四国の旅、2日目の朝は、1棟丸ごと借りた「篪庵(ちいおり)」で目覚める。
家のまわりを散策。
家の前庭からの眺め。
ウグイスの声があちこちから聞こえる。
木々に囲まれた朝の雰囲気は、以前、旅で滞在したタイ・チェンマイのリゾート気分を思い起こさせる。
遠くの山々が霞んで見える。
朝の篪庵の全景。
やはりこの家の外壁も「ひしゃぎ竹」で守られていた。
分厚い茅葺きの屋根。
少し下ったところから見た篪庵。
家の近くにはお墓があった。
以前住んでいた人のお墓のようだ 。
祖谷の人々は、集団墓地ではなく、自分の家の敷地かその近くに先祖代々の墓を建てている。
小さなお墓。幼くして亡くなった子どもの墓だろうか。
ピンクのきれいな花が咲いていた。
緑色片岩で見事に組まれた土台。まるでお城の石垣みたいだ。
入口。
土間。
台所は改修されて使いやすくなっている。
家の中の風景。どこから見てもホッと落ち着くのはなぜだろう。
その理由を探しに、また泊まりたいものだ。
前日買っておいたインスタントのそばで朝食のあと、西祖谷にある「祖谷のかずら橋」へ。
日本三奇橋の1つとして知られていて、重さ約5トンにもなるシラクチカズラというつる植物で作られており、3年ごとに架け替えが行なわれるとか。
今は道路は整備され、大型バスやマイカーでも訪れることができるが、その昔は断崖を通らなければ辿り着けない秘境だったので、こうした橋が必要だった。
橋の由来は、祖谷にやってきた弘法大師が困っている村人のために作ったという説や、追っ手から逃れる平家の落人が楽に切り落とせるよう植物のシラクチカズラで作ったという説など、諸説あるらしい。
カズラで編んだだけにしては頑丈な感じだが、下は丸見えで、一歩踏み出すたびに軋んでユラユラと揺れて、スリル満点!
このあたりでも急斜面に張りつくように建つ家々。
かずら橋からさらに西に行ったところにあるのが大歩危・小歩危。
「おおぼけ・こぼけ」と読む。川すじの断崖など、そそりたつ険しい地形を指する古語「ほき」「ほけ」に由来するという。約2億年もの時を経て、四国山地を横切る吉野川の激流に結晶片岩が削られてできた渓谷で、巨岩、奇岩が5kmも続いているという。
客が来たら出航するという「大歩危観光遊覧船」で吉野川めぐり。
往復約30分で、いろんな巨岩、奇岩があった。
中には人や動物の顔に見えるものも・・・。
吉野川の青い川の流れは、河底が阿波青石といわれるこの地域独特の緑色片岩だからだろう。
祖谷をあとにして、次は高知へ。
高速道路を約1時間、国道を1時間かけて到着したのは、高知市五台山にある「高知県立牧野植物園」。
高知県出身の植物学者、牧野富太郎の業績を顕彰するためにつくられた植物園で、今年は富太郎の生誕160年の記念の年だとか。
また、来年はNHKで牧野富太郎をモデルにした朝ドラが始まるというので盛り上がっているみたいだ。
園内にはさまざまな施設があり、富太郎ゆかりの植物を中心に2010年春にオープンした南園の新温室、東洋の伝統園芸植物が観賞できる「50周年記念庭園」、北園には市街を眺望できる芝生広場など、四季折々3000種類以上を観賞できる。
また、牧野富太郎記念館展示館では、富太郎の業績や魅力を紹介した常設展示や、年に数回の植物に関わる企画展なども開催している。
園入口の向いの看板。
「たっすいがは、いかん」って何?
キリンビールのキャッチコピーらしいが、「たっすい」とは土佐弁で「弱々しい」とか「頼りない」とかいった意味だという。「そんな弱々しいことではだめだ。キリリとした味のキリンビールを飲め!」といってるのか。
ちょうど昼どきだったので園内のレストランで昼食。
テラス席で料理を待つ間に、テーブルの下からはカマキリが顔を出してごあいさつ。
池にはトンボやチョウ(アオスジアゲハ)が飛んできた。
何て自然豊かなレストラン。
生きものたちに囲まれながらの楽しいランチ。
園内にある牧野富太郎記念館は、建築家・内藤廣氏の設計によるもの。
この建物の設計で内藤氏は村野藤吾賞(2000年)を受賞している。
サスティナビリティー(持続性)という考え方がひとつのテーマになっていて、自然と人間が共生している仕組みを壊さず持続させていくための工夫が構造や設備などに生かされているという。
記念館で牧野富太郎の業績展示を見ていくと、とても破天荒な植物学者だったらしい。
20歳のころの富太郎。なかなか男前だ。
彼は幼少のころから植物に興味を持っていたが、20歳のころは自由民権運動に携わったりして、このころの写真を見るといかにもバンカラっぽい。
実は彼は小学校中退の学歴しかない。12歳で小学校に入るも、14歳のとき、授業に飽き足らず自主退学している。しかし、15歳で辞めた小学校の臨時教員になっているから、きっと天分に恵まれていたのだろう。
小学校中退の学歴しかないのに、31歳で東大の助手に。のちに講師となり、理学博士ともなっている。
