善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

京都の夜と奈良散歩

京都で仕事があったので烏丸四条のホテルに1泊。
夜は先斗町にある「酒亭ばんから」でイッパイ。
ネットでみつけて行った初めての店だったが、酒も料理もおいしく、しかもとてもリーズナブルな店だった。
先斗町のメイン通りを歩いてちょっと曲がったところにある。
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まずは生ビールのあと、京都の地酒をお銚子で何本か飲む。
一番高いのが純米大吟醸で1合900円。ほかは700円ぐらいだったか。
つまみは、まずは刺身の盛り合わせ。
お品書きに載っている魚を少しずつひと通り出してくれる。
これがどれも新鮮で、ウマイ!
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万願寺唐辛子とシラスの炊いたん。
「炊いたん」とは京都言葉で、「炊いたもの」という意味らしい。
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賀茂ナスと海老の湯葉あんかけ。
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琵琶湖の稚鮎天ぷら。しかも天然もの。
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鱧皮の胡瓜酢。酢のアンバイが絶妙!
これだけでも酒がいくらでも飲める。
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鱧の卵とじ。
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落ち着いた感じの親方は寡黙でありながら料理をほめるとうれしそうに笑ってくれるし、若い衆もキビキビ働いている。
次に京都に来たらまたこよう!と思わせる店だった。

夜遅く店を出たが、先斗町はまだまだ賑わっていた。
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せっかく関西に来たので翌日は奈良へ仏像を見に行く。
先日北イタリアで教会巡りをしたから、日本のお寺も訪ねなくちゃと思った次第。

京都駅から近鉄線で西ノ京駅下車。駅のすぐそばにあるのが薬師寺
金堂に安置されている薬師三尊像を拝観。
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薬師如来を中心に、向かって右が日光菩薩、左が月光菩薩。合わせて薬師三尊と呼ぶ。
日光菩薩月光菩薩は瓜二つ。2つの仏像をシゲシゲと見て、長年解けなかった疑問が氷解した。
仏像に失礼だが、いつも思っていたのは日光菩薩より月光菩薩の方がセクシーだなということ。
きのうよーく見比べて違いがわかった。
日光菩薩は右の腰をひねった形で立っているが、月光菩薩は左の腰をひねっている。
左腰をねったほうが、なぜかセクシーに見えるのではないか。
理由はわからないが・・・。

中央の薬師如来もすばらしいが、その台座もすばらしい。
台座の裏側は近くでじっくり観察できるようになっているが、薬師如来が座っておられる台座には奈良時代における世界の文様が集約されているという。
一番上の框(かまち)の部分にはギリシャの葡萄唐草文様、その下にはペルシャの蓮華文様が見られ、各面の中央にはインドから伝わった力神の裸像が浮彫りされている。さらに下の框には中国の四方四神(東に青龍、南に朱雀、西に白虎、北に玄武)の彫刻がなされている。
まさにシルクロードが奈良まで続いていたというわけなのだ。

ホンモノはなぜか写真撮影禁止だが、レプリカは撮影オーケー。
四神の1つの朱雀。
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薬師寺には中国・唐の時代の僧、玄奘三蔵の遺骨(戦時中に日本軍が南京で見つけたという)をまつる玄奘三蔵院伽藍があり、その隣には平山郁夫が描き上げた玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」のある大唐西域壁画殿がある。
玄奘三蔵は17年間にわたりインドでの勉学を終え、帰国後は持ち帰った教典の翻訳に専念。その数1335巻に及ぶという。

玄奘三蔵院伽藍に掲げられているのは「不東」の文字。
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これにはひとつの物語がある。
玄奘は都の長安を抜け出してインドを目指したが、途中、現在のトルファンに近い高昌国に至った。
当時の王は高昌国に仏教を広めようとしていて、玄奘に対して「ぜひともこの地にとどまり教えを広めてくれませんか?」と懇願した。どうしてもインドに行くという玄奘を監禁すると、玄奘は断食して抵抗。ついに断食から4日目、衰弱し、それでも清らかな眼差しの玄奘を見た王は、強制のムダを知った。
断食のさなか王は玄奘のつぶやきを聞いた。それは「不東(東へは戻らない)」という言葉だった。
「貧道為求大法 発趣西方 若不至婆羅門国 終不東帰 縱死中途 非所悔也」(私は大法を求めんがために西方に発つのです。もしバラモン国(インドのこと)に至らなければ、けっして東に帰って来ません。たとえ途中に死が待ち受けようと、悔いはありません)
王は自分の邪心を悔いて、玄奘の戒めを解き、こう語った。
「何と志の高い人よ。致し方ない。あなたが求法の旅を続けるのを許すとしよう。そのかわりインドからの帰り道には必ずわが高昌国に立ち寄って私たち弟子を教えてやってください」
それから12年後、玄奘が約束を守って高昌国を再び訪れたとき、すでに王はこの世にはなく、国もまた滅んでいた。

玄奘が訪れた高昌国の城は、今も遺構を残している。風化が進んだ赤茶色の粘土の塊が砂漠の強い光の中で往時を偲んでいる。
その廃墟の姿が、平山郁夫作の「大唐西域壁画」に描かれている。

大唐西域壁画がある大唐西域壁画殿の天井がまたすばらしい。
天井は一面が群青色となっており、黄金色の太陽や月、そして星々が輝いているが、群生色はすべてラピスラズリを用いられているという。

薬師寺のあとは10分ほど歩いて唐招提寺へ。
唐招提寺の金堂。
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唐招提寺では新宝蔵という1970年に建てられた宝物館が必見。
唐招提寺に伝来した諸像の一部がここで公開されているが、どれも目を奪われるものばかり。
まず「唐招提寺勅額」。孝謙天皇の筆になるものという。なかなか達筆。
如来形立像」。“唐招提寺のトルソー”と呼ばれる。井上靖は著書の中で次のように書いている。
「私はその破損仏を目にした瞬間、異様な感動に襲われた。いかなる完全なものより、それは完全に見えた。明るく、自由であった」 
金堂の鴟尾。1200年以上前の奈良時代の鴟尾は、まさに風雪を物語っていた。

お昼は唐招提寺近くのそば屋に行こうとしたら、ちょうど休業日。
そこで再び薬師寺までもどって、薬師寺駐車場横にある「AMRIT(アムリット)」というイタリアンの店へ。
まずはビール。
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ピクルスのリンゴ酢漬け。
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サザエと夏野菜のバーニャカウダ。
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生ウニのクリームソースパスタ。
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デザートは無花果のコンポート。
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料理がおいしかったので赤ワイン(イタリア・ピエモンテ産)を追加。

夕方、京都経由で東京へ。