善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

ラダックの旅 その2 アルチ僧院に見る東西文明の融合

インド最北の地、“天空のチベット”といわれるラダックの旅の2日目。

前日はデリーに1泊して、翌朝、ラダックの中心都市レーに向かう。

デリー6時45分発のエアインディア445便に乗るため早朝3時すぎに起床。

朝食はホテルがつくってくれたお弁当を空港の待合室で広げる。

乗る飛行機は座席数186席のエアバス320neoで、満席だった。

飛行機の窓から見ると、主翼の先にとまっていたのはきのう見たインドハッカ(印度八哥)だ。

バードストライクは大丈夫か?

海抜237mのデリー空港から一気に3505mのレー空港に向かう。所要時間は約1時間ちょっと。

機内食も至って簡素なもの。

ラダックに近づくと雪におおわれた山々が見えてくる。

砂漠のような荒涼とした大地。緑が広がるのはインダス川沿いのわずかな場所だけだ。

建物が見えてきた。インド軍の駐屯地のようだ。

ラダックは中国と接している地域だけに軍事施設が多い。これから行くレー空港も軍との共用で使われている。

だいたい定刻どおり8時20分すぎにレー空港到着。

蒸し暑さが充満している感じのデリーとはまったく違って、涼しくて空気がヒンヤリしている。そのかわり、富士山の山頂に近い標高3500mとあって空気は薄い感じ。

旅行に行く前、かかりつけの内科医に高山病対策のアドバイスをしてもらったが、高山病は酸素不足によって引き起こされるので、意識的に呼吸を行って酸素の摂取量を多くすることが肝心。そこで教えてもらったのが「口すぼめ呼吸」だった。

口をすぼめて口笛を吹くみたいにしてフッフッフッフッと息を吐き出す。すると必然的にたくさんの空気を吸う腹式呼吸となり、酸素摂取量が増加し、酸素を最もたくさん必要とする脳に必要な酸素が送り込まれることになる。

 

4台の車に分乗(1台にツアー客3人が乗る)して、アルチへ。

アルチは標高3165mとラダックの中では多少標高が低いので、そこでまず高山病予防のために体を慣れさせるねらいもあるみたいだ。

途中、小高い場所から見た風景。

ラダックの真ん中をインダス川が流れていて、川の周辺だけにオアシスのように緑が繁っている。

はためいているのはチベット仏教に定番のルンタ。

家の屋上とか山頂、峠、橋や水辺など、いたるところで経文を印刷した魔除けと祈りの旗がはためている。

ルンタはチベット語で「風の馬」を意味するそうで、風に乗って人々の願いを仏や神々に届けたいとの思いによるものなのだろう。

 

インダス川(左)とザンスカール川の合流点。

インダス川は土砂を運んでくるためか茶色く濁っている。

 

チョウを発見。日本で見るのと同じモンシロチョウだ。

モンシロチョウの幼虫は菜の花やキャベツなどアブラナ科の植物の葉っぱを食べる。そういえば菜の花のような黄色い花が咲いている場所があちこちにあった。

 

ラダックでよく見るチョルテン(仏塔、ストゥーパ)。

大小さまざまなものがあり、いずれも信仰の証(あかし)だ。

 

宿泊するアルチのホテルに到着。

お昼はスープとインドらしくカレー味の料理。

それにフレッシュのスイカジュース。癒される味。

食後はさっそく観光に出発。

最初に行くのは仏教美術の宝庫で、古刹として知られるアルチ・ゴンパ(僧院)。ホテルから歩いてすぐのところにある。

鳥が飛んできてとまった。

羽から胸にかけて白黒のツートンカラーで尾が長いカササギだ。

その後もラダックのあちこちで見た。

 

延々とマニ車が並ぶ道を通っていく。

マニ車とは筒の中に経典を入れたもので、時計回りに1回転させると1回お経を読んだことになるのだとか。

中に入っているお経は観音菩薩の六字真言「オンマニペメフム」。

「オン」は真言のはじめの言葉で自分の体、「マニ」は霊験をあらわす宝珠、「ペメ」は水底の土中から伸びて美しく咲くハスの花、「フム」はよい種(たね)の意味で、「よい心の種(たね)を植える」といった意味の呪文のようなもののようだ。

人々は日本の「南無阿弥陀仏」みたいに「オンマニペメフム」と唱えながらマニ車を回す。

 

さて、いよいよアルチ・ゴンパだが、ここは建物の外側からも含めて撮影禁止。

したがって写真がない。それじゃあわからないので西遊旅行のホームページからお借りした。

アルチ・ゴンパはラダック観光のハイライトの1つ。特にこのゴンパの三層堂と大日堂の仏教美術はラダック観光の目玉ともいわれる。

創建は古く、10世紀末に西チベット出身のチベット仏教の僧リンチェン・サンポによって建てられたと伝えられる。

リンチェン・サンポって誰なのか?

