善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「情婦」

オーストラリアの赤ワイン「ジービー88カベルネ・ソーヴィニヨンGB88 CABERNET SAUVIGNON2017f:id:macchi105:20190913133738j:plain

写真はこのあとメーンの網焼きステーキが登場。

 

ワイナリーのグラント・バージは、オーストラリアのワイン産地・バロッサを代表する家族経営のワイナリー。家族経営でやっているのはオーストラリアでは珍しいという。
ときどき飲むがほどよい渋さで飲みやすい。

 

ついでに数日前に飲んだのはフランス・ボルドーの赤ワイン「ル・プティ・クルセル・レ・コパン(LE PETIT COURSELLE LES COPINS2017f:id:macchi105:20190913133807j:plain

こちらも家族経営のシャトー、マリー・エ・シルヴィー・クルセル。

ブドウ品種はメルロ、カベルネ・フラン、シラー。

ラベルがシャレてて、やはり飲みやすいワイン。

 

ワインの友で観たのは昼間NHKBSで放送していたアメリカ映画「情婦」。

 

1957年の作品。原題「Witness for the Prosecution」。

原作はアガサ・クリスティの小説および戯曲「検察側の証人」。

監督・脚本ビリー・ワイルダー。出演タイロン・パワーマレーネ・ディートリヒチャールズ・ロートンほか。

 

なかなか豪華な顔ぶれ。

ビリー・ワイルダーは「アパートの鍵貸します」「麗しのサブリナ」「昼下がりの情事」「お熱いのがお好き」などの監督でハリウッドを代表する名匠の1人。

タイロン・パワーはハリウッドきっての二枚目スターだったが、次の映画のロケ中に心臓マヒを起こして44歳で急死。「情婦」が遺作となった。

マレーネ・ディートリヒはドイツ出身だが1930年代以降はアメリカで活躍。第二次大戦中、反ナチの姿勢を明らかにして歌ったドイツの歌「リリー・マルレーン」は有名だ。

チャールズ・ロートはジイさんかと思ったらこの映画のときで58歳ぐらい。5年後に63歳で亡くなっている。昔の人はけっこう早死にだ。ロバート・ミッチャム主演の「狩人の夜」の監督もしている。

 

タイロン・パワーマレーネ・ディートリヒが主役かと思ったら実質的な主役は老練な弁護士役のチャールズ・ロートンで、見応えのある法廷ミステリー作品だった。

どんでん返しが最後の方に2度も3度もあり、アッと驚く結末。映画が終わってエンドタイトルが流れると「結末は決してお話にならないように」とクギをさされる。

 

1952年のロンドン。老練な弁護士ウィルフリッド卿(チャールズ・ロートン)は大病を患って退院。看護師のミス・プリムソル(エルザ・ランチェスター)に付き添われて自宅に戻ってくる。

「安静にしなくちゃいけません!」と口うるさいプリムソルとの丁々発止が愉快(実はチャロヒルズ・ロートンとエルザ・ランチャスターは実生活でも夫婦なんだとか。どおりで呼吸がピッタリ)。

そこに、未亡人殺害容疑がかかったレナード(タイロン・パワー)が弁護の依頼にくる。

ウィルフリッドは片眼鏡を使った独特の“ウソ発見器”でレナードの無実を確信し、弁護を引き受ける。

しかし、状況はきわめて不利で、アリバイを証明できるのはレナードの妻のドイツ人、クリスチーネ(マレーネ・ディートリヒ)のみ。だが、夫を弁護する妻の証言は裁判では採用されない。

いよいよ裁判が始まり、ウィルフリッドは巧みに機転を効かしてレナードの窮地を救おうとするが、検察側の証人としてあらわれたのはナント味方であるはずのクリスチーネだった。事件の真相は……?

 

映画の原題は小説と同じ「Witness for the Prosecution検察側の証人)」なのに、日本では「情婦」として公開された。

たぶん二枚目俳優のタイロン・パワーとセクシーっぽさが売りのマレーネ・ディートリヒが共演するというので日本の映画会社が知恵?を絞った結果だろう。

ディートリヒは回想シーンで甘い歌声を披露してくれるし、“100万ドルの保険”をかけたとされる脚線美も披露するサービスぶり。いかにもハリウッド映画らしい。

 

裁判では、裁判長も検察官、弁護人もみんなカツラをかぶって登場。イギリスの伝統なのだろう(民事のほうは2008年にカツラが廃止されたが、刑事裁判ではいまだにカツラが義務になっているそうだ)。

しかし、裁判長は木槌でドンドンと叩くのではなく、エンピツみたいなのでトントンとやっていた。これも伝統なんだろうか?

 

イギリスの裁判はアメリカと同じ陪審制だが、むろんイギリスのほうが先輩。映画は1952年の話だが、陪審員の中には3人の女性がいた。

イギリスから学んだはずのアメリカではこのころ陪審員に女性が加わることはできず、やはり法廷サスペンス映画の「十二人の怒れる男」(1957年、主役はヘンリー・フォンダ)でも陪審員は全員男性だった。

アメリカで女性が陪審員になれるようになったのは1975年になってからというから、この点ではイギリスのほうが進んでいる。