善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「風の中の雌雞」

イタリア・ピエモンテの赤ワイン「バルベーラ・ダスティ フュロット・バルベラ・ダスティ(BARBERA DASTI FIULOT BARBERA D’ASTI)2023」

ワイナリーは名門アンティノリがピエモンテで手がける老舗のプルノット。

ピエモンテはイタリア最北部の山岳地帯に位置しているが、土着品種バルベラから造り出されるほのかなミネラル感と渋みが心地よいワイン。

 

ワインの友で観たのは、U-NEXTで配信していた日本映画「風の中の雌雞(めんどり)」。

1948年の作品。

監督・脚本/小津安二郎、共同脚本/斎藤良輔、撮影/厚田雄春、音楽/伊藤宣二、出演/田中絹代佐野周二笠智衆、村田知英子、坂本武、三井弘次、岡本文子、清水一郎、高松栄子ほか。

太平洋戦争中は軍報道部映画班員として従軍し、映画製作を中断していた小津安二郎終戦後の復員第2作。復員第1作が下町を舞台にした人情劇(「長屋紳士録」であるのに対して、2作目は日本の敗戦が色濃く陰を落とした作品になっている。

 

間借り生活の時子(田中絹代)はまだ小さい息子の浩をかかえ、いまだ復員してこない夫の修一(佐野周二)の帰りを待ちわびていた。ところが、ある日のこと、浩は急性大腸カタルで病院に担ぎ込まれる。何とか命だけはとりとめることができたものの、生活に困窮していた彼女は病院への支払いに悩む。

迷った末、月島の売春宿に向かい、知らぬ男との一時をすごしてしまう。数日後、浩は無事に退院。しばらくして、夫の修一が帰ってきた。修一は浩が病気をしたことを知り、病院の支払いをどうしたかと尋ねるのに、時子は胸がつまって答えることができない。

疑惑を感じた修一に強く問いつめられ、ついに時子は何もかも言ってしまうが・・・。

 

妻の「売春」を知り、激高した夫が彼女を突き飛ばし、階段から転げ落ちるシーンがすさまじい。いつも静かに進行する小津作品では例外的な「暴力シーン」として知られる。

さすがにこのシーンは危険だというので田中絹代に階段落ちさせるわせけにはいかず、浅草の曲芸師の女性にスタントをしてもらったのだとか。

本作が公開された1948年というのは、戦後3年目でまだシベリアに抑留されたままの人が多数いるなど戦地から帰らない人も多かった。残された家族も貧窮していた。今みたいに国民皆保険ではなかったから医者への支払いも大変だっただろう。

しかも、男尊女卑の時代で、売春が合法だった時代。夫が妻以外の女性と関係を持っても別に問題にならなくても、妻が夫以外と肉体関係を持てば犯罪行為とみなされる時代。ましてや妻が売春するなんて到底許されるものではない。実際には、彼女はその覚悟で売春宿に行ったものの、相手の男のほうが「いうことを聞かねえんだ、おれのほうが」というわけで不首尾に終わったみたいだが、それでも夫からの追及に、「不貞」を働いたのは事実と妻は身を縮めて詫びるほかない。

だが、本作で小津がいいたかったことは、妻の「売春」という形で、日本の「敗戦」をいいたかったのかもしれない。

戦争に負けてアメリカの支配下となった日本は、「純潔」を失ったのと同じと小津は思ったのかもしれない。

もはやその現実を受け入れるしかないのだから、映画でも、夫は妻の詫びを受け入れ、最後には2人は和解する。

和解のための“けじめの儀式”として、男にとっては許しのサインであり、妻にとっては覚悟の階段落ちが必要だったのではないか。

 

観ていて気になったのが「風の中の雌雞」というタイトルだ。

どこかで聞いたようなタイトルだなーと思ったら、1939年のアメリカ映画に「風と共に去りぬ」というヴィヴィアン・リークラーク・ゲーブル主演の映画があった。

小津は従軍して軍報道部報道班員としてシンガポールにいたとき、報道部の検閲試写室で「映写機の検査」と称して接収した大量のアメリカ映画を観ていて、その中に「風と共に去りぬ」もあった。

同作品では夫婦げんかの果てにスカーレットが階段から転げ落ちるシーンがあった。その結果、彼女は流産してしまうのだが、あのシーンの鮮烈な印象が小津にはあって、「風の中の雌雞」でも取り入れたかったのではないか。

タイトルもどこか似ていて、「風と共に去りぬ」は南北戦争のころの物語で、戦争という「風」によって、奴隷制で潤ってきたアメリカ南部の社会や文化が消え去っていくことをあらわしているが、「風の中の雌雞」とは、太平洋戦争という「風」がもたらした社会の変化の中をさまよう雌雞=女性の姿をいいたかったのではないだろうか。