善福寺公園めぐり

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「らんまん」と神社合祀令、関東大震災

いよいよ来週が最終週となるNHK連続テレビ小説「らんまん」。

今週(9月18日~22日)も、現代に生きる私たちに歴史の教訓を教えてくれる。

日本の植物分類学の父といわれる植物学者・牧野富太郎をモデルにした伝記的ドラマではあるが、人は社会とは無縁に生きられないし、その時代をしっかりと描いてこそ、その時代を生きた人物を浮き彫りにすることができる。

長田育恵脚本による今週の「らんまん」はまさにその通りの内容だった。

 

「らんまん」と神社合祀令

まずは先週に引き続き、明治39年1906年)に施行された1町村1社を原則とする神社合祀令と植物の関係を描いたシーン。

日本では古来、八百万の神が信じられてきた。それはもともと、お日さまをはじめ、毎日目にする山や川、転がっている石も含めて、自然には神が宿っているとする素朴な信仰に由来している。ところが、数ある自然神の中でも天照大神こそが最高神であり、その末裔である天皇は現人神(あらひとがみ)であるとして、一神教的に人々を従わせようとしたのが国家神道

明治維新ののちには、神さまの国に仏教なんていらない、というわけで、神仏分離廃仏毀釈によって多くの寺院が仏像や仏具などとともに廃止され破壊された。

明治39年の神社合祀令では、政府は記紀神話延喜式神名帳に名のあるもの以外の神々を排滅することによって神道純化、つまり一神教のさらなる強化、神道の国教化を狙った。

特に壊滅的なまでのダメージを受けたのが和歌山県三重県にまたがる熊野だったという。
熊野では昔から、自然崇拝にくわえて仏教や修験道などが入り交じって信仰されていた。それだけになおさら合祀の対象となるものは数多くあり、村の小さな神社などが次々に廃止対象となった。

神社合祀令により、熊野の神社のおよそ9割が滅却され、社殿や神社の森や原生林が伐採され、姿を消してしまったといわれる。

これに対して神社合祀の反対運動に立ち上がったのが南方熊楠。日本民俗学の父といわれる柳田國男もこれに賛同して、熊楠を支援する活動を行っている。

 

そうした時代背景の中での「らんまん」第121話(9月18日)。

鎮守の森の植物を守るため、国が押し進める神社合祀を食い止めたいと考えた万太郎は、大学を辞めて一植物学者として生きることを決意。妻の寿恵子や子どもたちの前で胸の内を語る。

万太郎「ツチトリモチという貴重な植物は、保護しなければ死んでしまう。生息地は熊野の神社の森で、年明けから伐採が始まる」

長男「でも、神社合祀に反対したら・・・」

万太郎「わしは自分で歩いて、何が起きているか確かめてきた。わしは大学の人間である前に一人の植物学者じゃ。人間の欲がどういう植物を絶やそうとしているか、それを世の中の人々に伝えたい」

寿恵子「大学とツチトリモチが天秤なんですね」

長男「こんなばかげたことで大学を辞めなけりゃいけないんですか?」

万太郎「え? ばかげている?」

長男「ばかげてるよ、国のほうが」

次男「こないだ授業で習ったばかりだよ。木がしっかりと根を張ることで、山崩れを防いでいる。災害の多い日本では木が重要なんだって」

長女「それを、目先のお金のために切るなんて。だいたい、払い下げて終わり、あとは知らないなんて、そういうやり方、りんおばちゃん(万太郎たち家族が住む十徳長屋の差配人)が一番嫌がるんだよ。ホントに村の人たちのためになっているの?」

長男「経済だけじゃなく精神の面でもさ、この前からこっち、国民は国を愛せってやたらといわれてるだろ? でも、国への愛って、もっと身近な、ふるさとへの愛着から生まれると思うんだ」

長女「そうよ、ふるさとのご神木が切られたら悲しいじゃない。うちの根津神社が取りつぶしになれば、根津はもう根津じゃなくなるのよ」

次女「鳥もいなくなるね」

長男「お父ちゃん、わかりました。いろいろ腹が立ちますが、どうぞ大学をお辞めください」

万太郎「ええがか?」

全員「はい!」

こうして家族は万太郎を応援する。

 

「らんまん」と関東大震災

今年は関東大震災からちょうど100年という節目の年。あの震災から学ぶことの意義も大きい。

21日の「らんまん」第124話は、前日に続き、100年前の大正12年(1923年)9月1日、関東地方を襲った関東大震災で被災した万太郎一家を描いている。

関東大震災は、激しい揺れに加えて大火災が東京東部や横浜の市街地の大半を焼きつくし、死者10万5000人という未曽有の大災害となった。

その混乱の中で、さまざまな流言飛語、ウソの情報が流され拡散し、社会不安が広がった。

「らんまん」はそのことをしっかりと描いている。

 

根津の十徳長屋から命からがら、背負えるだけの植物標本を背負って、夜通し歩いて渋谷に着いた万太郎、妻の寿恵子、それに娘たち。

渋谷は被害が少なく火事も出ていない。家具類は倒れているが建物は無事だった。
万太郎は長屋が気になるが、震災から4日目、2人の息子たちもやってきた。

新聞社につとめる次男がいう。

「市内は今、もっとひどいことになっている」

次女「何? 火事は収まったんでしょ?」

次男「おととい、2日の夕方、慶応大学に避難していた連中が大学の武器庫に押し入った。自警団とかいい出しやがって。そんなやくつらが市内のあちこちに湧き出している。勝手に関所をつくり始めて、略奪から守るなんて題目で、あいつらが拳銃と刃物を振り回している。警官や軍人も出動して、まるで戦場です」

