イタリア・プーリアの赤ワイン「ネプリカ・プリミティーヴォ(NEPRICA PRIMITIVO)2022」
1385年からというイタリア最古のワイン生産者アンティノリがイタリア南部のプーリアで立ち上げたワイナリー、トルマレスカの赤ワイン
ネプリカとはネグロアマーロ、プリミティーヴォ、カベルネ・ソーヴィニヨンの頭文字をとって名づけられた3種類のワインシリーズで、きのう飲んだのはプーリアの土着品種プリミティーヴォ100%。
適度に渋みがあり飲みやすいワイン。
ワインの友で観たのは、民放のCSで放送していたスペイン・アルゼンチン合作の映画「コンペティション」。
2021年の作品。
現代「OFFICIAL COMPETITION」
監督・脚本ガストン・ドゥプラット、マリアノ・コーン、出演ペネロペ・クルス、アントニオ・バンデラス、オスカル・マルティネス、ホセ・ルイス・ゴメスほか。
華やかな映画の世界の裏側で繰り広げられる監督と俳優2人の三つどもえの“戦い”を皮肉たっぷりに描いたドラマ。
大富豪だが誰からも尊敬されない80歳の老人が、せめて生きているうちに自分のイメージアップを図ろうと映画製作を思いつく。飲酒運転事故を起こして両親を死なせた兄を許せない男を描いたノーベル賞作品を原作にしようと決まるが、もちろん老人は読んでない。
監督は、変わり者でちょっとイカれてるが天才監督と評判のローラ(ペネロペ・クルス)を指名。主演俳優の1人は、世界的スターだが演技の実力はあまりないフェリックス(アントニオ・バンデラス)、もう1人は、実力十分のベテラン舞台俳優だが華のないイバン(オスカル・マルティネス)。
奇想天外な演出理論を振りかざす監督と、スターと老練俳優のそれぞれ自分の演技法に固執する2人の主演俳優はことごとく反りが合わず、ぶつかり合い、クランクイン前の台本読みの段階から思わぬ事態に見舞われていく・・・。
本作は、出だしからして美しいデザインのモダニズム建築が映し出され、ついついそちらが気になってしまう。俳優の演技もモダニズム建築の中で行われる。
調べてみたら、撮影地はマドリードから少し離れた位置にあるサン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアルとアビラというところで、前者は世界遺産の修道院で有名な町であり、後者も「城壁と聖人の町」として知られ世界遺産に登録されている。
前者の町にはマドリッドを拠点とするピカド‐デ・ブラス(Picado-De Blas)という建築スタジオが設計したオーディトリアム劇場があり、ほとんどをそこで撮影している。
ただし、建物をそのまま使ったのではなく、建物内部の映像に出てくる建築空間は20世紀のモダニズム建築を代表するドイツの建築家、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエが1929年のバルセロナ万博のドイツ館として建てたバルセロナ・パビリオンを模してつくられたセットであり、三つどもえの“対決”シーンはそこで撮影されたという。
水平と垂直で構成する無機質だが美しい空間。
登場する3人の監督と俳優はときに遠景で描かれていたが、それまでの石造りやレンガ造りの制約から解き放たれ自由な空間をめざすモダニズム建築と対比させることで、瑣末なエゴと虚栄心のために争い、憎み合う人間の小ささを表現しようとしたのだろうか。
それにしても、物語もおもしろかったが、同時に建築にも目がいってしまう映画というのも滅多にない。ひょっとして建築はただの背景ではなく、“もう一人の役者”なのかもしれない。
監督のガストン・ドゥプラットとマリアノ・コーンの2人は、モダニズム建築と人間との対比が好きみたいで、2009年に共同でつくった「ル・コルビュジエの家」というサスペンスタッチの映画の舞台は、コルビュジエが設計したブエノスアイレスにあるクルチェット邸。普段は資料館として公開されているこの邸宅にアルゼンチンの現代アートを配置して撮影されたんだとか。
