「未来世紀ブラジル」「バロン」などで知られるテリー・ギリアム監督の映画を2本、立て続けに観た。
観て思ったのが、子どものころの心を持ち続けることの大切さだった。
子どものころに抱いた夢とか空想とかの、いゆる子ども心。それは大人になったらもう忘れていいものではなく、人間が人間として生きていく上でずっと持ち続けるべきものなのだと、ギリアム監督の映画を見て思ったのだった。
まずテレビで観たのが、民放のBSで放送していたイギリス・カナダ合作の映画「Dr.パルナサスの鏡」。
2009年の作品。
原題「THE IMAGINARIUM OF DOCTOR PARNASSUS」
監督テリー・ギリアム、出演クリストファー・プラマー、ヒース・レジャー、ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレル、リリー・コールほか。
人々の隠れた欲望を形にする魔法の鏡「イマジナリウム」を出し物に一座を率いて旅するパルナサス博士(クリストファー・プラマー)は、かつて一人娘を16歳の誕生日に悪魔に差し出すことを条件に永遠の命を手に入れていて、すでに1000歳を超える年齢となっていた。
娘ヴァレンティナ(リリー・コール)は美しく成長していて、16歳の誕生日まであと3日というとき、博士は彼女に想いを寄せる曲芸師アントン(アンドリュー・ガーフィールド)、新たに一座に加わった青年トニー(ヒース・レジャーほか)とともに、悪魔との最後の賭けに出る。
魔法の鏡の中は摩訶不思議なファンタジーの世界。現実世界と妄想世界を行きつ戻りつの複雑な物語が展開されていく・・・。
本作を撮影中に、主役であるトニー役のヒース・レジャーが薬物の過剰摂取により急死してしまうという緊急事態。このとき、ヒース・レジャーの現実世界での登場場面は撮影を終えていたという。そこでギリアム監督は、トニーが鏡の向こうの妄想世界に入り込んだとき同伴した客の希望の顔に変身するというアイデアを思いつき、脚本を書き直す。
代役として出演したのがジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルといった大物俳優。3人は未撮影場面でのレジャーの役に交代で扮して作品を完成させた上、出演料はレジャーの当時2歳の遺児に寄付したという。
鏡の中の妄想世界がファンタジーに満ちていて楽しい。2009年の作品なのでCG技術は発達しているから、当然ほとんどの場面はVFXのはず。しかし、ギリアム監督のCG作品はまるで場末の見世物小屋みたいな手づくり感があって、幻想の世界なんだけどどこかリアリティーがある。
そんな彼の作品に惹かれるのはどうしてだろうと思っていたら、翌日、銀座のエルメスビル10階のプライベートシネマ「ル・ステュディオ」で、ギリアム監督の映画づくりをドキュメンタリーで追った映画を観て、その“秘密”の一端がわかった気がした。
ギリアム監督は1940年アメリカ生まれの今年82歳。父親はコーヒーの訪問販売員をしていてのちに大工に転職。ギリアム監督は3人きょうだいの長男だったという。大学卒業後はアニメーターとなり、イギリスに渡ってコメディーグループ「モンティ・パイソン」のメンバーとなるが、ここでもテレビ番組でのシュールなアニメーションを担当していたという。
1975年に公開されたモンティ・パイソンによるイギリスのアーサー王伝説をもとにしたパロディ映画が監督としての初仕事。その後、「未来世紀ブラジル」(85年)「バロン」(88年)「12モンキーズ」(96年)「Dr.パルナサスの鏡」(09年)などの作品を発表している。
ギリアム監督が長年、映画化したいと願っていたのがドン・キホーテの作品だったという。
彼はドン・キホーテを「夢想家で理想主義者、ロマンティックかつ断固として現実の限界を受け入れようとはしない人物」と見ていて、ドン・キホーテと21世紀の世界からやってきたCM監督とを対峙させる作品を思いつく。
「広告業界の人間は夢を売るが、ドン・キホーテは夢を信じる。夢は世界を変える力を持ってい、ドン・キホーテの物語はそんな夢を信じる物語だ」と彼はいう。
