善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

ラダックの旅 その4 美の原点がニダプクにあった

ラダックの旅の3日目、アルチで1泊した朝、食事の前にホテルのまわりを散策。

青空の下、タルチョ(経文が印刷された五色の祈祷旗)がはためている。

 

民族衣装を着た女性とすれ違った。

写真を撮っていいかたずねたら笑顔でうなずいてくれた。

かぶっているのは「ティビ」という山高帽。

 

野良犬がおとなしくあとをついてくる。



朝食はナンと卵焼きとヨーグルト、それにスイカなどの果物。

飲み物はチャイ。

高山病予防のため、ラダックにきてから毎日、朝と夕に添乗員さんが持参したパルスオキシメーター(血中酸素飽和度測定器)で脈拍数や呼吸数、酸素飽和度を測った。もし高山病にかかったりしたら即座に山をおりるしかないというが、幸いなことに全日程終了まで、階段を上ったりするときに多少息切れする程度ですんだ。

 

本日の予定は、まずインダス川沿いを走ってラマユルという町に向かう。

インダス川近くで途中下車。

荒涼とした風景が広がっている。

岩に描かれているのはチョルテン(仏塔)。

可憐な花が咲いていた。

標高3000mを越えるところで咲いているから高山植物の仲間だろうか。

 

この岩にもチョルテンが描かれているが、その下にかなり古い時代の絵が残されている。

ガイドさんによれば、1000年ぐらい前にここを通ったキャラバンの誰かが描いたものではないかという。角を持った鹿みたいな動物や、レオパードも描かれている。

 

鉄橋に隙間なくタルチョ。橋の安全祈願のためか。



インダス川を見渡せる崖の窪みに置かれているのは、亡くなった人の骨や灰を土で固めた「サツァ」と呼ばれるものだ。

輪廻転生の考え方をするチベット仏教では、ラダックに限らずお墓というものがない。

チベット仏教では人が亡くなると火葬にし、遺灰は川に流し、残った骨や灰で「サツァ」をつくり川を見渡せるところとか風光明媚な場所に置いておく。これらはどれも小さなものだから、やがて自然に朽ち果てて、風とともに消えていく。

 

ラマユルに向かっていると、「月世界(ムーンランド)」と呼ばれる奇岩の風景があらわれてきた。

太古のころの湖に堆積した土砂の層が露出してできたらしい。

 

岩山の中腹に建てられているのがラマユル・ゴンパ(僧院)。

 

ラマユル僧院そばのレストランで昼食。

 

ホテルのあるレーに戻る途中、インダス川沿いのサスポール村を訪れる。

ちょうど、きのう行ったアルチ村の対岸にある村で、アプリコットの産地だそうで露店で干したアプリコットが売られていた

八百屋さんにはいろんな野菜が並んでいたが、どれも少し小さめに見える。

八百屋のお兄さん。筋肉モリモリを自慢していた。

 

砂利道を車で登っていき、途中から歩いて崖の上のほうにあるニダプク石窟をめざす。

ニダプクのニダは太陽と月、プクはお堂を意味し、日本語に訳せば太陽と月のお堂、ということになる。かつて僧が修行のためここに籠もった。人が山を削ってつくったものではなく、自然にできたもので、南を向いているので冬でも瞑想するのに適していたという。

石窟の中は狭く、10人も入ればもういっぱい。しかも中は暗く、入口から射し込む太陽光も中までは届いていかない。

しかし、そんな狭い石窟の壁一面に見事な壁画が描かれている。

石窟内に壁画が描かれたのは11世紀ごろといわれる。

アルチ・ゴンパの壁画と非常によく似ていることから、カシミールから帰ってアルチ・ゴンパの壁画を描いた人が同時期に描いた仏画ではないかといわれている。

どれも目を奪われるほどすばらしい。

特にヤブユムと呼ばれる歓喜仏(男女両尊、父母仏、男女合体尊とも呼ばれる)が多い気がする。

男性尊格が配偶者と性的に結合した状態で描かれたもので、方便と般若(智慧)の象徴的交合を表現しているのだとか。

それにしても昼なお暗い石窟の中でよくもこんなに細かく美しく仏画が描けたものだと思う。おそらく、ろうそくの火を頼りに描いたのだろうが、それでも暗くて、よほど目を凝らさなければ描ききることはできなかっただろう。

