善福寺公園めぐり

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12月文楽 本朝廿四孝

国立劇場の12月文楽公演は中堅・若手による「本朝廿四孝」と「由良湊千軒長者」。

「本朝廿四孝」は240年前の大坂・竹本座が初演。武田信玄上杉謙信の史実に虚構を織り交ぜた謎解きの多い筋立てで知られる。タイトルは24人の孝行者の物語、中国の「二十四孝」の故事に由来する。

何のたれ兵衛は実は某のこれ蔵だったという話が多い文楽(歌舞伎もそうだが)の、その極致といえるもの。今回上演されたのはあまりやられることのないという三段目(別名・筍掘)。

軍師・山本勘助(先代ですでに故人)のせがれに兄の横蔵と弟の慈悲蔵がいて、父親の名跡をめぐる兄と弟の対立と思惑を綴るのだが、慈悲蔵は武田家に軍師として仕えるよう勧められるが実はもともと上杉家(芝居では長尾家、当時上杉家は実在していたので実名を名乗るのを控えた)の家来で直江山城之助。一方、横蔵は長尾(上杉)景勝とよく似ているので景勝の身代わりとして切腹を迫られるが、実は武田家の家臣で、足利家を守るため源氏の白旗を隠しているとともに、自分の子として育てている子どもも、実は足利13代の幼君である、という設定で、とにかくややこしい。

慈悲蔵は母親に孝行を尽くすが、横蔵は横柄でグータラで、まわりの評判も悪く、鼻持ちならない男。ところが、足利家を守る忠義者というので最後は横蔵が主役となり(のちにい武田信玄の軍師・山本勘助となる)、カッコよく見得を切って芝居は終わる。ここんところがどうもゲセなかった。

慈悲蔵(人形遣いは勘十郎)や慈悲蔵の妻のお種(清十郎)の演技は泣かせるところがあってぐっと引き込まれるが、名前の通り横柄だった横蔵(玉女)が「おれこそ忠臣」と急にえばったって感動はない。(それでも横蔵が見得を切ったとき拍手が起こったが)
「本朝廿四孝」は四段目の「十種香」が人気演目でよく上演されるが、今回の三段目はめったにやられることがないというが、さもありなんと思わせる。

それでも、横蔵が母から上杉方の景勝の身代わりになるよう迫られ、それを拒むため右目をえぐって人相を変えるところがあるが、玉女の師匠の故・吉田玉男からは、「人形は必ず左目で見ないといけない」と教わり、それを心がけたという。

文字久大夫、津駒大夫、呂勢大夫、三輪大夫、相子大夫、それに三味線は錦糸、燕三、清友など。そのうち一番若手らしい相子大夫の語り口は平明で、意味もよく分かったが、上手な太夫になるに連れて何をいってるのかわからなくなる。しかし、それがまた義太夫のよさかもしれない。言葉の意味よりも演者の心の訴えこそが肝心なのであろう。

中国の「二十四孝」の趣向が多く取り込まれているのはおもしろい。慈悲蔵がわが子を国境に捨てるのは母を養うためわが子を生き埋めにして金の釜を掘り出した郭巨の故事によるものだし、やはり慈悲蔵が寒中に魚を獲って帰るのは王祥の故事、寒中に筍を掘るのは孟宗の故事によるもの。落語でもよくやられる話だからなじみ深い。「筍をもっと食べたい」といったら「もうそう(孟宗)はない」は落語のオチ。

もう1つの「由良湊千軒長者」は要するに安寿とづし王の「山椒太夫」の物語。そのうちの「山の段」で、国立小劇場では初の上演とか。今回は、汐汲みをする姉の安寿と、柴刈りの弟のづし王が互いに慰め合いながら父母を慕う場面のみ。