作、弁護士の取引きなど熾烈な裏工作合戦を描くリーガル・サスペンス

 

ニューオーリンズで銃乱射事件が起き、犯人は11人を殺害したのち自殺する。この事件で夫を亡くした妻は良心派の弁護士ローア(ダスティン・ホフマン)を雇い、犯行に使われた銃器の製造と販売責任を求めて、銃を製造したヴィックスバーグ社を訴える。

被告側のヴィックスバーグ社及び加入する銃協会は、伝説の陪審コンサルタント・フィッチ(ジーン・ハックマン)を雇う。フィッチは違法行為を含むあらゆる手段を用いて陪審員の選別から裏工作までを進めていく。

一方で、巧みな演技で陪審員に選ばれた男ニック(ジョン・キューザック)は、ナゾの女マーリー(レイチェル・ワイズ)と組んで内側から陪審員の操作を行い、原告と被告に「陪審員、売ります」のメモを送り付け、三すくみのバトルが始まる・・・。

 

アメリカの裁判は陪審員制なので(日本でも最近になって刑事裁判では陪審員制が採り入れられてはいるが)、裁判開始前に原告・被告側双方にとって有利と思われる候補者を陪審員として認め、不利になりそうなのを排除する駆け引きが重要になっている。

そこで「陪審コンサルタント」という職業が成り立つのだが、ジーン・ハックマン扮するところの悪辣な陪審コンサルタント・フィッチは、陪審員候補者一人ひとりのビデオ映像をも含む膨大な個人情報を何十人もいるスタッフに集めさせていて、その情報をもとに絞り込んでいく。

裁判が始まれば、別のビルでこっそり法廷の様子を映すライブ映像を見ながら陪審員の挙動を細かくチェックし、自分の陣営に少しでも不利とわかると、犯罪行為にも及ぶような裏工作を平気で行っていく。

こんなことホントにあるのかな?とも思うが、アメリカ社会ならありうる話という気もしてきて迫真力があった。

フィッチがそこまでやるのも莫大なコンサルタント料目当てで“金儲け”のため。公正さをねらった陪審制も、結局は金の力でどうとでもなってしまう現実をグリシャムは告発したかったのかもしれない。

最終的には、銃がもたらす悲惨さを訴える人々の奮闘により「庶民の力」が「金の力」に勝ってホッとするのだが・・・。

 

NHKBSで放送していたアメリカ映画「誇り高き男」。

1956年の作品。

原題「THE PROUD ONES」

監督ロバード・D・ウェッブ、出演ロバート・ライアン、ジェフリー・ハンター、バージニア・メイヨ、ジェフリー・ハンターほか。

 

町の平和を守るため、強い誇りと信念に生きる保安官を描く西部劇。

テキサスから運ばれた牛が集まるカンザスの小さな町。保安官のキャス(ロバート・ライア)は、旧知の悪徳商人バレットの酒場でイカサマ賭博を見破り銃撃戦となる。

牛追いの青年サッド(ジェフリー・ハンター)の助けでキャスは命拾いするが、サッドはキャスが父親を射殺した敵だと信じていた・・・。

 

ライオネル・ニューマン作曲の哀愁漂う口笛に乗せた主題曲が日本でも大ヒットした。

映画では町の人々がロバート・ライアン扮する保安官のキャスのことを「マーシャル」と呼んでいて、任命権は町にあるようなことをいっていてオヤ?と思った。

西武開拓時代の保安官には「マーシャル」と「シェリフ」とがいて、たしかマーシャルは連邦保安官なので政府が任命し、町が任命するのはシェリフなのでは?と思ったのだった。

しかし、調べてみてガテンがいった。

大統領によって任命され、連邦裁判所に所属して連邦判事の裁判管轄区に1名配置されるマーシャルは「連邦保安官」で「USマーシャル(US Marshal)」と呼ぶのが正しい。

その地域の住民が選ぶのが「シェリフ(Sheriff)」で、郡民の選挙によって選ばれる「郡保安官(County Sheriff)」などがいる。

さらに、市長や町長が自由に任命できる保安官がいて、これは「タウン・マーシャル(Town Marshal)」と呼ばれた。町の治安を守るのが仕事で、デンバーなどの大都市では「マーシャル」ではなく「ポリスマン」、つまり「警察官」と呼ばれていたそうだ。

つまり、映画「誇り高き男」の保安官は「タウン・マーシャル」、いわば町の警察署長というわけだ。