万太郎「とにかく火は収まってるのじゃろう?」

残された植物標本や石版印刷機のことが心配な万太郎は、根津の十徳長屋に戻ろうとする。

次男「話、聞いてたか、おとうちゃん。もう、メチャクチャなんだよ。もう、人間がおかしくなってんだ。植物どころじゃないんだよ」

 

それでも万太郎は出かけていく。自警団に呼び止められたりしながらも、何とか十徳長屋にたどり着き、行方不明だった弟子の虎鉄とも再会。

焼け跡に咲いていたムラサキカタバミの花を見つける。

虎鉄「すごい生命力ですね」

万太郎「株がひとつでも残っちょったら、すぐに子株を増やせる。何があっても必ず季節はめぐる。生きて根を張っている限り、花はまた咲く!」

善福寺公園でも咲いているムラサキカタバミ

 

そしてきょうの「らんまん」第125話。

震災から1カ月後のこと、万太郎一家は妻の寿恵子が経営する渋谷の待合に避難していた。新聞社につとめる次男が寿恵子に新聞を差し出す。

「甘糟憲兵大尉 無政府主義者殺害 大杉栄等を死に致す」の見出しの記事。

次男「そこの渋谷憲兵隊の大尉です。大杉栄と妻の伊藤野枝、何の関係のない6歳の甥っこもやられたっていう話だ」

寿恵子「みんな命からがら逃げてきて、やっと生き延びたって、そんなときに・・・」

次男「おれ、これから取材に出かける。憲兵隊も特高も、あの混乱の中でこういうことをしたんだ。今、報じないと・・・」

そして、次男はいう。

「お母ちゃんも気をつけて。渋谷はもう、東京市外の片田舎じゃない。あらゆる人間が押し寄せる街になってるんだ」

その話を聞いた寿恵子は、渋谷の待合を売って、その金で万太郎が存分に植物の研究ができる広々とした場所に移ることを考える。息子たちに探してもらった土地は、渋谷よりさらに郊外の、練馬ダイコンの産地の大泉村だった。

 

憲兵大尉の甘糟正彦らが無政府主義者大杉栄伊藤野枝、それに大杉の甥で当時6歳の男の子を殺害した事件は「甘糟事件」と呼ばれる。

甘糟らは、戒厳令下での関東大震災の混乱に乗じて、無政府主義者が政府を転覆させようとしているというウソの嫌疑を振りかざし、3人を憲兵隊司令部に連行して殺害。遺体を井戸に遺棄した。

この事件は新聞で報道されたりしたことから明るみに出て、甘糟ら5人は軍法会議にかけられ、甘糟は懲役10年の判決が出され収監されたが、わずか3年で出獄。その後は満州に渡って関東軍の特務工作に従事し、満州映画協会理事長に就任。しかし、終戦から数日後、責任追及を恐れたのか現地で服毒自殺している。

甘糟事件と同様、関東大震災の混乱に乗じて起こされた事件はほかにも、労働組合活動をしていた社会主義者10人が陸軍の兵士により殺害された「亀戸事件」がある。

 

軍隊による虐殺事件だけではない。関東大震災では多くの朝鮮人が殺害された。中国人も殺されている。きっかけは地震の直後から流れた流言、いわゆるデマだった。

朝鮮人共産主義者が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が武器を持って襲ってくる」など根拠のないウソの情報が広がり、それを信じた官憲や自警団などが朝鮮人を虐殺する事件を各地で起こした。

流言は震災直後の1日から飛び交っていて、2日の昼ごろまでには東京市横浜市全域に伝わっていったという。これには住民の口伝えだけではなく、国や新聞も加担していた。

国の治安のトップである内務省警保局長は「朝鮮人が各地で放火し、爆弾を持っている者もいるので厳重に取り締まるように」という通知を全国に発信。国が流言を公式に発信したことで、市民をたきつける結果となった。さらに、新聞も流言をうのみにして、ウソの記事を次々に掲載。殺戮はエスカレートしていった。

こうして、流言を信じ、こん棒や日本刀、銃などで武装した市民による自警団と称する暴徒、場所によっては警察、軍が、朝鮮人それに中国人を殺傷した。犠牲者の正確な数は掴めていないが、国の中央防災会議がまとめた報告書によれば殺傷事件による犠牲者の数は震災による死者数の1~数%にあたると推測している。10万人のうちの1%としても1000人にのぼる。

中央防災会議といえば内閣総理大臣を長として内閣府に事務局を置く国の機関。その中央防災会議がはっきりと朝鮮人虐殺を認める報告をしているのに、内閣府の上に立つべき松野内閣官房長官は「事実関係が把握できる記録が見当たらない」と平気で公式答弁を行い、調査する気もないらしい。

国の責任者による歴史の捏造つまりウソは、流言飛語以上に悪質だ。

 

今は故人となっている俳優座創始者のひとり千田是也が、関東大震災の直後に朝鮮人と間違われて暴行を受けたというので、「千駄ケ谷のKorean」で「センダ・コレヤ(千田是也)」を芸名にしたというのは有名な話だ。

彼は当時19歳の学生。東京・千駄ケ谷に住んでいたが、震災の直後、朝鮮人の集団が日本人を襲っているという流言を信じて杖を手に街に飛び出したところ、反対に朝鮮人に間違えられて竹やりやこん棒で武装した男たちに暴行を受けた。たまたま彼を知る人が通りかかったので助かった。

後日、「朝鮮人が暴動を起こした」というのは政府や軍部が流したデマと知って愕然となり、もしかしたら自分も加害者になっていたかもしれないという自戒の念を込めて、「千田是也」としたのだという。