善福寺公園めぐり

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5月文楽公演 超絶!源九郎狐

半蔵門国立劇場小劇場で「5月文楽公演」の第一部を観る。

大河ドラマともいうべき「義経千本桜」のうち、源義経の家臣で、義経の愛妾(太夫は「思いもの」と呼んでいた)静御前の守護を命じられた佐藤忠信、実は源九郎狐を中心とした部分を抜き出した「伏見稲荷の段」「道行初音旅」「河連法眼館の段」。

午前11時開演だったが、客席はほぼ埋まっていて、いい季節になってきて和服姿の女性もチラホラ。

 

豊竹咲太夫文化功労者顕彰記念と銘打っていて、当初の予定では咲太夫が「河連法眼館の段」の切を語る予定だったが、残念ながら病気で休演。代役は織太夫。彼は「道行初音旅」と第二部の「競伊勢物語」でも太夫をつとめているから、連チャン出演。若い(織太夫は今年47歳)からこそできる。がんばれー。

 

さらに今年は文楽命名150周年だそうで、それも記念している。

これまで、文楽太夫や三味線弾き、人形遣いはみんな文楽協会に所属する人たちかとばっかり思っていたら、配られていた「人形浄瑠璃文楽座』の歩み」という冊子によれば、彼らは全員「人形浄瑠璃文楽座」に所属していて、文楽協会と契約して技芸員として文楽協会主催の地方公演等と、国立劇場(東京)や国立文楽劇場(大阪)を運営する独立行政法人日本芸術文化振興会が行う大阪・東京の定期公演に出演しているのだそうだ。

 

さて、今回の「義経千本桜」。

主役は何といってもキツネで、キツネを演じる、というか人形を動かしているのは桐竹勘十郎文楽は“三業”といって、語り手である太夫と三味線弾き、人形遣いによって成り立つ三位一体の芸だから、舞台で動き回る人形遣いだけをホメるのはいかがなものかとは思うが、今回だけはいいたい。キツネになったり忠信になったりの早替わりあり、神出鬼没の登場あり、最後は宙乗りあり、歌舞伎よりおもしろい、八面六臂の活躍の勘十郎に見とれた舞台だった。

 

勘十郎が人形を遣う佐藤忠信義経に使える忠実な家来なのだが、「義経千本桜」に登場する忠信は実はキツネが化けたもの、狐忠信。兄・頼朝に追われる身となった義経は、一緒についていくといって聞かない静御前に、やがて再会するまでの形見として「初音の鼓」を渡す。

この初音の鼓は、桓武天皇の時代、雨乞いのため、大和の国で1000年の命を保ち神通力を得たメスのキツネとオスのキツネの皮を用いた鼓だった。そのキツネの子どもが、親に孝行したいと400年の間、待ち続けて、禁裏(天皇家)から義経の手に渡ったのでようやく親に寄り添うことができると、忠信の姿に化けてあらわれたのだった。

河連法眼館の段で、キツネの本性をあらわした源九郎狐は、雨乞いのため二親を殺されたそのときはまだ子どものキツネで何もできなかったが、成長した今になっても自分を産んでくれた恩に報いることができていない、と嘆く。そしてこうつぶやく。

「人間の言葉にも通じ、人間の情も知っているキツネです。いくら愚かで知恵の浅い動物であっても、親への孝行を知らずに何としましょう」

源九郎狐は叫ぶ。

「日に三度夜に三度、五臓を絞る血の涙。火焔と見ゆる狐火は胸を焦がする炎ぞや!」

しかし、結局源九郎狐は、これ以上義経静御前に迷惑をかけてはいけないと、鼓に添うことを諦め、さびしく去っていこうとする。

それを止めたのが義経だった。

そういえば自分だって、1日も孝行を尽くせなかった父義朝が敵に討たれて死んでから、日陰の身で鞍馬に潜むしかなかったし、兄頼朝のための忠勤が仇となって、兄から憎まれるようになってしまった・・・。

キツネの親を思う心に、わが身を振り返った義経。彼はキツネから親子の愛、人の情けの大切さを知り、そのお返しにと、禁裏から譲り受けた大切なはずの初音の鼓をキツネに手渡すのだった。

 

最後は初音の鼓を抱えた源九郎狐の宙乗り

人形遣いの勘十郎もキツネと同じ火焔の柄の衣装となり、舞台下手から中央へと空高くへとキツネとともに飛んでいく。河連法眼館はセリ下がり、義経静御前も消えていき、眼下の桜を見下ろしながら源九郎狐の手からは桜の花びらが舞い散り、幕。