ただし、助手や講師では給料はかなり低かったようで、必要だと思った書物には惜しむことなく金を使って買い求めたりしたため、牧野家の家計は常に火の車。その上、子どもは13人。借金を重ねて、家財を差し押さえられたりしたこともあり、借金取りから逃げるため何度も引越しを繰り返したという。
そんな富太郎を支えたのが、糟糠の妻・壽衛(すえ)だった。
富太郎が出張先から妻・壽衛に送って手紙が残っている。
こんなエピソードがある。食費にも事欠くような暮らしの中で、夫が安心して研究に打ち込めるようにと心を砕いた彼女。借金の取り立てが来ると、家の窓から赤旗を振って富太郎に知らせ、富太郎は借金取りが帰って赤旗がなくなるまで外で待っていたという。
しかし、富太郎66歳のころ、病に伏していた壽衛子54歳の若さで亡くなってしまう。
長い間、自分や家族を支えてくれた妻への感謝の気持ちを込めて、富太郎は妻が亡くなる前年に発見した新種のササを「スエコザサ」と名づけた。
彼女の墓碑には「家守りし妻の恵みやわが学び 世の中のあらん限りやスエコザサ」と刻まれているという。
採集日記。とても細かい字で書いてある。
晩年の富太郎。若いころの面影が残っている。
自室で写生している牧野富太郎の像。
たくさんの蔵書と、押し花、押し葉をしている新聞紙に囲まれている。
93歳のときの書。
「花あればこそ 吾れも在り」
園内では、絶滅危惧種のガンゼキラン(岩石蘭)の大群落が7日間限定で公開中だった。
ガンゼキランは環境省の絶滅危惧Ⅱ類で、水や栄養を蓄える偽球茎が岩石に似ていることから名がついた。
かつては県内の山中に自生していたが、近年は乱獲のため数が激減し、野生のガンゼキランの群落は現在、ほとんど見られないという。
約50年ほど前に四万十町の農家が崖崩れで痛んでいた株を保護して増殖。山に戻そうとしたが獣害のため、同園内で2012年から保護しているという。
ゴツゴツして岩のように見える偽球茎が名前の由来。
アカトンボがとまっていた。
ほかにも珍しい花があった。
アリマウマノスズクサ。
名は1937年(昭和12年)に牧野富太郎が現神戸市北区の有馬温泉の近くで発見したことによる。ほかのウマノスズクサ同様、ジャコウアゲハの幼虫の食草としても知られる。
温室で見たバルボフィルム・プルプレオラキス。
ランの一種で奇怪な形をした花。
別名コブラオーキッドといって、コブラが鎌首をもたげるような花の咲き方をしているのが特徴。平べったく捻れている部分が花茎で、真ん中の小さいのが花だという。
牧野植物園の次は、西ヘ向かっていって四万十川の沈下橋(ちんかばし)めぐり。
大水の際には水面下に沈むので水害の軽減に役立つ欄干のない橋が沈下橋。
1999年(平成11年)に高知県が全国の一級河川及び支流を対象に調査したところ、全国の410カ所に沈下橋があり、そのうち60以上が四万十川流域にあったという。
なぜ四万十川に沈下橋が多いかというと、経済的理由からとみられる。
かつては流域の交通手段といえば水運だったのが車やトラックなどの陸路に変わり、高度経済成長期を迎えてインフラ整備が急がれる中、橋脚が低く、欄干がなく、橋長も短い沈下橋は建設費を低く抑える利点があったため、高知県内の河川で多く採用されたという。
つまり、財政的貧しさゆえの沈下橋だったが、それが今では自然と調和した構造物として四万十川の魅力を形づくっていて、生活文化遺産として見直されている。
そういえば祖谷で見た茅葺き屋根の住宅も、なぜ残っているかといえばもともとは貧しさゆえだっただろう。近代的で住み心地のよさそうな家に立て替えたくても、とても費用がかかってできない。それならば、昔は屋根の素材となる茅はいくらでも自生していたから、人手さえあれば茅葺き屋根のほうが安価で住宅を維持できたのだろう(今は茅が手に入らなくなっているし、葺き替えができる職人も減って大変にはなっているが)。
そうした貧しさゆえの茅葺き屋根の住宅が、長い歴史に耐えた結果、沈下橋同様、生活文化遺産として見直されている。
佐田沈下橋。
一番下流にあり、最長。
生活道路として利用されていて、通学路だったり、車が通ったりしていた。
岩間沈下橋。
沈下橋を見たあとは、今夜泊まる宿へ。
四万十川の支流、広見川沿いにある「民宿こんぴら いろり宿」。
宿の名前の「こんぴら」は、対岸の鎮守の森の山にあり、300有余年地域住民を守り続けてきた氏神様「金刀比羅宮」からもらったという。
外観は看板もなく、立派な構えの民家ふう(実際、民家だが)。
1日1組限定の宿なので、のびのびできるのがいい。
囲炉裏端での夕食は、天然のアユの塩焼きに、天然うなぎをまぶしたご飯、カツオのタタキ、地元でとれた野菜、地元でとれたモクズガニのみそ汁などなど。
お酒は、やはり地元の米を使った純米吟醸・無濾過「山(やま)」。
日もとっぷりと暮れた食後、宿のまわりを散歩するが、街灯はなく、真っ暗。
懐中電灯が必須だったが、おかげで空は満天の星。
まわりの田んぼではカエルの大合唱。
歩いていると、青白い光が点滅している。
何とホタルが2、3匹、光っていた。
四万十川はホタルでも知られているが、もうそんな時期になっているようだ。
あすは今度は北へと向かう。
(つづく)