善福寺公園めぐり

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きのうのワイン+映画「サン・スーシの女」「離愁」

イタリアの赤ワイン「ゾーニン・クラシチ・カベルネ・フリウリDOC(ZONIN CLASSICI CABERNET FRIULI DOC)2022」

ゾーニンは1821年創業でイタリア最大規模の家族経営のワイナリーという。北はピエモンテ州から南はシチリア州までの7州にわたりワインづくりを行っていて、アメリカ (ヴァージニア州)とチリ(マイポ・ヴァレー)にもブドウ畑とワイナリーを所有している。

 

フリウリ(フリウリ=ヴェネツィア・ジューリア州)はイタリア北東部に位置し、東はスロヴェニア、北はオーストリアと国境を接し、アドリア海にも面しているところ。白ワインで有名だがもちろん赤ワインもつくっている。

ブドウ品種はカベルネ・フランカベルネ・ソーヴィニョン。

 

ワインの友で観たのは、民放のCSで放送していたフランス・西ドイツ合作の映画「サン・スーシの女」。

1982年の作品。

原題「LA PASSANTE DU SANS-SOUCI」

監督ジャック・ルーフィオ、出演ロミー・シュナイダーミシェル・ピコリ、ヘルムート・グリーム、ジェラール・クラインほか。

ナチズムの時代と現代を交錯ながら過酷な運命に翻弄された人々を描き、ロミー・シュナイダーの遺作となったドラマ。

 

1981年のフランス・パリ。保険会社社長にして世界人権擁護委員会の代表者マックス(ミシェル・ピッコリ)は、南米パラグアイの大使と面談中にいきなり相手を射殺。法廷の場で、彼は1933年のベルリンにさかのぼる長い物語を語り始める。

ナチス政権下のベルリンで、ユダヤ人の父親をナチスに殺された10歳のマックスは、両親の友人で反ファシズムの出版社を営むミシェル(ヘルムート・グリーム)と妻でソプラノ歌手のエルザ(ロミー・シュナイダー)夫婦に保護される。ところが夫のミシェルにナチスの追及の手が伸びてきて、ミシェルはエルザとマックスをパリへ逃がすが・・・。

 

原作はジョセフ・ケッセルの小説で本作の原題と同じタイトルの「LA PASSANTE DU SANS-SOUCI」。小説は1936年の出版で、映画では1981年の話が盛り込まれているからかなり脚色されているのだろう。

原題のタイトルは直訳すると「サンスーシの通行人」となるが、「過ぎ去りしサンスーシ」といった意味か。

サンスーシとは、パリにあるカフェの名前。

映画で描かれる1933年とはどんな年かというと、ドイツではこの年の1月、ヒットラーが首相となって瞬く間にドイツを一党独裁国家にして、出版、言論、結社の自由を含む個人の自由を奪って恐怖政治を押し進め、対外的には公然とヴェルサイユ体制打破を掲げて再軍備を強行し、隣国であるフランス侵攻を準備する形勢を整える。

これに対してフランスでは、ファシズムに反対する人民戦線の動きが活発になる一方で、ナチスに呼応するようにファシズム勢力が台頭してきて、30年代後半にはナチスに融和的な政権が登場するようになっていく。

1933年当時、サンスーシはナチス政権下のドイツから逃れてきた亡命ユダヤ人や反ナチの活動家らのたまり場になっていた。サンスーシの意味は「憂いなし」だが、18世紀にプロイセン(今のドイツ)に建てられたサンスーシ宮殿という有名な建物があり、その名前にあやかることで亡命活動家たちの隠れ蓑として使ったのかもしれない。

 

本作では、ロミー・シュナイダーが成長して大使を射殺するマックスの妻リナと、子どものころのマックスを保護し育てたエルザの2役を演じている。

夫と別れてマックスとともにパリに逃れてきたエルザは、夫のミシェルのその後を心配するが、捕らえられ収容所に入れられたミシェルは釈放されてパリにやってくる。

パリで再会するエルザとミシェル。エルザはミシェルを反ナチの活動家らが集まるサンスーシに連れていくが、こっそり2人を追ってきたのがパリのドイツ大使館に勤務する秘密警察の男。

彼はミシェルを釈放させてパリで待ち受け、あとを追ってきたのだった。

2人はサンスーシの前でタクシーを降りたところをその男に射殺され、サンスーシの存在もわかってしまう。

2人を追ってきたドイツ大使館の男こそが、のちに南米に逃亡して大使となった男であり、成長したマックスは殺された2人にかわって復讐の銃弾を浴びせたのだった。

 

エルザとミシェルがパリで再会し、タクシーでサンスーシに向かう途中、走る車内で互いの愛を確かめ合うシーンが何とも美しい。

パリのレストランで、少年のころのマックスがヴァイオリンで「亡命の歌」を弾くクリスマス・ディナーのシーン。息子のように育てたマックスの演奏を聴きながら、エルザの慈しむような表情と頬を流れる一筋の涙は、喜びか、悲しみか、その両方が伝わってくる。

