善福寺公園めぐり

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五代目吉田玉助襲名披露公演

国立劇場小劇場で5月文楽公演の第一部を観る。
人形遣い吉田幸助改め五代目吉田玉助襲名披露公演。演目は「本朝廿四孝」と「義経千本桜」。

吉田幸助はまだ若手かと思っていたが、すでに50を超えてベテランの域に入ってきている。名前は人を大きくさせるともいう。祖父の名前である玉助襲名はいいことだ。
劇場敷地内には玉助の文字を染め抜いたノボリが掲げられ、ロビー正面には“まねき”。
おめでたい気分一色で、さわやかな季節とも相まって、こっちも華やいだ気分になる。
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ロビーでウロウロしていたら、受付当たりに当の新玉助が立っている。
近づいて「おめでとうございます。応援してますよ」というと、ニッコリ笑ってくれ、襲名を記念した冊子をくれた。

それにしても玉助、やけに背が高い。
あとで聞いたら、身長が180㎝もあるらしい。本人はずっとそれが悩みだったらしく、足遣いのときは手足の長さが邪魔で困ったらしい。
しかし主遣いをするようになった今はむしろ体の大きさが武器になるだろう。
襲名披露公演では「「本朝廿四孝」の山本勘助役をやっていたが、なかなか豪快な山本勘助だった。

玉助からもらった冊子によると、彼は父親であり、師匠でもあった亡き玉幸に四代玉助を追贈し、本人は五代目となった。
父親の玉幸は、伯父でもあった三代目玉助に弟子入りし(のちに養父となる)玉幸を名乗ったが、玉助没後は吉田玉男の門下に入り、立ち役として活躍。しかし、病気で4年ほど休演を続け、69歳で亡くなった。
きっと志半ばだったろう。その父に四代目を追贈した五代目玉助のやさしい心に感じ入った。

ところで、玉助の衣装についていた家紋が変わっていたので調べたところ、「外四ツ鐶(くびわ)菱に宝珠」という家紋らしい。外四ツ鐶菱」はないことはないが、「宝珠」のデザインがちょっと現代チックで変わっている。玉助の玉にあやかったのだろうか。

義経千本桜」は「道行初音旅の段」。満開の桜をバックに、舞台正面奥に太夫と三味線弾きがずらりとならんで、豪華絢爛。まるで歌舞伎みたいで、しかし人形の静御前佐藤忠信はまさしく文楽。見ていて楽しくなった。