善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「トゥルーマン・ショー」「抜き射ち二丁拳銃」「ことの次第」

オーストラリアの赤ワイン「ピーツ・ピュア・シラーズ(PETE'S PURE SHIRAZ)2023」

オーストラリアの東南部に位置するニュー・サウス・ウェールズ州のワイナリー、ピーツ・ピュアのワイン。

シラーズを中心に、プティ・ヴェルド、シャンブルサン、デュリフなど複数のブドウをブレンド。飲みやすくてコスパもいい。

 

ワインの友で観たのは、民放のBSで放送していたアメリカ映画「トゥルーマン・ショー」。

1998年の作品。

原題「THE TRUMAN SHOW」

監督ピーター・ウェアー、出演ジム・キャリーエド・ハリスローラ・リニー、ノア・エメリヒ、ナターシャ・マケルホーンほか。

生まれてからの全人生をカメラで撮影され、リアリティー番組として流されていた男が真実に気づく物語。

 

離れ小島のシーヘブンで生まれ育った保険会社のセールスマンのトゥルーマンジム・キャリー)は、生まれてから一度も島から出たことがない。じつはシーヘブンはテレビのセットで、彼の生活は生まれたときからの毎日24時間すべてをテレビ番組「トゥルーマン・ショー」で全世界に向けて生中継されており、住民も妻や親友に至るまで全員が俳優なのだ。

番組の演出家であるクリストフ(エド・ハリス)によって人生をコントロールされ、本人は知らないまま世界中の人に見られていたトゥルーマン。人のいい笑顔の裏で、まわりの様子に疑問を感じ始めた彼は・・・。

 

脚本は「ガタカ」(1997年)の監督で脚本も書いたアンドリュー・ニコル。当初、彼が監督もする予定だったが、巨額のギャラのジム・キャリーが主演することとなったため、監督経験の少ないニコルでは心もとないと外され、経験豊富でアカデミー監督賞のノミネート経験もあるピーター・ウィアーに差し替えられたという。

しかし、本作は「脚本の勝利」といっていいほどの作品。生まれたときからウソの世界で育てられ、住んでるところはセットで、まわりはみんな、両親も妻も親友も、俳優が演技してやっている・・・。奇想天外というより荒唐無稽、そんなバカな!と思う話なのに、見ていると引き込まれていくから不思議。脚本がうまく書けているゆえだろう。

コメディーなので大いに笑わせる作品だが、風刺がきいている。見ていると、実は主人公のトゥルーマンとは、映画を見ている自分のことではないかと思い始めてしまう。

そして、自問自答するのだ。

自分の人生は本当の人生なんだろうか? 

実はまやかしの世界に生きているのではないだろうか?

 

いや、それよりも怖いのは、主人公の一挙一投足は張りめぐらされた5000台のカメラですべて観察されているということだろう。

まさしくそれは街中に監視カメラが張りめぐらされている現代社会と同じではないか。しかも、街中に設置されたカメラによって常時、監視されていても、始めのころは「プライバシーの侵害では?」と違和感を覚えていたわれわれ自身、今や何も感じなくなっている。

そればかりではない。映画の「トゥルーマン・ショー」とまったく同じに、一般の人の一部始終を隠し撮りのようにカメラで追い、右往左往する姿を高みの見物で覗き見するように楽しむリアリティー番組なるものが、今、人気だという。

そうした番組に「のぞかれる側」として出たい人も多いというから、他人のプライバシーをのぞき見たいという願望とともに、「のぞき見されたい」と思う人も増えているということなのか。

だが、こうした番組は「やらせ」の疑惑も絶えないといわれる。リアリティといいながら、実はウソの自分を見せたいだけなのだろうか?

 

本作では、みんながウソとまやかしでトーゥルーマンをもてあそぶ中で、唯一の救いはトゥルーマンの初恋の相手であるシルビア(ナターシャ・マケルホーン)の存在だ。

もともとは彼をだます側の俳優だったが、いつしか彼に本気で恋をしてしまい、リアリティーショーの真相を彼に教え、「私を探して」といい残して去り、彼を待ち続けているシルビア。

シルビア役のナターシャ・マケルホーンはイギリスの俳優で両親はアイルランド人。舞台出身で、24歳のときの1995年、野外公演での「リチャード三世」の演技に注目した映画監督のジェームズ・アイヴォリーが、彼が監督する「サバイビング・ピカソ」(1996年)に彼女を抜擢。この作品で映画主演デビューを果たし、ピカソ役のアンソニー・ホプキンスと共演して一躍評判となりトップスターの仲間入りをしたという。

本作のとき26歳。たとえ一人になったとしてもウソを見破り真実を求めることの大切さを教える役どころで、そのまなざしが印象的だった。

 

ついでにその前に観た映画。

NHKBSで放送していたアメリカ映画「抜き射ち二丁拳銃」。

1952年の作品。

原題「THE DUEL AT SILVER CREEK」

監督ドン・シーゲル、出演オーディ・マーフィー、スティーブン・マクナリー、フェイス・ドマーグほか。

ゴールドラッシュに沸くカリフォルニア。金の採掘場を荒らすギャングによって父親を殺されたルーク(オーディ・マーフィー)は、父の復讐を誓い、シルバー・キッドと異名をとる早撃ちガンマンとなって町へやってくる。

彼は保安官タイロン(スティーブン・マクナリー)の助手となり、捜査を続ける。そしてついに強盗団の首領の正体が明らかになるが・・・。

 

数々の西部劇で活躍したオーディ・マーフィーが早撃ちガンマンを演じる西部劇。監督は「ダーティハリー」などのドン・シーゲル

西部劇スターの早撃ちランキングでは、1位は「平原児」のゲイリー・クーパーの0・4秒、2位は「シェーン」のアラン・ラッドの0・6秒とかいわれるが、一番の銃の名手はオーディ・マーフィーではないかともいわれている。なぜなら、彼は戦場で銃を使っての抜きんでた実践経験があるからだ。

