きのうの土曜日は東京・半蔵門の国立劇場小劇場で「9月文楽公演」。
1966年開場の同劇場は来年10月に閉場し、建て替えられることになっている。そのため14カ月に及ぶ「初代国立劇場さよなら公演」が始まり、その幕開けとなるのが本公演。
出かけていったのは夜の第3部「奥州安達原(おうしゅうあだちがはら、朱雀堤の段、敷妙使者の段、矢の根の段、袖萩祭文の段、貞任物語の段、道行千里の岩田帯)」。
土曜日ということもあってか客席は満員。文楽だと歌舞伎より男性客のほうが多いと思ったが、半数以上は女性で、着物姿も目につく。
「奥州安達原」は、時は平安時代後期、朝廷と対立した奥州の豪族・安倍頼時が源頼義・義家親子に滅ぼされた「前九年の役」のあと、頼時の遺児で、前九年の役で滅びたはずの安倍貞任・宗任兄弟が、安倍家復興と奥州独立を目指して源義家、通称・八幡太郎に戦いを挑むという壮大な物語。
今回上演されたのはそのうち、歌舞伎でも上演される「袖萩祭文の段」が中心の舞台。
太夫で聴き応えがあったのは「矢の根の段」の竹本織太夫、そして「袖萩祭文の段」の豊竹呂勢太夫。
織太夫は日本語もはっきりしていて聴きやすく、豊竹呂勢太夫は文楽に必須の「情」を切々と語っていた。
ただし、一番うまいはずの「貞任物語の段」の竹本錣(しころ)太夫(何しろ一番のヤマ場、切場(きりば)を勤める切語り)が、気迫が満ち満ちているのはいいんだけど、張り切りすぎたのか何いってるんだかわからない。
この春から切語りに昇格したらしいが、昔の自然体のときの方がよかったナー。
天皇の弟宮の守役である父を持ちながら、浪人(実は安倍貞任)と駆け落ちして一女を授かり、行方知れずとなった夫を探すうちに盲目となり、落ちぶれて物貰いになった袖萩。降りしきる雪の中、父が切腹すると聞き、その身を案じて娘お君に手を引かれながらやってきた垣根の外。
中に入れてもらえずも、その場にゴザを敷き三味線を弾きながら歌う歌祭文で親不孝を詫びるが、やはり父は許してくれない。やがて癪を起こした袖萩に、お君は寒風下で自分の着物を脱ぎ身一つになって母にかける。その姿に母・浜夕はたまらずに垣根越しに打ち掛けを投げる。
勘十郎が遣う袖萩は、本物の生身の役者以上に生きているから、その哀れさに見ていて泣けないはずがない。
人形劇を観て泣けてくるというのは、浄瑠璃語りと三味線、人形遣いとが一体となった文楽だからこそ。映画やテレビなんかとはまるで違う観劇の醍醐味を味わうことができた。
最後は安倍貞任・宗任兄弟が出てきてミエを切るんだけど、貞任は実は袖萩の夫でお君の父親。それなのに、自害した袖萩に対してちょっぴり涙を見せたかどうかぐらいで冷たく扱い、お君のことも知らんぷり。
何て冷たい男、許せない!と思いつつ観る幕切れだった。
時代物ってそういうものかもしれないが。