善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

響き合うラップとオペラ テノール! 人生はハーモニー

新宿ピカデリーでフランス映画「テノール! 人生はハーモニー」を観る。

2022年の作品。

原題は「TENOR」

監督クロード・ジディ・ジュニア、出演ミシェル・ラロック、MB14、ロベルト・アラーニャほか。

平日だけどけっこう客席は埋まっていて、女性の客が多い。

 

パリの移民コミュニティーで暮らすフリーターのラッパー青年と、オペラ座の声楽教師。二人の出会いが生み出す奇跡を描いたオペラヒューマンドラマ。

パリのオペラ座ガルニエ宮の内部がふんだんに画面に登場していて、オペラのアリアの名曲もいくつか。ラップとオペラが同時に楽しめ、響き合う映画でもあった。

 

格闘技の賭け試合で生計を立てている筋骨隆々ながら気のいい兄とともに暮らすラッパーのアントワーヌ(MB14)。オペラ座ガルニエ宮近くのスシ店でバイトをしながら大学で経理を学んでいるが、ラップの才能がありラップバトルでは地元を代表して敵対するグループと渡り合う日々を送っている。

そんなある日、オペラ座から出前を頼まれて出かけていくと、そこではオペラ歌手の卵たちが声楽の授業を受けていて、出前持ちというので見下した生徒の一人からバカにされる。怒ったアントワーヌは仕返しにとオペラの歌まねをしてやり返す。すると彼の歌声を聞いて目を輝かせたのがオペラ教師のマリー(ミシェル・ラロック)だった。

待っていた逸材が現れた――彼の美声に惚れ込み、そう確信したマリーは、バイト先にも押しかけて猛スカウト。次第にオペラに興味を持ちはじめたアントワーヌは、兄たちには内緒でマリーとふたりのオペラのレッスンを始め、ついにはマリーのクラスに入って本格的にオペラ歌手になるための授業を受けるようになる。

しかし、それまでの暮らしと、リッチでゴージャスなオペラを取り巻く世界とではあまりにも隔たりがあり、次第に兄や友人たちとの間に亀裂が入り、彼は自分の人生の選択に思い悩むようになる・・・。

 

アントワーヌを演じるのは、今年29歳のシンガーソングライター、ラッパー、ビートボクサーのMB14(本名はモハメド・ベルキールMohamed Belkhir。自分の名前のイニシャルにフェチ番号である14をつけて芸名にしたという)。

彼はラップを通して初めて歌に出会い、ラップのリリックのいい回しと言葉遊びに惹かれて12歳で初めて作曲。ビートボックスの世界チャンピオンにもなっている。また、国際的に有名なリアリティ歌番組シリーズ「ザ・ヴォイス・フランス」で準優勝を果たしている。

本作が映画初出演で、オペラの特訓を受けて撮影に臨んだというが、オペラの名曲のいくつかを自分で歌っていて、圧巻は、映画の最後のシーンで歌ったプッチーニのオペラ「トゥーランドット」の中のテノールが歌うアリア「誰も寝てはならぬ」。

 

本作には本物のテノール歌手も出演していて、フランスのオペラ歌手で世界のトップ・テナーといわれるロベルト・アラーニャ

オペラ座ガルニエ宮の舞台でさりげなくドニゼッティ愛の妙薬」やヴェルディリゴレット」からのアリアを歌うシーンがあった。

実はフランスを代表するテノール歌手であるロベルト・アラーニャも、本作に登場するアントワーヌと似た境遇にあった。

彼はシチリア出身の両親のもと、移民系の人々が多く住むパリ郊外のクリシー=ス=ボワに生まれる。10代からナイトクラブでポップスを歌い始めるが、歴史的なテノールの名曲の録音を聞いてオペラを志し、ほとんど独学でオペラ歌手となり、名声を勝ち得たという。

 

しかし、何より映画のポイントとなったのがオペラ教師のマリーの存在だ。

彼女はたった1回聞いたアントワーヌの歌声に才能を見出し、彼こそ自分が待っていた逸材というので強引に自分のクラスの生徒にまでしてしまう。

映画を見ていて、たった1回聞いただけで専門家がそんなに性急に惚れ込むものなのか、と思ってしまったが、彼女もいろんな不幸を背負って生きてきていて、やがて強引にも見える彼女の行動の理由が明らかにされる。

彼女のセリフの中で何度も「メゾン(Maison)」という言葉が出てくるが、オペラ座は彼女にとっての「家」であり、かけがえのない「家族」でもあるのだろう。

ようやく見つけた最高の逸材を、彼女はエトワール(星)と表現している。

そして、映画の最後でアントワーヌが歌う「誰も寝てはならぬ」。

移民の問題や貧富の格差の問題、女性との恋の行方や教師であるマリーとの葛藤など、すべての悩ましい問題を、大丈夫、何とかなるさ、と収斂してしまうのが、朗々と歌うアリア「誰も寝てはならぬ」だった。