善福寺公園めぐり

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大阪 文楽&歌舞伎&吉本の旅 その4 松竹座

翌日の火曜日は大阪・松竹座で歌舞伎公演。

グリコの看板がある戎橋から目と鼻の先にあるのが松竹座。
正面のアーチが特徴的なネオ・ルネッサンス様式の建物で、東京の歌舞伎座とはだいぶ趣が違う。
大正12年(1923年)に関西初の洋式劇場として誕生したというが、以前は松竹のレビューや映画館として使われていて、歌舞伎の劇場として開場したのは平成9年(1997年)のことだという。
来年でちょうど20年ということになる。
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場内は意外とこじんまりとしている。
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前から4列目の花道寄りに座ったが、舞台と客席が近いのでまるでかぶりつきに座っているようだった。

7月の歌舞伎は五代目中村雀右衛門の襲名披露公演で、行ったのは11時開演の昼の部。
演目は「小さん金五郎」「夕霧名残の正月 由縁の月」「与話情浮世横櫛(よわなさけうきよのよこぐし)木更津海岸見染の場・赤間別荘の場・源氏店の場」。

出演は「小さん金五郎」が鴈治郎、孝太郎ほか。「夕霧名残の正月 由縁の月」が藤十郎雀右衛門秀太郎ほか。「与話情浮世横櫛」が仁左衛門雀右衛門橋之助歌六梅玉ほか。

「小さん金五郎」は大阪が舞台の上方らしい話。きのう行った「島之内」とか大阪の地名がポンポンと飛び出すので、その場所を想像する。

見ていてひとつ気になったことがあった。以前にも別の芝居をみて思ったことだが、芸技さんが登場するとなぜか右の衿から赤い襦袢のようなものが飛び出していた。
帰って調べたら、これは「赤衿を返す」という昔からの風習によるものだという。

本来は京都・島原の太夫の風習で、昔の島原太夫は10万石の大名と同位の正五位の位を持ち、五位の官人が着る赤衣を模した赤色を見せて格の高さをアピールしていたのだとか。
これを取り入れたのが歌舞伎で、遊女だけでなく芸妓などでも赤衿を返しているようで、官位の証というより一種のファッションとしてやっているのだろう。

「夕霧名残の正月 由縁の月」は藤十郎が見事。動きもセリフも少ない役だが、だからこそ力量が問われる舞台で、藤十郎の存在感が際立っていた。

しかし、本日のお目当ては「切られ与三」つまり「与話情浮世横櫛」の与三郎を演じる仁左衛門
仁左衛門の切られ与三を見たくて見たくてたまらずにいたが、ようやく実現した。
姿形といいセリフ回しといい、仁左衛門はもともと関西の役者だが、与三郎にぴったりの役者。ただただ至福の時をすごすことができた。

赤間別荘の場のお富と与三郎の濡れ場が艶っぽい。
透けて見える寝室の中で2人が次第に重なっていくと、清元か常磐津か、「移り香残る枕髪・・・」とかなんとか歌っていた。

玉三郎は別格として、できれば菊之助のお富と仁左衛門の与三郎を見たいが、それが実現するまでにはもうちょっと菊之助の成長がほしいし、仁左衛門はますます年をとってしまうだろうし・・・。
ましてや七之助となるとさらに時間が・・・。

劇場を出たのは午後3時すぎ。
せっかく来たのだからと法善寺横丁を散策。
「水掛け不動」の名で親しまれている不動明王は、しょっちゅう水をかけられるもんだから全身コケむしていた。
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難波から地下鉄で新大阪駅へ。
ここで早めの夕食というか観劇後のイッパイ。
駅ビル(新大阪阪急ビル)3階にある「Yanaken boo(ヤナケン・ブー)」という店。

土佐の郷土料理が売り物で、カツオのたたきを塩で食べさせてくれるというので入る。
「ヤナケン」とは高知市はりまや町にある活魚いけす料理の店「柳憲(やなけん)」のことで、高知から直送された魚が食べられるんだとか。

ならばと、塩で食べるカツオたたきを注文。
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酒は生ビールのあと「土佐しらぎく」本醸造、徳島の「芳水」大吟醸など。
ほかにはウツボの唐揚げ。
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タコブツ。
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トマトのお浸し。カツブシ出汁で食べるトマト。
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ニロギ。
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ニロギというのは土佐の言葉で、正しくは「ヒイラギ」というらしい。
数センチしかない小さな魚。これを干したのを炙ったのがニロギ。ちょいと苦みがあって酒に相性ぴったり。
高知ではニロギだが、岡山ではゲッケ,千葉ではギラ、三重県二木島でギイギイ、広島県加茂郡でギギと呼ぶそうだ。

かくていい心持ちとなり、帰りも新幹線「こだま」。
ただし帰りはフンパツしてグリーン車で、セレブ気分でご帰還と相成った。

おわり。