晴れた日の朝、奥多摩へ紅葉ハイク。
武蔵御獄神社がある御岳山(929m)から日の出山(902m)を経由して、つるつる温泉で露天風呂を楽しもうというコース。
御岳山には何度か登ったことがあるが、最後に行ったのは20年ぐらい前。日の出山、つるつる温泉は初めてだ。
青梅行きの中央線で青梅へ。終点青梅で同駅始発の奥多摩行きに乗り換えるのだが、電車の遅れで青梅到着が遅れ、青梅発の電車に間に合わないところを、電車は待っていてくれた。遅れが原因だから当然といえば当然だが、助かった。
1、2分遅れで出発して、御獄駅到着は9時50分すぎ。
御獄駅9時58分発のバスでケーブルカーの乗り場滝本駅までは約10分。
ケーブル下バス停からコンクリートの坂道を3分ほど登って滝本駅へ。
ケーブルカーは10時台は00分、20分、40分と20分ごと。
このケーブルカー、正式名称を御岳登山鉄道といって、滝本駅-御岳山駅間の1107m、標高差423・6m、最大勾配斜度25度という関東一の急勾配を6分ほどで結んでいる。
御岳山は標高929mとけっこう高い山なんだが、ケーブルカーが到着する御岳山駅は標高831・0mなので、あっという間に高くまで登ったことになる。
10時30分、登山開始。
山では紅葉が進んでいた。
11時20分、御岳山山頂にある武蔵御獄神社着。
当初の予定ではケーブルカーを降りてすぐにあるビジターセンターに寄るはずだったが、行ったのは平日の月曜日で、この日はお休み。
ケーブルカーから降りて御獄神社まではおよそ45分ほど。
参道を登っていくとところどころにベンチがあり、カッパあり、フクロウあり。
途中にあった三柱社の前に不思議なオブジェがあった。
彫刻家・平井一嘉氏の「サイセイキ(再生樹)」という作品で、「青梅アートジャム2016」に出品されていたのをここに展示しているという。
水の流れをあらわしているような作品で、三柱社は豊年・豊作、家運隆盛のほかに水源の守護を司る“山の神”を祀っているので、それにちなんだものだろう。
下の方から社殿をのぞむ。
社殿手前の宝物殿前には畠山重忠像。
長崎平和公園の「長崎平和祈念像」で知られる北村西望の作。題して「清廉の武将 畠山重忠像」(1981年)。山頂に設置するためヘリコプターで運ぶ必要があり、このためブロンズではなく純度の高いアルミを使用し重さを軽くした白銀の像。
畠山重忠は平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した武将で、鎌倉幕府の有力御家人。武勇の誉れ高く、清廉潔白な人柄だけに「坂東武士の鑑」と称賛された。
畠山氏は名門秩父氏の嫡流として武蔵国留守所総検校職(むさしのくにるすどころそうけんぎょうしき)という行政官を代々つとめた家柄で、武蔵武士の総頭領的立場にあった。
畠山重忠が居城していたとされるのは埼玉県比企郡嵐山町の菅谷だが、御獄神社があった場所には御岳城というお城があり、ここにも畠山重忠が住んでいた可能性があるかもしれない。
「新編武蔵国風土記稿」という文化・文政期(1804年から1829年、化政文化の時期)に編まれた武蔵国(御府内を除く)の地誌によれば、建久二年(1191)に畠山重忠が杣保(そまほ、現在の奥多摩町、青梅市、羽村市一帯に比定されている地名)に領地を賜り、御岳山に城を築いたとされている。
つまり、御岳山に鎮座する御嶽神社を城塞化したのが御岳城というわけで、畠山重忠はここを東国支配の拠点のひとつとしたのかも?
東京都青梅市の西部の山間部を通って西多摩地域を南下する道筋は「秩父鎌倉古道」と呼ばれていたそうで、この道は秩父から鎌倉へと向かう近道になっていて、重忠は何度となくここを往来したのではないか、ともいわれているのだそうだ。
参道を登り切ったところにある拝殿前に鎮座している狛犬も、北村西望作。
1985年(昭和60年)の奉納。
総漆塗りの立派な拝殿。
拝殿の奥にある本殿を守る狛犬が変わっている。
よく見るととてもモダンなお顔をしているが、江戸時代のブロンズ製で、1783年(天明3年)の作と記されている。
狛犬といえば阿吽の形をして対になっている唐獅子というのが当たり前なのに、なぜ御獄神社の狛犬はニホンオオカミなのか?