ところが、いざ資金を集めて映画製作を始めるが、ロケを開始してわずか数日で撮影ストップ。結局、映画化を断念してしまう。
「ル・ステュディオ」で観たのは、2000年、ギリアム監督がドン・キホーテ物語の映画化に挑み、挫折するまでをとらえたドキュメンタリー映画だ。
題して「ロスト・イン・ラ・マンチャ」。
アメリカ・イギリス合作により2001年の作品。
ギリアム監督が映画化に挑んだ作品の題は「The Man Who Killed Don Quixote」。
ドン・キホーテ役にはフランスの俳優で「髪結いの亭主」などに出演したジャン・ロシュフォールが起用され、ロシュフォールは7か月をかけて英語を学び準備をしていた。21世紀からやってきたCM監督のトビー役にはジョニー・デップが起用された。
撮影は2000年9月、スペイン・マドリードの北にある不毛の景勝地バルデナス・レアレスで始まる。ところがここはNATOの軍用地に近く、軍用戦闘機が頻繁に頭の上を飛び交い、爆音の下での撮影となる。撮影2日目には洪水に襲われて撮影機材が流出し、またこれによって崖の色が変わってしまい、それまでに撮ったテープは使えなくなってしまう。
馬術経験のあるロシュフォールは馬に乗って演技を始めたが、その際に痛みが走り、歩けないほどとなったためパリに戻るはめに。医師の診察を受けると椎間板ヘルニアと診断され、結局、降板してしまう。
総製作費50億円を投入した空前の超大作のはずが、わずかクランクイン6日目にして製作は頓挫に追い込まれる。その顛末を追ったのが本作だ。
ちなみにこのときは映画化は挫折したが、その後、ギリアム監督は再チャレンジして、2019年に「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」(原題は「The Man Who Killed Don Quixote」のまま)」を完成させている。
このドキュメンタリーを見て何より印象的だったのが、映画づくり失敗の悲惨さ、無念さより、ギリアム監督の目の輝きだった。
彼がつくり上げた空想世界を撮影中のギリアム監督は、目をキラキラさせてうれしそうにその映像に見入っている。
本番の前に、テスト用としてハンディカメラで巨人が迫ってくるところを彼が撮影しているシーンがあるが、まるで子どものように嬉々としてファインダーをのぞいている。
このとき彼は日本の太鼓集団の「鼓童」のTシャツを着ていたが、「鼓童」のファンなのか、それとも漢字の文字が気に入ったのか?
それはさておき、このシーンを見て、ここにこそ彼の映画づくりの原点があるのではないか、と思ったのだった。
彼は子どものころ、おとぎ話が大好きな子どもだったという。
「お城とか騎士とかドラゴンとか、そうしたものを想像して遊んでる子どもだった。山や森に囲まれた田舎育ちで、そうしたものが身近に感じられたし、TVもなくラジオを聴いて育ったから、視覚的な想像力が養われたんだと思う」とインタビューを受けたときに自分の少年時代を思い出して語っていて、こうも付け加えている。
「今も子どものときと同じように遊んでいるだけだよ。それでギャラをもらっているんだけどね(笑)」
ヒトの特徴としてあげられるものに「ネオテニー」がある。
ネオテニー(neoteny)とは、動物において性的に完全に成熟した個体でありながら非生殖器官に未成熟な、つまり幼生や幼体の性質が残る現象をいう。「幼形成熟」「幼態成熟」ともいうが、これがほかの動物とヒトとの大きな違いの1つといわれる。
このように、子どもの特徴を保ったまま大人になるのがネオトニーだが、これは姿かたちが幼いままというだけではない。大人になっても遊び行動があらわれたり、年老いてきても見知らぬものへの興味や探索心を持ち続けたり、さらには寛容性を失わないことなども含まれるといわれる。ヒトは、ネオテニーにより、子どものような心を持ち続けたことで、進化の過程で生き残りや適応にプラスに働いたのではないかともいわれている
ヒトの特徴であるネオトニーを最大限発揮しているのがギリアム監督なのではないか。
彼の作品に魅力を感じるのは、現代人が失いかけている“子どもの心”を取り戻すからなのかもしれない。