TOHO CINEMAS新宿で「ウエスト・サイド・ストーリー」を観る。
IMAXレーザーで観たので映像・音響ともに臨場感たっぷり。
スティーヴン・スピルバーグ監督による2021年の作品で、アーサー・ローレンツ、レナード・バーンスタイン、スティーヴン・ソンドハイムが1957年に発表したブロードウェイ・ミュージカルの2度目の長編映画。
映画の1作目(邦題は「ウエストサイド物語」)は1961年公開で、出演陣はナタリー・ウッド、リチャード・ベイマー、ジョージ・チャキリス、リタ・モレノほか。
あれから60年たってつくられた本作の出演は、トニーにアンセル・エルゴート、マリアには映画初出演というレイチェル・ゼグラー。
60年前の映画の記憶がいまだに鮮烈だけに、いくらスピルバーグといえどあれを超えるものはつくれまいと思って見にいったが、とても感動的な作品だった。
口笛で始まる序幕のシーンは昔の映画と変わらないが、映画の舞台であるウエスト・サイドのスラム街は、都市化と近代化のため古い家が次々と取り壊されていく工事の真っ最中。
移民たちが多く暮らすここでは、差別や貧困など社会への不満を抱えた若者たちが同胞の仲間と結束し、東欧系移民のグループ・ジェッツと、プエルトルコ系移民のシャークスとが敵対している。
序幕のシーンのあと、いきなりスペイン語の歌が出てきて驚いた。
プエルトリコ系のジャークス団の若者たちが歌ったのは、1961年版にはなかったスペイン語の中南米っぽい曲で、バーンスタインの曲ではない。
実はこの曲、プエルトリコの“国歌”である「ラ・ボリンケーニャ」。19世紀末までスペイン領だったプエルトリコの独立運動の中で生まれた革命歌だったが、アメリカの自治領となってからは歌詞の内容が過激すぎるというので1903年に歌詞が新しくなり「私が生まれたこの国は魔法の美しさの花咲く庭園」といった意味に変えられた。
しかし、スピルバーグが本作で若者たちに歌わせたのはオリジナルの革命歌のままで、「民衆よ起きよ、眠りから覚めて戦うときがきた」という意味の歌だった。
革命歌といっても勇ましく歌い上げるのではなく、若者たちは静かに、しかし強い意志を込めてうたっていた。
61年の映画は民族や人種、あるいは貧富による差別や格差、分断がテーマだったが、その現実は60年たっても少しも変わっていない、どころかむしろ深刻化していることをスピルバーグはいいたかったのだろうか。
ちなみにプエルトリコに住んでいる住民は、米国民であるのに大統領選挙や上下両院議員選挙での選挙権はなく、“2級国民”扱いという。米国大統領がプエルトリコの国家元首で、民選で選出されたプエルトリコ自治政府は、米国内法と抵触しない範囲での内政自治権しか持っていなくて、中国政府のいいなりになってる香港とあまり変わってない。
映画を見ていてもうひとつ驚いたのは、61年版に続いてリタ・モレノが出演していたことだ。
61年版ではプエルトルコ系のシャークス団リーダー・ベルナルドの恋人アニータ役を情熱的に演じていたが、本作ではドラッグストアの老主人役。プエルトリコ移民と白人との間に生まれたという設定で、チャーミングで心優しく、しかし、きっちりと意見をいってシャークスとジェッツの両方から一目置かれている存在として描かれているが、60年の時を隔てて同じ映画に出演したリタ・モレノは、何と今年91歳になるという。
61年版では歌に踊りに大活躍していたが、本作でも「サムウェア」という曲を、しっとりとうたっている。
「どこかに私たちのための場所がある、平和で静かで開けた場所が、どこかできっと待っている・・・」
61年版ではトニーとマリアのデュエット曲だったが、リタ・モレノがうたうと、60年の歳月が走馬灯のように浮かんできて、ジンとしてくる。
本作でアニータ役をしていたアリアナ・デボーズもすばらしかった。
まずは体育館のパーティーでの踊り。クルクルッと回るところは羽生結弦の4回転半ジャンプより速くて見事。
そして、「アメリカ」。
アリアナ・デボーズを中心に、プエルトリコ系の女と男たちがアメリカでの暮らしについて歌い合うのだが、61年版ではビルの屋上の物干し場だったが、本作では、物干し場から街に飛び出して歌い踊る。
「ラ・ラ・ランド」での高速道路で歌い踊るシーンに負けず劣らずで、楽しくて、迫力があった。