民放のCSで放送していたフランス映画「太陽が知っている」。
1969年の作品。
原題「LA PISCINE」
監督・脚本ジャック・ドレー、出演アラン・ドロン、ロミー・シュナイダー、モーリス・ロネ、ジェーン・バーキンほか。
真夏の日射しが降りそそぐ南仏サン=トロペ。別荘で優雅にバカンスを過ごしていたジャン゠ポール(アラン・ドロン)とマリアンヌ(ロミー・シュナイダー)だが、マリアンヌが招待したハリー(モーリス・ロネ)と娘ペネロープ(ジェーン・バーキン)がやってきてから雰囲気は一変する。
ハリーはマリアンヌの元恋人であり、作家としていまだ鳴かず飛ばずのジャン゠ポールは、音楽業界で成功したハリーに劣等感と、そして憎悪を抱いていた。
緊張をはらんだ怠惰な夏の時間はゆっくりとすぎていき、やがて事件が起こる・・・。
4Kをマスターとした2Kダウンコンバート放送。
邦題の「太陽が知っている」は、明らかに「太陽がいっぱい」にあやかろうとしているが、原題の直訳は「プール」。本作の9年前の「太陽がいっぱい」とはまるで関係ない。
冒頭のクレジットタイトルからして、出演者やスタッフの名前が水の上でプカプカ浮いてる感じで、「この映画のポイントはプールですよ」と暗にいってる。
しかし、監督が「太陽がいっぱい」を意識しているのはたしかで、太陽を全身に浴びてプールサイドで寝そべっているポール役のドロンがまず映り、遠くから名前を呼ぶ声に起き上がるシーンから映画は始まる。
どこかで見たことあるなと思ったら、ルネ・クレマン監督でアラン・ドロンとモーリス・ロネが共演した「太陽がいっぱい」のラストが、ギラギパした太陽が照りつける中で寝そべっているリプリー役のドロンが遠くから呼ぶ声に起き上がるシーンだった。
まるで「太陽がいっぱい」の続編みたいな映画の出だしで、監督もなかなかニクイことをやる。
しかも相手役というか敵役が「太陽はいぱい」と同じモーリス・ロネとくれば、いうことなしだし、内容もどこか似ている。
ただし、「太陽がいっぱい」のヒロインはマリー・ラフォーレだったが、本作ではロミー・シュナイダー。
ドロンとロミー・シュナイダーは私生活ではくっついたり離れたりいろいろあった仲で、本作は彼女にとって因縁の作品のようだ。
ドイツ出身で15歳で映画に出演して以来、ヨーロッパを代表する女優に登りつめたのが彼女だが、1958年に最初に共演した映画のあと、ロミーはドロンと恋に落ちる。
この当時ロミーは人気女優として絶頂期にあり、一方、ドロンはまだ無名といっていい存在。彼が大スターになったのは「太陽がいっぱい」の成功以後だ。
ドイツで人気女優だった彼女はドイツを離れてフランスに行ってドロンと同棲するが、このときロミー19歳。ドロンは3歳年上。一時は婚約にまで至るが、ドイツでは祖国を裏切った女優というので人気は凋落。ドロンがスター街道を駆け上がる中で亀裂が生じ、交際して4年後、破局に至る。
ドロンは他の女性と結婚し、ロミーは14歳年上の妻子あるドイツ人舞台演出家と交際し、妊娠。彼の離婚が成立して27歳のとき結婚するが、ドイツでは「またもやふしだらな行為」というので非難ごうごうだったらしい。
彼の演出家としての仕事もうまくいかず、彼女も映画から遠ざかったことで忘れられかけた存在になってたという。
そこに手をさしのべたのがドロンだった。彼は、本作の相手役にロミーを指名。ロミーにとって久しぶりのヒット作となり、彼女は劇的なカムバックを果たす。
その後も1972年に「暗殺者のメロディ」で再度ドロンと共演するなど、数々の映画に出演してドイツではなくフランスのトップ女優となるが、1982年、43歳で急死。死因は心不全で、自然死と診断されたが、自殺とも疑われるような亡くなり方だったといわれる。
彼女が亡くなるまでドロンとは友人同士だったのだろう、葬儀はドロンの手配で行われたという。