フランス・ボルドーの赤ワイン「ムートン・カデ・ルージュ・オーガニック(MOUTON CADET ROUGE ORGANIC)2022」
(写真はこのあと豚肉のみそ漬け焼き)
メドック格付け第1級で5大シャトーの一翼を担うシャトー・ムートン・ロスチャイルドを擁するバロン・フィリップ・ド・ロスチャイルドが、本拠地ボルドーで手がけるワイン。
「ムートン・カデ・ルージュ」自体は何度か飲んでいるが、今回飲んだのはオーガニック認証を受けた畑から造られ、環境にも人にも優しく、味わいのバランスにも優れているという新時代の1本。
メルロ、カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フランをブレンド。
ワインのあと観たのは、民放のBSで放送していた日本映画「剣鬼」。
1965年の作品。
監督/三隅研次、出演/市川雷蔵、姿美千子、佐藤慶、五味竜太郎、睦五郎、内田朝雄、戸浦六宏ほか。
「眠狂四郎」シリーズの作者でもある柴田錬三郎、通称・柴錬の小説を映画化。
信州1万3千石の藩中に無足(最下級の藩士)の青年がいて、その名は斑平(市川雷蔵)。彼の母親は、藩主・海野正信(戸浦六宏)の母親まきの方に仕えた侍女だったが、まきの方は他界。彼女が寵愛したブチ(斑)の雄犬を譲り受けた斑平の母親も、斑平を生んだ直後に亡くなり、斑平は周囲から“犬っ子”の異名で蔑まれて育った。
成人した斑平は花造りの才能、さらには韋駄天の快足ぶりが認められて藩主・正信から取りたてられ、彼に思慕の情を寄せる農夫の娘お咲(姿美千子)とともに、心は孤独ながらも平安の日々を送っていた。
そんな斑平はある日のこと、見知らぬ初老の浪人(内田朝雄)の鬼気迫る居合の技を目撃。剣に魅せられた斑平はその浪人から居合術を会得する。一方、藩主・正信は奇行に走るようになり、幕府の隠密の知るところとなった。次代の家老をねらう小姓頭・神部菊馬(佐藤慶)は、藩主の異常を幕閣に知られては大変と、斑平に隠密の暗殺を命ずる・・・。
監督・三隅、主演・雷蔵のコンビでつくった映画に「斬る」(1962年)と「剣」(1964年)があり、その後につくられた「剣鬼」で“剣三部作”といわれるが、本作の終わり方からすると、むしろ新シリーズの第一作のようだった。
柴田錬三郎の小説には計4冊の「剣鬼」シリーズがあり、本作の原作である「人斬り斑平」もその一編。製作した大映は新シリーズとして雷蔵主演による“斑平もの”を続けたかったようなのだが、興行成績が思ったほどではなく、本作だけで終わってしまった。
本作の主人公である斑平は、まさしく新シリーズの主役にふさわしいようなキャラクターだっただけに、ちょっと残念な気もする。
何しろ斑平はとてつもなく超人的な人間として描かれている。
花造りの名人というのはわかるとしても、すごいのはその韋駄天ぶり。ギャロップで疾走する馬よりも速く、難なく追い抜いてしまうのだ。
人間が走る陸上競技の1500mの世界記録は3分26秒00。これに対して競馬のマイルレースで、1500mより100m長い1600mをサラブレッド馬は1分30秒ぐらいで走ってしまう。江戸時代の日本の馬はサラブレッドよりは遅いとは思うが、それでも馬を追い抜いちゃうというのはまさしく超人的だ。
さらにスゴイのが居合のワザ。斑平は剣豪が振り下ろす剣さばきをジッと見つめ、見ているだけでワザを習得してしまう。何の鍛練もなし。
信じられないような話だが、あり得ないことをやっちゃう人間、それこそがヒーローなのかもしれない。
そして、彼が愛刀としたのが「あざ丸」と呼ばれる業物(わざもの)だった。「あざ丸」は平安時代から鎌倉時代にかけてつくられた日本刀(脇差)で、名古屋の熱田神宮が所蔵している現存する刀だ。
「信長公記」にはこの「あざ丸」についての記述があり、もとは平家の武士、平景清が所持していた刀であり、景清がこの刀を見つめたとき、写った自分の顔にあざができていたのでこの名がついたという。歴代の持ち主に災い訪れたというので呪いの刀、妖刀といわれる。
この「あざ丸」を手にした斑平は言う。
