善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

「雲の上団五郎一座」と「十二人の怒れる男」

きのう、おとといとNHKBSで懐かしい2つの映画を観た。
おととい観たのは『雲の上団五郎一座』。
1962年公開の東宝映画。監督/青柳信雄、脚本/長瀬喜伴新井一、原作/菊田一夫、出演/フランキー堺三木のり平八波むと志南利明由利徹水谷良重高島忠夫榎本健一など。なんと懐かしいことか。しかも出演者の多くはすでにこの世にいない。だが、この映画の公開当時、三木のり平らも八波むと志も30代の若さだったという。

実はこの映画のことはおとといの放送を観るまで知らなかったが、子どものころ、テレビで『雲の上団五郎一座』を観ている。元々は「東宝ミュージカル爆笑公演」と銘打って1960年に菊田一夫の作・演出で東京宝塚劇場にて上演された舞台だった。それが評判になって映画になったのが本作である。

子どものころテレビで観たのは舞台をテレビ用に撮ったものだろう。エノケンが雲の上団五郎に扮したドサ廻り劇団の話なのだが、劇中で演じられる芝居に腹を抱えて笑ったものだ。特に秀逸だったのが三木のり平八波むと志の「源冶店(げんやだな)」。のり平が切られ与三、八波むと志がこうもり安で、2人の掛け合いの妙に転げ回って笑った。
テレビの芝居を見てあれほど大笑いしたのは、『雲の上団五郎一座』の「源冶店」の場面と、絶頂期のコント55号の2つしか思い出せない。

それでおとといも『雲の上団五郎一座』の映画版というので見入った次第だが、劇中劇でたしかに「源冶店」のシーンがあって大いに笑ったが、転げ回るほどではなかった。
2回目だったからか、映画と舞台とではおかしさが違うのか、観る側が年をとったからか。

きのう観たのは『十二人の怒れる男』。1957年公開のアメリカ映画。
12人の陪審員による殺人事件の評議が描かれる。出演はヘンリー・フォンダリー・J・コッブエド・ベグリー、E・G・マーシャル、ジャック・ウォーデンマーティン・バルサム、ジョン・フィードラー、ジャック・クラグマン、エドワード・ビンズら。ヘンリー・フォンダはプロデューサーもつとめている。

真夏の法廷で、18歳の少年が父親を刺殺したとして裁判になり、審理は終わって陪審員が有罪か無罪かを話し合いで決める。
舞台は陪審員室で、映画は全編、そこでの陪審員の白熱した論議に終始する。陪審員の評決は全員一致が決まり。12人の陪審員たちはそれぞれ、今日初めて会い、互いの名前も知らぬ間柄だ。名前は番号で呼ばれる。有罪は間違いないという雰囲気の中、陪審員長となった第1号陪審員が口を開く。

「さて、まず討議してから投票してもよいし、今、投票してもいいが・・・」
「まず投票だ!」「それがいい、早く帰ってナイターを見たいんだ」
「では、有罪の人は?」
11人の手が挙がる。
しかし、たった1人、第8号陪審員ヘンリー・フォンダ)が無罪のほうに手を挙げる。そこから物語が始まり、最後には全員が無罪の評決をする。

なかなかいい映画だったが、いかにも「アメリカの正義」を描いた映画という気もした。映画が作られた当時はちょうどマッカーシズム赤狩り)の嵐が吹き荒れていた時代。ソ連など社会主義国をあてこすってアメリカはいかに自由で民主主義の国かを誇示するねらいが多分にあっただろう。

1人のヒーローがはじめは孤独なたたかいをして、最後には弱者を救うというのもいかにも西部劇ふう。
ただ、日本の裁判員裁判にも大きな教訓を語っているといえる内容だった。
無罪を主張した第8号陪審員は、被告人が本当に殺人を犯したか、あるいは犯していないのかは不明としている。要するに、検察側の有罪立証に合理的な疑いがあるから「無罪ではないか」と主張しているのであって、ここのところは重要である。

1つ気になったのは登場する陪審員12人全員が白人男性で、女性は1人もいないし、黒人・アジア人は1人もいない。スラムの出身者が1人いたが成功者で、貧乏人はいない感じ。主人公の第8号は建築家だった。

アメリカで陪審制度が始まった当初、陪審員になるには選挙人名簿に登録されていなければならなかったが黒人には選挙権がなく、ようやく認められるようになったのは1960年代に入ってからという。
女性の場合も、すでに1920年に選挙権が与えられたが、男性と平等の条件で陪審員を務めることができるようになったのは1970年代以降という。

つまり、アメリカは長い間、西部劇の世界と同様、白人男性中心の社会であり、黒人など有色人種や女性が社会の担い手として認められるようになったのは比較的最近だったようだ。
だからあの映画は、当時の社会を色濃く反映した映画といえるだろう。