第2次世界大戦での戦功がすごい。

アイルランド系移民の子として1924年テキサス州キングストンで生まれるも、家は貧乏で生活が苦しく、小学校を中退後に職を転々として家族を支え、1942年に陸軍に入隊してヨーロッパに従軍。名誉勲章をはじめとする多数の勲章を受章する。

初陣は1943年のシチリアでの戦いで、シチリアに到着後間もなく、馬に乗って逃亡中のイタリア軍の将校2名を追跡の末に殺害し、この功績により伍長に昇進。19歳のときだ。

イタリア本土に侵攻すると、夜間パトロール中にドイツ兵と遭遇。3名のドイツ兵を殺害し、数人を捕虜にし、軍曹に昇進。

南フランスでの戦闘でもドイツ兵を殺害するなどして戦功をあげ、多数の勲章を授与される。

1945年7月には「最多勲章兵士」としてLIFEの表紙を飾ったことで有名になり、戦争が終わると陸軍中尉として予備役に編入され、除隊。このとき彼は21歳で、その後、俳優に転じるが、テキサス州兵となったりして、1969年には退役済予備役ながら陸軍少佐になっている。

そんなオーディ・マーフィーが映画スターになってまもないころの作品が本作。早撃ちのガンマン役で、邦題も「抜き射ち二丁拳銃」とあるので期待して見たが、風のようにあらわれて二丁拳銃で敵をバッタバッタと倒して去っていく、といったような胸のすくような映画ではなかった。たしかにルークは腰に二丁の拳銃を下げているものの、一度に両方を使うわけではなかった。

それもそのはず、原題の「THE DUEL AT SILVER CREEK」とは「シルバーリークの決闘」。最後の見せ場は岩陰に隠れながらの悪党たちとの銃撃戦だった。

それに主演はオーディ・マーフィーというが、どう見ても主役は出ずっぱりの保安官タイロンのように見える。しかし、格としてはこの映画のときまだ28歳の若きオーディ・マーフィーのほうが上だったのだろう。

 

民放のCSで放送していた旧西ドイツの映画「ことの次第」。

1981年の作品。

原題「DER STAND DER DINGE」

監督・共同脚本ヴィム・ヴェンダース、出演パトリック・ボーショー、イザベル・ベンガルテン、サミュエル・フラーロジャー・コーマン、アレン・ガーフィールドほか。

ドイツ人映画監督のフリッツ(パトリック・ボーショー)はアメリカ資本により1950年代のSF映画のリメイクをポルトガルの海岸で撮影している。ところが、資金が底をつき、フイルムもなくなってしまい、撮影を続けたくてもできなくなって立ち往生するはめになる。

プロデューサーのゴードン(アレン・ガーフィールド)はしばらく前に撮影済みのフィルムを持って追加の資金集めのためアメリカのロサンゼルスに行ったが、帰ってこない上に連絡もつかない。撮影は中止され、現地でだらだらとすごすことになる俳優やスタッフたち。

フリッツは業を煮やしたあげく、自らロスに飛ぶが、実はゴードンは組織からお金を借りて映画の資金にしたものの、モノクロ映画では成功しないといわれて借金返済を迫られ、組織から逃げ回っているらしい。

映画製作の続行は絶望的な状況だったが、それでも諦めきれないフリッツはゴードンを捜して街をさまよう・・・。

 

ヴィム・ヴェンダース監督の映画製作への苦悩というか思いが投影したような作品。

当時西ドイツを中心に映画づくりをしていた新進気鋭の監督ヴィム・ヴェンダースは、フランシス・コッポラから声をかけられ、コッポラがプロデュースしてアメリカ資本でつくる「ハメット」撮影のためハリウッドに乗り込む。しかし、製作方針をめぐってコッポラと対立。脚本は3度にわたって書き直され、これに製作費の高騰もくわわって撮影は何度も中止の憂き目にも遭い、1982年の公開までに7年が費やされたという。

撮影の度重なる中断の際につくったのが本作。まさしく「ハメット」撮影のトラブルを題材にしたような作品で、もともと「ハメット」を白黒で撮影したいと思っていたヴェンダースだったがそれが叶わなかったため、当てつけのためか本作は白黒作品であり、ハリウッドでの映画製作がうまくいかない中での彼の不安や苦悩が本作のテーマともなっている。

映画づくりについての彼の考えがところどころに出ていて、それがおもしろい。

たとえばこんなセリフ。

「だからいっただろ?昼に夜を撮ることがそもそも間違いなんだ」

「自然は光と影にすぎない。カラーより白黒のほうがリアルなんだ」

プロデューサーのゴードンと監督のフリッツの会話。

ゴードン「話をおもしろくしろ。映画には物語が必要なんだ」

フリッツ「必要ないさ。映画は人物と人物の空間でつくられる。それがリアリズムだ」

まるでコッポラとヴェンダースの会話のようにも聞こえるんだが・・・。

度重なる撮影中断をへてようやく完成した「ハメット」は酷評され、興行的にも失敗。一方、中断の合間につくられた「ことの次第」はヴェネツィア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞している。

原題の「DER STAND DER DINGE」とは直訳すると「現状」とか「状況」といった意味で、まさしく「ことの次第」ということになる。

 

ちなみに、本作のロケ地となったポルトガル・シントラのホテルは廃墟と化した建物みたいに描かれているが、1966年に建てられたアリバス・シントラ・ホテルで、1996年に全面改装され、今はオーシャンビューのホテルとして人気のようだ。