「私は、犬っ子とさげすまれる身。それが自分の宿命なら、あくまで行く末を自分の眼で見てやろうと覚悟しております。あざ丸を持って何の祟りも受けなかったら、私の勝ち、祟りをうけ非業の最期をとげたなら、私をとりまく世間の勝ち。この賭けをお見とどけください」
何とも物凄いセリフで、30人からなる敵をバッタバッタと切りまくって斑平は姿を消す。
「斑平さ~ん」と叫ぶお咲の声だけが山々にこだまして映画は終わった。
結局、斑平シリーズは幻となり、その後、斑平がどうなったかもわからず、市川雷蔵は本作から4年後の1969年7月、がんのため37歳の若さで亡くなっている。
ついでにその前に観た映画。
2021年の作品。
原題「SWAN SONG」
監督・脚本トッド・スティーヴンス、出演ウド・キアー、ジェニファー・クーリッジ、リンダ・エヴァンスほか。
実在の人物をモデルにした映画で、引退したヘアメイクドレッサーが、亡き顧客で親友に最後のメイクを施すための旅を描くロードムービー。
かつてヘアメイクドレッサーとして活躍した「ミスター・パット」ことパトリック・ピッツェンバーガー(ウド・キアー)。ゲイとして生きてきた彼は、最愛のパートナーをエイズで亡くし、現在はオハイオ州の老人ホームでひっそりと暮らしている。日課といえば食堂の紙ナプキンを自室に持ち帰り、丁寧に折り直すことくらい。
そんなパットのもとに、思わぬ依頼が届く。それは元顧客で、街で一番の金持ちでもあったリタ(リンダ・エヴァンス)の遺言で、彼女に死化粧を施してほしいというものだった。
リタのもとへ向かう旅の中で、すっかり忘れていた仕事への情熱や、わだかまりを残したまま他界したリタへの複雑な感情、そして自身の過去と現在についてなど、さまざまな思いを巡らせるパットだったが・・・。
パトリック・ピッツェンバーガーは実在の人物がモデル。監督のトッド・スティーブンスは17歳のときにオハイオ州サンダスキーのゲイクラブでミスター・パットが踊っているのを見て、衝撃を受けたという。映画の道へ進んでから、いつか同郷のこの人を題材にした映画をつくりたいと思い続け、念願を叶えた。スティーブンス監督自身もゲイで、ゲイ文化への鎮魂歌のような作品。
本作で何より目を見張ったのが主人公のパット役のウド・キアーの演技だった。
彼なくしてこの映画は存在しないといえるほどの名演技だったが、恥ずかしながらウド・キアーという俳優の存在を知らなかった。
彼は1944年、ドイツのケルン生まれ。第2次世界大戦の真っ最中で、生まれた病院は爆撃され、赤ん坊だった彼と母親は瓦礫の中に埋まってしまうという辛い経験を持つ。
青年時代に英語を勉強するためロンドンに移住。やがて映画の道に入り、1966年、ジゴロ役で映画デビュー。
その後、「残酷!女刑罰史」(1970年)、「悪魔のはらわた」(1973年)、「処女の生血」(1974年)、「サスペリア」(1977年)、「第三世代」(1979年)、「リリー・マルレーン」(1981年)、「ローラ」(1981年)などの映画に続々と出演したのち、アメリカのインディペンデント映画の世界に参入。テレビを含めると実に150本以上の作品に出演。
「悪魔のはらわた」「処女の生血」はアンディ・ウォーホールが企画製作した異色のホラー映画で、ウド・キアーはフランケンシュタイン博士と吸血鬼役で出演しているというが、どれも観てない作品。いやー、知らなかった~。
タイトルの「スワンソング(白鳥の歌)」とは、アーティストの生前最後の作品・曲・演奏のことを指している。白鳥は死の間際、最も美しい声で歌うという伝説に由来しているとされる。
その来歴は古く、すでに紀元前5世紀から3世紀にこうした伝承が生まれたといわれていて、プラトンは、ソクラテスの言葉として「白鳥は死ぬ前に一番美しく歌う」と述べているし、アリストテレスは「動物誌」の中で「(白鳥は)音楽的であり、主に死の近接で歌う」と書き記している。
ギリシア神話では、ゼウスが変身した姿として白鳥が登場していて、神の美しき化身としての役割を持ち、白鳥はアポロンに捧げられた聖なる鳥でもあった。アポロンはゼウスの息子であるとともに音楽と詩の神でもあるから、白鳥にまつわるさまざまな言い伝えが、いつとはなしに死の間際に美しく歌う白鳥の歌の伝説となっていったのではないだろうか。