当時の人々は美しいものを描こうとか、人にほめられるものを描こうとかなんてことは一切思わず、ただひたすら信仰のために描いた。カシミールで修行した成果を奉納するため、より信仰を深めるため、呪文なり念仏なりを唱えながら黙々と筆を進めたに違いない。

考えてみれば、すべてのアートは信仰から始まったといえる。

アルタミラの洞窟画も、なぜ描かれたかといえば、狩りの成功を祈る呪術的行為ではなかったかといわれている。

モナリザ」を描いたレオナルド・ダ・ヴィンチが画家になりたてのころに描いたのも宗教画だった。

ニダプク石窟の暗い壁面いっぱいに描かれた仏さまたちは、何ともいえない美の輝きを放っていた。

 

続いて行ったのはバスゴー。

今はのどかな場所だが、ここにはかつて王城があり、今もその遺構がある。

こんな話が残っている。

16世紀のラダック王国のツェワン・ナムギャル王の時代、西方から侵入してきたイスラム教徒の軍隊に敗北。一時、王国は崩壊の危機に立たされる。

捕虜となって現パキスタンのカブールに連行されたツェワン・ナムギャル王は、イスラム教徒であるバルテイスタンの王から、3つの条件を飲めばラダックを救ってやろうと申し渡される。

1つは、自分の娘、ギャル・カトゥン王女を王妃に迎えること、2つめはギャル・カトゥンを第一王妃として前王妃との間に生まれた2人の息子を廃位すること、3つめはラダック王国内でイスラム教の布教に努力すること。

ギャル・カトゥン王女は絶世の美人だったので、ツェワン・ナムゲル王は喜んでこの条件を受け入れたが、バルテイスタンの王には、姫を嫁がせることでラダックのイスラム化をねらう意図があったのは明らかだった。

ところが、イスラムの王のねらいに反して、2人の間に生まれたセンゲ・ナムギャル王は、ラダックの歴史上もっとも仏教に熱心な王となり、王国は再び繁栄した。

何だか映画にでもなりそうな話だ。

 

ギャル・カトゥン王女を王妃に迎えてつくったイスラム教のモスクの跡が今も残っている。

 

バスゴーのゴンパには巨大な弥勒菩薩が鎮座。

シンゲ・ナムギャル王が父であるツェワン・ナムギャル王の葬儀の際に建立したといわれる。

大きすぎて写真ではよくわからないが、巨大な弥勒菩薩は両足を開いて椅子に座る形をしている。これを「倚坐(いざ)」と呼ぶそうだ。

弥勒菩薩は、釈迦の次にこの世に出現し、仏陀になると信じられた菩薩。ガンダーラの2~3世紀ごろの弥勒菩薩像は椅子に腰を掛けた形で脚をX字状に交差させる交脚の姿勢をしていてこれは、遊牧民の王侯像に由来するという。交脚は日本など東アジアに胡座(あぐら)として伝えられていく。

しかし、中国では530年ごろ以降、交脚の弥勒は見られなくなり、それに代わって両足を開いて座る倚坐が一般的となったというから、その影響をラダックの仏像も受けていたのだろうか。

 

われわれが拝観したとき、ちょうどお坊さんが読経中だった。

手を合わせ、読経を拝聴する。

 

レーのホテルに戻って夕食。

ラダックの味なのか、癒されるスープ。

 

ホテルは市街地の真ん中にあり、すぐそばはバザール。夜の街を散歩する。

夜の9時をだいぶすぎていたが、街はにぎわっていた。