本作は、原作を読んで惚れ込んだロミーが自らジャック・ルーフィオ監督に企画を持ちかけて実現した映画という。

彼女はドイツ生まれ(正確にはオーストリア・ウィーンの出身だが、当時はドイツに併合されていた)でドイツ育ちの女優だが、若いころ、清純な乙女役ばかりを押しつけるドイツ映画界への失望や、両親との確執もあってフランスに活躍の場を移している。

ナチスの映画に多く出演しているのは、自分がナチスについて無知だったことへの反省の気持ちもあるようだ。

ところが、本作の撮影に入る直前、彼女の14歳になる息子が事故で亡くなってしまう。このため製作が危ぶまれる事態ともなったが、自身が企画し、演じることにこだわりがあった作品だっただけに、息子の死から3カ月後、撮影は開始された。

映画の中での10歳の少年が弾くヴァイオリンに涙するロミーの目には、亡くなった息子の姿が映っていたかもしれない。

そして彼女自身も、本作が公開されてからわずか1カ月後の1982年5月、突然の心不全で帰らぬ人となる。43歳という若さだった。

 

ところで、本作の終わりの方では、裁判所の前で、無罪の判決を勝ち取った夫のマックスを待つ妻のリナにネオナチの男2人が近づいてきて、一人が彼女にツバを吐きかけて去るシーン(ネオナチの1人の役はジャン・レノでこれが映画初出演だとか)があった。

また、最後のシーンでは「その後2人は殺された」とのテロップが流された。

ファシズムが、過ぎ去った遠い昔の話ではなく、今日の問題であることを伝えたかったに違いない。

 

ついでにその前に観たのもロミー・シュナイダー主演の映画で、「サン・スーシの女」の8年前、ということは彼女が35歳ぐらいのときの作品。

民放のCSで放送していたフランス・イタリア合作の映画「離愁」。

1973年の作品。

原題「LE TRAIN」

監督・脚本ピエール・グラニエ=ドフェール、出演ロミー・シュナイダージャン=ルイ・トランティニャン、ニケ・アリキほか。

メグレ警視シリーズで推理作家としても知られるジョルジュ・シムノンナチス・ドイツのフランス侵攻を描いた同名小説(1961年)を映画化。

感動的なラストシーンのためにつくられたような作品。

 

第二次大戦下の1940年、北部フランスの村に住むジュリアン(ジャン=ルイ・トランティニャン)は、戦火を避けるため妻と子どもを連れて故郷を去らねばならなかった。村人たちとともに列車に乗ろうとすると、女と子どもたちは客車へ、男たちは貨車へと、家族は離ればなれとなる。

列車が出発すると、途中で避難民が乗り、ナチスの手から逃れてきたドイツ生まれのユダヤ人アンナ(ロミー・シュナイダー)も乗り込んできた。

身動きできない列車の中で、道ならぬ恋と知りつつ心を通わせ合い、愛を深めていく2人。やがて列車は目的地に到着するが、ユダヤ人のアンナは当局に捕まる恐れがあるあるというので、ジュリアンはアンナを自分の妻と偽って検問所を通過するが、彼女は、ジュリアンが本物の妻に会いに行っている間に姿を消してしまう。

それから3年後、ドイツ占領下のフランス。妻の名前を騙っている女がいる、というので秘密警察に呼び出されると、そこにいたのはアンナだった・・・。

 

邦題は「離愁」だが、原題は「LE TRAIN」、つまり「列車」であり、ほとんど蒸気機関車が引っ張る列車内で進行する男と女の物語。しかし、それは、ラストシーンのために用意された長い物語だった。

ラストシーンは、秘密警察に捕まったアンナとジュリアンの再会シーンだ。

ジュリアンはラジオ修理の職人であり、ド近眼でメガネを手放すことができず、ケンカもあまり強くなさそうな、普通の男。妊娠中(映画の終わりのほうで男児を出産)の妻と小さい女の子がいる。

ラストシーンでアンナと再会したとき、実は彼女はレジスタンスに加わった活動家だったとわかる。

秘密警察の尋問官は2人の関係を疑う。もし互いが知り合いであるとわかれば、ジュリアンもレジスタンスの一員として捕まってしまう。「そんな人は知らない」といえば、彼はまた普通の生活を続けることができる。

いったんは黙ったまま立ち去ろうとしたジュリアンだったが、ドアを開けようとして足がとまる。振り返り、アンナの元に歩み寄って彼女の顔を両手で包み込むジュリアン。彼に身を寄せて慟哭するアンナ。

そこでストップモーションとなり、映画は終わる。

 

レジスタンスに身を投じたアンナと、そんな彼女に寄り添おうとするジュリアン。2人はそこで究極の愛を誓ったのだった。究極の愛とは、自由に生きようとするのを阻むファシズムに抗して愛を貫くこと――ラストシーンはそう語っている。