東京・八王子市にある東京都立大学の牧野標本館別館で開催中の企画展「『日本の植物分類学の父』牧野富太郎が残したもの」に行く(会期は9月30日まで、入場無料)。
現在、NHKの朝の連続テレビ小説で放送している「らんまん」の主人公、槙野万太郎のモデルとなったのが牧野富太郎。去年の5月に徳島・高知を旅行した際、高知市五台山にある「高知県立牧野植物園」で牧野の業績や魅力を紹介する常設展示を見て、彼が果たした植物学における役割はいうまでもなく、彼が歩んできた人生や人柄、陰で彼を支えた奥さんの壽衛(すえ)さんのことを知り、ファンになった。
このとき、「来年、牧野をモデルにしたNHKの朝ドラが放送される」との予告がしてあって、放送を心待ちにしていた。
東京都立大には1958年、牧野が生涯をかけて収集した植物標本約40万点が寄贈された。同大は理学部に「牧野標本館」を設置して標本を研究資料として活用するとともに、整理・保管を進め、ほかの収集した標本も含め約50万点が「牧野標本館」に収集されているという。標本はふだんは一般公開はしていないが、 同大は標本提供などで「らんまん」の番組制作に協力していて、それもあって一般市民を対象に標本の一部を公開する企画展の開催となったのだろう。
企画展では、ふだん見ることができない牧野が採集した標本をはじめ、牧野から教えを受けた人たちが作成した標本、さらには創意工夫によって作成された最近の植物標本などを展示している。
「らんまん」にも出ていたキレンゲショウマの標本。
「らんまん」の今週のテーマとなっているノジギクの標本。
また、会場ロビーでは、自らを「牧野マニア」と称する作家でクリエーターのいとうせいこう氏と、同大学理学部生命科学科助教の加藤英寿氏との対談ビデオが上映されていて、これがとてもわかりやすくておもしろかった。
明治時代になって牧野らが活躍するようになるまで、日本には薬草を研究する本草学はあっても植物学(植物分類学)はなかった。
江戸時代の末期、オランダのシーボルトらがやってきて盛んに植物を調査・研究し、日本で見つけた学名をつけた植物をヨーロッパの植物誌などで紹介したが、ヨーロッパの植物学者たちが採集した植物の標本は、自分たちの国に持っていかれて日本には残されなかった。
しかも、牧野らが活躍を始めた時代であっても、日本の植物学者は未知の植物を見つけても自分で学名をつけることができず、ドラマでも描かれていたが、当時、アジアの植物に詳しかったロシアのマキシモヴィッチに依頼して学名をつけてもらっていた。
そもそも学名というのは標本にもとづくもの。日本には植物の標本が蓄積されていないので、不明の植物について調べる手立てがなかったのだ。だから日本の植物相(フローラ)解明のためには、日本人の手によって植物を採集して一から標本をつくっていくことが必要だったのだ。
明治の始めに日本の植物学を牽引したのが谷田部良吉。彼は1876年(明治9年)に米国コーネル大学を卒業し、翌年、東京大学理学部植物学教室の初代教授となる。
牧野が上京して東大の植物学教室を訪ね、教授の矢田部良吉と助教授の松村任三を知り、教室への出入りが許されたのが1884年(明治17年)、牧野22歳のとき。1888年(明治21年)、26歳のときに日本で初めて新種ヤマトグサに学名をつけた。
いとうせいこう氏と加藤英寿との対談で興味深かったのが、牧野が自分で植物を採集して標本をつくるだけでなく、一般の植物愛好家にも植物の採集を呼びかけて協力してもらっていることだ。
しかも彼は、全国の植物愛好家を育てることまでやっている。植物の標本を集めたくても、一人でそれをやるのは物理的に不可能な話。そこで多くの人 を仲間に引き入れようとしたわけで、植物採集と標本づくりを一種の運動、ムーブメントにしている。
牧野は標本づくりの呼びかけを子どもたちに対しても行っている。
時事新報社が出していた少年雑誌「少年」誌上を通じて「科学奨励植物採集大懸賞」というのをやっていて、一等賞は懐中時計。
その中で、標本のつくり方や、課題とする植物についての解説なども、植物採集の初心者でもわかるように詳しく書かれていて、子どもたちへの啓発にも力を入れていたことがよく分かるエピソードだ。
懸賞に応募して三等賞に選ばれた標本。
山形県の16歳の少年が作成したが、実に見事だ。
ちなみに植物標本のつくり方は、新聞紙に挟んで乾燥させるのは昔も今も変わってないのだとか。植物の標本づくりのためにも、やっぱり新聞は紙でなくちゃ。
会場ロビーには、牧野が1890年に日本で初めて発見した「ムジナモ」が、羽生市ムジナモ保存会からの提供により展示されていた。
ムジナモは葉が二枚貝のように開閉し、ミジンコなどを捕獲する。
今やムジナモは絶滅が心配されていて、羽生市にある宝蔵寺沼は国の天然記念物に指定されている唯一のムジナモの自生地。羽生市ムジナモ保存会がムジナモを守るために活動している。
牧野が土佐・横倉山で発見したジョウロウホトトギスの植物画と記載文。
牧野の自筆で実に細かく描かれている。
牧野が自分で食べたメロン皮の標本。
自分が見たものは記録に残さずにはいられない。それほどの植物愛に満ちた人だったようだ。
フクジュソウの標本だが、とても美しい。
この標本を作成したのは太平洋戦争中で、空襲を受けて自宅の一部に被害があったが、その5日後に作成されたもの。空襲直後という緊迫感とは無縁の美しい標本だ。
牧野が作成した野菜の標本。
牧野は各地を訪れた際に八百屋や花屋に立ち寄り、そこで購入した野菜や花木を標本にして残していた。
標本には地方名なども記入されていて、当時の食文化の一端を知る手がかりにもなっているという。
1907年に高知県で発見され、牧野が命名した「ヤッコソウ」の標本。
その姿が奴(やっこ)さんに似ていることが和名の由来で、牧野標本館のシンボルマークともなっているという。
現在活躍している植物学者による最近の植物標本も展示されているが、その1つ、マンダリンオレンジの標本。
果実までもが美しいままで標本になっている。
企画展の帰り、都立大と最寄り駅の京王相模線・南大沢駅の間には三井アウトレットパークがあり、昼食は焼肉店で焼肉ランチ。