善福寺公園めぐり

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歌舞伎座 秀山祭九月大歌舞伎の「藤戸」

歌舞伎座で、中村吉右衛門の一周忌追善「秀山祭九月大歌舞伎」第3部を観る。

菊五郎は別格として歌舞伎の二枚看板にして名優同士だった吉右衛門仁左衛門。その吉右衛門が亡くなって1年。寂しさはいまだ続いている。

今月の大歌舞伎は、いずれも吉右衛門ゆかりの演目。第2部の「揚羽蝶繍姿(あげはちょうつづれのおもかげ)」は吉右衛門の当り役の名場面をつづるひと幕で、「揚羽蝶」は吉右衛門定紋だ。

観たのは第3部で、演目は「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)祇園一力茶屋の場」と「昇龍哀別瀬戸内 藤戸(のぼるりゅうわかれのせとうち ふじと)」。

吉右衛門は大星由良之助を10度演じたという。

また、「藤戸」は、筆名・松貫四の吉右衛門の構成により1998年に広島の厳島神社で初演された創作歌舞伎。吉右衛門の娘婿、菊之助が主役を演じる。

 

大星由良之助は仁左衛門。遊女おかるに雀右衛門。寺岡平右衛門に海老蔵。11月に團十郎襲名を控えて、海老蔵の名前では最後の歌舞伎座出演だ。

姿形といい、身のこなし方からセリフ回しといい、いつものようにほれぼれする仁左衛門

色気があって厳しさがあって、由良之助の人間性が浮き彫りになる。当代最高の由良之助。

上方訛りのセリフも心地よかったが、そういえば由良之助は播州赤穂城代家老だった。

久しぶりに見た雀右衛門のお軽も、以前よりさらによくなっていて、愛らしくて色っぽい。

問題は海老蔵の平右衛門。どうしてハラから声を出さないのだろう。ペラペラしゃべるものだから何いってるのかよくわからないし、薄っぺらく聞こえる。これじゃあ雀右衛門もやりにくかろう。

團十郎という大名跡を襲名するといってもまだまだ修業の身。これが彼の今の実力なのだろう。ますますの精進を期待したい。

 

「昇龍哀別瀬戸内 藤戸(のぼるりゅうわかれのせとうち ふじと)」は「平家物語」の藤戸合戦を扱った能の「藤戸」を元にした作品。

源平合戦での源氏方の武将、佐々木盛綱が、藤戸での先陣の功により領主として藤戸に着任すると、わが子を盛綱に殺された母が来て恨みを訴える。盛綱は1年前の藤戸の合戦で敵陣に渡る浅瀬を教えてくれた漁夫を、生かしておくと他人に情報が伝わってしまうと恐れて無情にも殺してしまったのだった。

「わが子を返せ」と涙ながらに訴える母。

ついに盛綱は自分の非道を詫び、漁夫の魂を弔うことを約束する。

すると漁夫の亡霊が悪龍となって現れ、不当な死を非難して盛綱を責める。これに対して盛綱は、武器で退治しようとするのではなく、ひたすら祈ることで供養し、漁夫は成仏して去っていく。

佐々木盛綱又五郎。母藤波と悪龍の2役を菊之助

 

能のこの演目(能の世界では曲という)を歌舞伎にした吉右衛門の着眼点はさすがだ。

何しろこの演目は、武将が罪のない庶民を自分の功績のために殺したことを非難する物語。今に通じる大事なテーマでもある。

戦国時代に前田利家大谷吉継が「藤戸」を見たとの記録が残っていて、豊臣秀次は主役を演じたというから、すでに戦国時代には上演されていただろうが、よくぞあの時代に、武士の行為を告発する作品がつくられたものだと思う。

前田利家土豪のせがれ、大谷吉継も秀吉の小姓から出世した人物だし、豊臣秀次も武将の家に生まれたわけではない。一般庶民の暮らしをよく知っている人間が戦国武将にまで成り上がった時代だから、庶民の気持ちもよく理解できたのだろうか。

 

菊之助が前半は老婆(といっても美しすぎる老婆)を、後半は怨念から悪龍となって登場。女形と立役の両方をやれる菊之助の本領発揮。戦いでわが子を失った親の悲しみを描き、命の尊さと、平和への祈りを込めた舞踏劇だった。

 

狂言は種之助、米吉、丑之助。

とくに菊之助の長男(ということは吉右衛門の孫で、今年9歳になる)丑之助の進境著しい。

初お目見得のときはただ親に抱っこされて泣くだけだったのが、立派な役者になっていて、歌舞伎というのは役者の成長を見るものでもあるのだなと実感させられる。