善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

“殺しの美学”仁左衛門 大阪の旅・上

大阪松竹座で上演中の「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」を見るため大阪へ行ってきた。
お目当ては仁左衛門。そういえば1年前の7月にも「与話情浮世横櫛」に出演する仁左衛門見たさ(元々は国立文楽劇場文楽を見る目的だったが)に大阪松竹座に行ってるし、12月には顔見世興行で「双蝶々曲輪日記」の「引窓」に出る仁左衛門を追っかけて京都に行った。なぜか仁左衛門と聞くと心穏やかでなくなる。

せっかくだから1泊しようと、1日目は歌舞伎を見て、その晩は去年の夏に行って気に入った料理屋でイッパイやり、翌日は周辺を散歩して帰ることにする。

1日目、新幹線で大阪へ。
午後1時前に到着し、新大阪阪急ビル3階にある土佐料理の店「ヤナケンブー」で生ビールと塩タタキ定食。
地下鉄日本橋駅そばのホテルに荷物を置いて、徒歩10分ほどの道頓堀にある大阪松竹座へ。
道頓堀は去年同様、チャイナ&コリアタウン化していて、中国語、韓国語が飛び交っている。彼らはなぜにそんなに道頓堀が好きなのか?

大阪松竹座の周辺だけはそれらしい雰囲気。
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七月大歌舞伎の夜の部はまず「舌出三番叟」。出演は鴈治郎、壱太郎の親子競演。

つづいて通し狂言「盟三五大切」。四世鶴屋南北作。
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配役は、薩摩源五兵衛・仁左衛門、笹野屋三五郎・染五郎、家主くり廻し弥助・鴈治郎、若党六七八右衛門・松也、芸者菊野・壱太郎、ごろつき勘九郎・橘三郎、仲居頭お弓・吉弥、富森助右衛門・錦吾、芸者小万・時蔵ほか。

「盟三五大切」は6年前の2011年にもコクーン歌舞伎串田和美演出)で見ている。あのときは橋之助(現・芝翫)の薩摩源五兵衛、菊之助の小万、勘太郎の笹野屋三五郎という配役だった。

役者が違うと芝居の見方もまるで異なる。
そういえばこの芝居、文政8年(1825年)の初演後は天保11年(1840年)に再演されたもののその後は上演が途絶えていて、1976年に国立劇場で136年ぶりに復活上演され、そのときの配役は三五郎が仁左衛門(当時は孝夫)、小万・玉三郎、源五兵衛・初代尾上辰之助だった。
また2008年の歌舞伎座では三五郎・菊五郎、小万・時蔵、源五兵衛・仁左衛門

同じ南北作の「四谷怪談」同様、「忠臣蔵」の外伝もの。
南北のドラマづくりの見事さに感服。南北作品の傑作の一つといえるのではないか。
塩冶家(浅野家)の浪人、薩摩源五兵衛(実の名は不破数右衛門)は深川の芸者・小万に入れ込むが、小万には実は船宿の主人、三五郎という夫がいて、源五兵衛は2人に騙されて討ち入りに必要な金、100両をだまし取られてしまう。
このため源五兵衛は討ち入りに参加できなくなるが、それ以上に彼を狂気に走らせたのは惚れているはずの小万の裏切りだった。嫉妬に狂った源五兵衛は殺人鬼となって次々と三五郎の仲間さらには小万とその子どもにまで惨殺してしまう。
しかし、話にはさらに裏に仕掛けがあって、三五郎が源五兵衛から100両を巻き上げたのは三五郎の父親の旧主の危急を救うためで、その旧主とは不破数右衛門、つまり源五兵衛その人だった。三五郎は源五兵衛が不破数右衛門の顔を知らないから源五兵衛をだましたのだが、一方の源五兵衛もそれを知らずに三五郎夫婦の前に現れて恨みを晴らそうとする。
つまりこの芝居では根っからの悪人はいなくて、「恩ある人のため」とやったことが最悪の結果を招いてしまう。不条理というか、あるいは因果応報とはこのことか。

芝居の前半の仁左衛門は、イイ男なのにだまされてばかり。
一方、だます方の三五郎役の染五郎は、ちょいとひょうきん風で貫祿不足。ま、若いからしょうがない。小万の時蔵が大人すぎて、ますます若造が目につく。
鴈治郎の家主は雰囲気が出ていて上手だったが、なにせ上方風で、深川にあんな家主はいないよといいたくなる。

それはともかく、圧巻は復讐の鬼と化してからの仁左衛門
殺人鬼となってもどこか品があり、色気がある。殺しの場面ではまさに妖気が漂う感じ。
仁左衛門が人を殺すところで、客席からはヤンヤの拍手。
残虐な殺しの場面が“美”となるのが歌舞伎の魅力でもある。

南北の原作では、打ち落とした小万の首を隠れ住む庵に持ち帰った仁左衛門は、小万の首を前に食事をするが怒りがおさまらなくて小万の首にお茶をぶっかけるシーンがあるが、そこのところを仁左衛門は違った演じ方をしていた。
小万を斬り殺し、打ち落とした首を懐に入れて、雨の中、小万の首をいとおしむように、頬ずりしながら大事に持ち帰り、隠れ家で首を前に食事をするときは、その首にごはんを食べさせようとしていた。
裏切られても一途な男の心を仁左衛門は表現しようとしていた。

芝居の最後は、三五郎が自分の腹を切って罪を償い、100両のカネも戻って源五兵衛は浪士の一員として討ち入りに参加できることになり、源五兵衛にとってはメデタシメデタシで終わるが、赤ん坊まで殺してしまう陰惨なドラマの締めくくりだからか、最後に舞台はパッと明るくなり、役者衆は1列に座って、仁左衛門が「今宵はこれぎり~」とあいさつして幕となった。

芝居がはねたのは午後8時15分ごろ。
道頓堀川を渡って島之内にある「一陽」という店に行く。創作料理の店。去年もここでイッパイやって気に入ったところ。
ビールにお酒を何本か飲む。
まずは大阪に敬意を表して大阪・能勢の「秋鹿」、その後、山形の「東北泉」、宮城の「田林」など。
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つまみは、まずは突出し。
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刺身の盛り合わせ。
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イチジクと水なすの揚げ出し。
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豚角煮の北京ダック風。
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ハモのすり身(ウニ入り)の天ぷら。
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セロリとシラスの三杯酢。
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鯨サエズリのルイベ。
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夜の道頓堀をブラついてホテルに帰る。

明日は富田林に行く予定。
(つづく)