彼は958年に生まれ、13歳で得度。グゲ王国の王の命令で21人の若者とともにインドのカシミールに留学した。

紀元前5世紀(諸説あり)、古代インドの東部地域でゴータマ・シッダールタ(釈迦)が悟りを開いたことで始まった仏教は、紀元前3世紀にはアショーカ王の保護を受けて、その帝国下にあったインド各地に広がるが、特にアショーカ王カシミールで篤く仏教を保護したため、カシミールは仏教の栄える地域となっていった。そののちのクシャナ朝でも、カシミールの西方のガンダーラを中心に仏教は繁栄し、カシミールガンダーラもそのころは仏教の先進地域となっていた。

リンチェンサンポはカシミールに3度留学したとされ、2度目の留学のときは32人の建築家、画工、仏師を連れて帰国。伝説では、グゲやラダックに108のゴンパを建立したとされているが、その1つがアルチ・ゴンパなのだろう。

 

アルチ・ゴンパの三層堂のファサードを見て驚く。

入口の2本の柱は、古代ギリシア建築のイオニア式様式でつくられているではないか!

建物の中の4本の柱も同様だった。

ギリシア建築は紀元前7世紀ごろから特徴ある様式を確立して発展していくが、紀元前6世紀半ばにイオニア人によって考案されたのがイオニア式と呼ばれる建築様式。古代における世界の七不思議の1つ、エフェソスのアルテミス神殿はイオニア式で建てられたといわれる。

イオニア式の特徴は柱に顕著で、キャピタルと呼ばれる柱頭が左右に広がる渦巻きの文様になっていること、足元も柱が床に直接ではなく“下駄”を履いている。また、柱にはフルートと呼ばれる溝彫りがある。

アルチ・ゴンパの三層堂の柱も、まったく同じにつくられている。

なぜアルテミス神殿と同じ柱のつくり方がインドのラダックに伝わっていたのか?

紀元前4世紀にアレクサンドロス大王によってもたらされたヘレニズム文明の影響であるのは明らかだろう。

カシミールには、ヘレニズム文明がガンダーラを経由して伝えられていて、ギリシア式の建築技法も伝えられていた。それがラダックにまで伝播していったのだ。

文明が西から東へと伝わっていく様子をこの目で見られるなんて、すばらしいことではないか。

 

三層堂の中に入って天井を見上げる。

独特の明り取りの仕様であるラテルネン・デッケ(三角隅持ち送り形式天井)と呼ばれる天井のつくり方になっている。

ラテルネン・デッケとは、天井の正方形平面の四隅で斜めに梁木や三角形の材を架して、ひとまわり小さい方形の枠をつくり、さらにそのうえに同様の構造を数段繰り返すことによって、次第に中央部を狭めて高くしていくつくり方。

中央アジアの国々、特にアフガニスタンバーミヤンで数多く使われており、東西に伝播していって東は高句麗の壁画古墳(4世紀後半)にまで影響が及んでいるという。

ラダックのゴンパは古い時代は純木造だったという。ただし、現在見ることのできるゴンパは基本的に石や日乾しレンガで外壁をつくり、内部は木造になっているが、石づくりの建物は見ることがなかった。

純木造の場合、天井を高くするときにどうしたか。石づくりなら石を積み重ねてアーチやドームで天井を高くすることも可能だっただろう。しかし、アーチをつくる方法を知らなかった地域では、木材を組み合わせることで天井を高くするしかなかったのだろう。

いずれにしても、ここにも中央アジアからラダックへの建築技術の伝播がある。

 

アルチ・ゴンパの内部の仏像も壁画もどれもすばらしいか、特に目を奪われたのが観音菩薩弥勒菩薩文殊菩薩の三立像の「ドウティ」と呼ばれる下衣に描かれた細密画だ。

(写真は花沢正治写真集「忿怒と歓喜―秘境・ラダック 密教の原像」より。次も同じ)

 

ブッダの一生とか、仏伝の各場面などが実に細かく描かれている。

文殊菩薩立像の下衣に描かれた四角い格子縞の模様が現代アートっぽくて美しい。

「どんな意味があるのか?」とガイドさんに聞いたら、特に仏教的な意味はなく、絵師が考えたものだという。

何とその当時から絵師は、仏教の約束事に縛られることなく、自分の頭の中に浮かんだイメージを自由に絵で表現していたのか!

(つづく)