善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

トロールの森2016 フットパスプロジェクト

善福寺公園を中心に開催中の「トロールの森2016」のイベントのひとつ、青山学院大学総合文化制作学部鳥越研究室主催の道案内ワークショップ「西荻善福寺池 フットパスプロジェクト」に参加。長年善福寺に住んでいるが、知らなかったことばかりで発見の連続だった。
いくつになっても今まで知らなかったことを知るというのはうれしいものだ。

このワークショップは合計で2回行われていて、それぞれ違う2人の“道案内人”とともに異なるルートで西荻から善福寺池までを歩き、街の成り立ちや歴史をひもとく企画。
1回目は「湧き水と谷戸」をテーマに行われたが、きのう(20日)の第2回「神と祀り」をテーマとしたワークショップに参加した。

ちなみにフットパスとは19世紀後半にイギリスで始まったもので「自然や歴史文化(風景)を楽しむために歩くこと(foot)ができる散策路・小径(path)」を意味しているのだとか。

まずは地元の鎮守さま、井草八幡宮からスタート。
案内人は地元の歴史にも詳しい考古学者の寺田史朗さん。

その昔、江戸では富士山を神と崇める富士講が盛んだったが、井草八幡宮にもその痕跡が残っている。
参道から社殿に向かう途中に2対の灯籠があり、いずれも富士講の信者が寄進したもの。
「正八幡宮」の文字とともに「富士浅間宮」の文字が刻まれている。
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井草八幡宮の敷地の南の方には「小御岳石尊」という石碑があり、これも富士山信仰を証明するもの。
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今でこそ井草八幡宮源頼朝ゆかりの神社として八幡大神応神天皇)を祀っているが、その昔は富士山信仰の拠点でもあったのだろう。
同時に、神社の南はながらかに傾斜していてながめがいいから、太陽信仰の場でもあったのかもしれない。

青梅街道沿いにある「江戸向き地蔵」。
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青梅街道はもともと江戸城築城時に整備されたもので、その街道沿いに江戸を向いて造立されたためこう呼ばれている。

善福寺の墓地の道路脇にある「馬頭観音」。
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注目すべきは、元文5年(1740)の「銘勢至菩薩石塔」。碑文に「奉造立廿三夜 浄本地武州多摩郡遅野井村 念仏講中 善福寺 願主 浄誉善入」とある。
「浄誉善入」という人物とは何者か?
どうやらこの人は善福寺の坊さんのようで、浄土宗によくある名前という(善福寺は今は曹洞宗だが、その昔は浄土宗だった)。
元文5年といえば徳川吉宗の時代だから江戸時代中期。この浄誉善入という人はとても徳の高いお坊さんだったようで、江戸市中を托鉢して回っては浄財を集め、こうやって石塔を立てたり、善福寺川の7カ所に石橋を架け、供養塔を立てたりしていたという。(「坂の町・江戸東京を歩く」大石学著より)

大和市(おおわし)神社」
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大正14年(1925)の秋、このあたりに飛来した大鷲を鉄砲で仕留めたが、あまりの大きさに剥製として保存することになり、やがて村中で話し合ってこの剥製の鷲を御神体とする社(やしろ)をたてようということになってできたのが「大和市神社」。
毎年11月の酉の日には祭礼が行われ、熊手が売られていて、今も行われているという。
昔は祭礼時には芝居小屋がたつほどのにぎわいだったとか。

たしかに中をのぞくと大きな鷲の剥製が鎮座していた。

「善福寺稲荷」。
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社はこの先の階段をのぼった頂上にある。おそらくそこは23区でもっとも標高が高いところに違いない。
昔はまわりに高い建物もなく、絶景だっただろう。
ここからは文保2年(1318)、元応3年(1322)の板碑が出土している。いずれも鎌倉時代だ。

善福寺池上池の小島にある「市杵嶋神社」。
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建久8年(1197)江ノ島弁財天を勧請して創建したと伝えられる。頼朝が征夷大将軍となってから5年後のことだ。
この弁天様に詳しい地元の人が解説してくれたところによると、ここには龍神もまつられていて、弁天様のダンナさんだとう。しかも最強のパワーを持っているという。
一方、井の頭公園の弁天様や江ノ島の弁天様には龍神がいないので弁天様はさみしい思いをしていて、カップルが恋愛成就をお願いに行くと焼き餅やいて別れさせてしまうんだとか。ほんとかな。

浄誉善入がたてた石塔のひとつ「渡戸橋供養塔」。
善福寺池の上池と下池の間をとおるバス通りの下池側にある供養塔。昔はここに橋がかかっていたのだろう。
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橋供養塔とは、橋を境界線と見なして、疫病や災難などの悪いものが入ってこないように祈ったものと思われる。
願主の中に浄誉善入の名がある。
先ほど触れた7カ所の橋の供養塔の1つがこれだろう。

民家の敷地内にたてられた稲荷神社。
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とても立派。地元の人々の信仰の強さを物語っていた。