次のような伝説がある。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の際、御岳山から西北に進もうとしたとき、山の邪神が白鹿と化して道をふさいだ。尊は山蒜(やまびる=野蒜)で鹿を退治したが、大山鳴動して霧が発生し道に迷ってしまった。そこに忽然とあらわれたのが白狼で、西北へといざなってくれた。そこで尊は白狼にこう言った。
「汝は大口真神(おくちまがみ)としてこの御岳山にとどまり、すべての魔物を退治せよ」
「ははー」というわけで、以後、大口真神は魔除け・盗難除けの神として広く知られ、親しみを込めて「おいぬ様」と呼ばれるようになったとサ。
時代背景としては、ニホンオオカミは今は絶滅したといわれているが、御岳山(だけでなく奥多摩の一帯)では一昔前までオオカミは人と共存して暮していて、人にとって怖い存在でもありながら、畑を荒らす害獣を食べてくれるありがたい存在でもあったのだろう。
もともと武蔵御獄神社は修験道の霊山であり、修行地であった。
今をさかのぼること1280余年前の736年(天平8年)、行基が東国鎮護を祈願してこの地にお堂を建て、蔵王権現を祀ったことに由来するとされていて、総本社は吉野金峰山寺の蔵王権現堂。古くから山岳信仰の対象となってきた。
行基といえば聖武天皇の時代に奈良の大仏建立の責任者となったことで知られる僧。行動範囲は機内までだっただろうから、まさか関東までやってくるはずはないが、エライお坊さんだけに全国各地にやってきたという伝説が流布しているのだろう。
それでも、行基が武蔵国の山の中に蔵王権現を祀ったというのが興味深い。蔵王権現を祀る総本社の吉野金峰山寺の開祖は役行者(えんのぎょうじゃ、本名は役小角とも)。行基は668年の生まれで、役行者は634年の生まれ。時代がほぼ同じで、しかも両者とも山岳修行から出た宗教者だが、行基は聖武天皇の覚えめでたき高僧だったのに対して、役行者は権力から異端視された修験道の開祖。そんな2人だが、ひょっとして交流があり、実は互いに通じ合っていたのかもしれない。
参道で見つけたつぶあん入りおやき。
皮が歯ごたえがあって、おいしかった。
昔ながらの茅葺き屋根の家。
御岳山からはほぼ平坦な道を行く。
日の出山到着は12時15分ごろ。
標高は御岳山とほぼ同じぐらいだから、時間にして45分ほどの散歩コース。
東京都青梅市御岳2丁目と東京都西多摩郡日の出町大字大久野の境界に位置する標高902mの山。
東側の関東平野の東京都心方面の眺望があり、そのため日の出山という名がついたといわれている。御岳山から見て日の出る方向にあることから日の出山という説もあるらしい。
景色を眺めながらの昼食。
山頂はまるで要塞のように岩で囲まれている。
ひょっとして御岳城の出城だったのかな?
12時30分ごろから下山開始。
ところが、つるつる温泉への下山道は下り一辺倒で、小石がゴロゴロしていて歩きにくい。その上、回りは杉林で眺望なし。ただ足元を気にして歩くだけの面白みのない下山だった。
もし、つるつる温泉方面から登ったとしたら、登り一辺倒でつらい山行となっただろうなー。
それでも、武蔵御獄神社から日の出山を経由してふもとまでの道は、道幅が広く、ほぼ一本道。ひょっとしてこの道は、かつての御岳城から鎌倉に通じる古い道であり、馬が走っていたかもしれない。
途中には馬頭観音があったが、これは馬の供養と交通の安全を祈願するものだ。
馬頭観音の隣には、ヤマトタケルノミコトが顎をかけて関東平野を見渡したという「顎掛岩」があった。
今は杉に覆われて見晴らしはよくないが、その昔は眺めもよく、畠山重忠も馬上からヤマトタケルノミコトの故事に思いを馳せながら関東平野を眺め、鎌倉をめざしたりしたのかもしれない。
そう思うと歴史のロマンを感じる。
つるつる温泉到着は14時ごろ。
1996年(平成8年)11月オープンの比較的新しい温泉。
地下1500mから汲み上げる温泉はアルカリ成分が高く、ひとたびお湯につかればお肌がツルツル、というのでつるつる温泉。
酷使した筋肉を揉みほぐしてゆったり。
やっぱり山登りのあとは温泉が一番だなー。
つるつる温泉からはバスで武蔵五日市駅へ。所要時間20分ほど。
16時6分発の立川行き電車で帰路につく。
晴天に恵まれ、平日だったので電車もバスも座れて、人もそれほど多くなく、快適な一日だった。