善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

富田林ジューデンケン 大阪の旅・下

大阪・道頓堀の松竹座で上演中の七月大歌舞伎を見た翌日は、大阪の南、奈良・和歌山に近い富田林まで遠征し、「ジューデンケン」を見に行く。

ジューデンケンとは「重要伝統的建造物群保存地区」のこと。
文化財保護法に規定する文化財種別のひとつで、市町村が条例などで決定した伝統的建造物群保存地区のうち、文化財保護法第144条の規定に基づき特に価値が高いものとして国(文部科学大臣)が選定したものを指す。略称・重伝建(じゅうでんけん)。
2017年2月現在、日本全国で43道府県94市町村の114地区が選定されている。その1つが「富田林重要伝統的建造物群保存地区」であり、大阪府内ではここ1カ所のみ(ちなみに東京には1カ所もない)。
近鉄富田林駅のすぐそばから広がる「寺内町(じないまち)」と呼ばれる地域がその「重伝建」。東西約400m、南北約350mの範囲に600軒ほどある町家のうち250軒ほどが伝統的な町家になっていて、中でも旧杉山家は国の重要文化財となっている。

もともとは荒地だったが、今から約450年前、戦国時代の最中に興正寺別院 (一向宗浄土真宗)を中心に宗教自治自衛都市・寺内町として開発され、発展した。今も戦国時代の東西南北の碁盤目状の町割(都市計画)を留めている。

そういえば大阪には寺内町が多い。寺内町とは室町時代浄土真宗などの仏教寺院、道場(御坊)を中心に形成された自治集落のことで、濠や土塁で囲まれるなど防御的性格を持ち、信者、商工業者などが住み、自治特権を主張または獲得して経済的に有利な立場を得たところが多い。
有名なのは石山本願寺で、防御的な濠や土塁に囲まれて織田信長と対立したのはよく知られている。

そういう自立・自治の精神が大阪人にはあるのだろうか。富田林の寺内町は、17世紀後半に入ると中世・寺内町としての性格は失いつつも、南河内地方における米、酒造、木綿、菜種油、木材などの商品作物の交易・流通の中心地として栄えたという。
幸いにして戦災から免れ、高度成長期の開発の波も受けず(あるいは取り残されたのがかえって幸いしたのか)、寺内町地区一帯は昔ながらの外観を残しているという。

地内町への入口。
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街並みは中世のまま変わらない感じがする。
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かつて地内町の中心だった興正寺別院。今は一般には開放されていないのか、門が固く閉まっていた。
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このあたりは家の建て方も厳しく制限されているのだろう、保育園も旧家風だった。
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旧杉山家。
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昔ながらの格子。
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駒つなぎ。
牛や馬をつなぎとめておくためのもので、穴の開けられた石が家の入口付近に置かれていた。
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虫籠窓。
江戸時代、商家や民家は本格的な2階は認められず、高さを抑えた中二階として主に物置に利用していた。通風や温度調節、明り取りのために格子をつけた窓が設けられ、その形が虫籠に似ているので名づけられた。
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屋根で泳ぐコイ。樋を伝って雨水がスムーズに流れるようにとのシャレだろうか?
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魔除け厄除けだろうか、鍾馗さま。
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昼は地内町にあるそば屋で食事。
「じないまち交流館」前にある「八町茶屋」という店。
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ここの手打ちそばがおいしかった。
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赤ねこ餅。
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デザート。
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その後、中之島にある「大阪市立東洋陶磁美術館」で開催中のハンガリーの磁器を集めた特別展「ヘレンド展」と、国宝の「油滴天目茶碗」「飛青磁花生」を見て、新幹線で東京に帰る。

この日(7月19日)、大阪は最高気温36℃もあったそうで、暑かったー。
自然と冷たいものに手が伸びて、新大阪駅で食べたスモモシャーベット。
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(おわり)