善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

仁左衛門の助六

歌舞伎座の「10月大歌舞伎」を観る。
平成30年文化庁芸術祭参加公演と銘打った夜の部で、十八代中村勘三郎七回忌追善興行でもある。
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お目当ては仁左衛門助六を演じる「助六曲輪初花桜」。ほかに「宮島のだんまり」「義経千本桜 吉野山」。
出演は仁左衛門助六)、七之助(揚巻)、勘九郎(白酒売新兵衛)、弥十郎(通人里暁)、又五郎くわんべら門兵衛)、歌六(髭の意休)、玉三郎(母満江)ほか。
吉野山」の勘九郎佐藤忠信)、巳之助(早見藤太)、玉三郎静御前)もよかった。

助六」は「三浦屋格子先の場」とたった一場のみだが、休みなしに2時間に及ぶ長丁場。しかし飽きさせない。
幕が開いてから主役の助六が出てくるまで40分もかかるが、出てくる役者がみんな一癖あって爆笑の連続。2時間があっという間にすぎてしまった。
今日の「助六」の原形となったのは文化8年(1811)の市村座の七代目市川団十郎の舞台というから、江戸の庶民は200年も前にすでにこんな粋な芝居を楽しんでいたのだろう。

しかも今回、江戸で一番の色男・助六にピッタリなのが、顔、声、姿と三拍子そろっている仁左衛門。とても年齢を感じさせない。

仁左衛門はもともと上方の役者だが、20年前の仁左衛門襲名披露興行に選んだのが助六だった。
当時、歌舞伎座で1~2月の2カ月にわたり襲名披露興行があり、1月の襲名狂言は「寺子屋」の松王丸と「吉田屋」の伊左衛門、そして2月は「熊谷陣屋」の熊谷と、「助六」の助六だった。
自分は決して上方役者と限定されるような役者ではない、江戸歌舞伎も演じられる全国区の役者なのだという自負を感じさせる役どころだ。

今回の勘三郎追善興行でなぜ20年ぶりに「助六」を選んだかというと、勘三郎を偲ぶ強い思いがあったに違いない。
仁左衛門は、襲名狂言のうち「助六」以外は父親の十三代目片岡仁左衛門から習ったというが、「助六」だけは亡くなった勘三郎の父親の十七代目勘三郎から習ったのだという。
ちなみに十三代目も戦前に「助六」を勤めていて、このときは七代目松本幸四郎から教えを受けていて、市川宗家に近い形の型を習っていたという。
しかし現仁左衛門は十七代目勘三郎の型、つまりは六代目尾上菊五郎による音羽屋型をベースにした型を習った。
それで十八代目勘三郎からは「助六を教えてほしい」と頼まれた。仁左衛門が「私より東京の人から教わったほうがいいんじゃない?」というと、「兄ちゃん(仁左衛門)に教えてほしいんだ!」と勘三郎は答えたという。しかし、勘三郎の早すぎる死で結局その願いはかなわなかった。
公演前の記者会見で仁左衛門は「実現できなかった思いを今の勘九郎くんにつなげたい。勘九郎くんに私の助六をそばで見ていてほしい。そして大和屋(阪東玉三郎)さんの指導のもと七之助くんを“揚巻役者”にしたい」と2人に対する期待を語っていた。

ただカッコイイだけではない。
仁左衛門の熱い思いが伝わってくるのが今回の「助六」の舞台だった。

そういえば仁左衛門、来年で初舞台から70年という。

芝居のあとは歌舞伎座近くの居酒屋「魚真」でイッパイ。
生ビールのあとは日本酒。たしか秋田の酒だったが・・・。
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蒸しナス浸し。
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毛ガニ。
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刺身盛り合わせ。
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いい気分で帰還。