インド最北端、天空のチベットと呼ばれるラダックの旅の6日目。
朝5時出発で一路東をめざし、1日がかりで“天空の湖”パンゴン・ツォ観光。
パンゴン・ツォはラダックと中国との中印実効支配線に位置するアジア最大の汽水湖。
汽水湖とは海水と淡水が混在した湖のことで、塩分濃度が高く、日本だと浜名湖とか宍道湖が知られる。海とつながっている場合がほとんどだが、パンゴン・ツォは富士山より高い標高4250m。海とつながっているわけではなく、世界一高い場所にある塩湖として有名だ。
しかも琵琶湖(約669平方㎞)に匹敵するほどの604平方kmもの広さがある。北西から南東に細長く全長は150㎞。
「パン」とは草、「ゴン」は塊、「ツォ」は湖の意味で、太古の昔、ここには豊かな草原が広がっていたのではないかといわれている。
パンゴン・ツォはレーから東に150㎞。途中、世界で3番目の高さにある峠、標高5360mのチャン・ラ(峠)を越えねばならず、片道6時間かかる。
途中で舗装された道路は終り、ガタガタ道を行く。
歩いたわけでもないのに、ポケットに入れておいたスマホの万歩計は優に1万歩を超えた。
遠くには雪を頂くヒマラヤの山々。
集落があるあたりは人の手で畑が耕されている。
途中で見つけた高山植物。
標高5360mのチャン・ラに到着。
震え上がるほど寒い。
寒いはずだ、雪が残っている。
それに空気が希薄で、呼吸がしづらい。
3000mと5000mとではこんなにも違うのかと思う。
チャン・ラを越えてすこし標高が低くなると、途端に呼吸がラクになる。
休憩地点ではイヌが日向ぼっこしていた。
放牧中のヤクが草をはんでいた。
すれ違うトラックは派手な飾りをつけている。
途中白っぽい風景があらわれる。
雪ではなく、塩のようなのだが・・・。
遠くの方に青い湖が見えてきた。
パンゴン・ツォに到着。
青空の下。その美しさに息をのむ。
塩分濃度が高く、魚もほとんどいなくて驚くほど透明度が高く、まるでターコイズブルーの珊瑚礁の海のようだ。
なぜパンゴン・ツォは海とつながっているわけでもないのに塩分の多い湖、つまり塩湖なのか?
このあたりは乾燥気候の砂漠のような地域で、周囲を5000~6000m級のヒマラヤの山々に囲まれ、内陸の凹地に水が流れ込んでできた湖なのだろう。
山から湖に流れ込む水はたくさんあるが、流れ出す川はない。水分は蒸発して塩分が濃縮され、塩湖が形成されるという。
こういう湖を内陸鹹(かん)湖ともいって、イスラエルとヨルダンの境にある死海が有名だ。
塩分を含む湖でありながら、冬には完全に凍結するという。
さらに不思議なことに、湖水は東から西へ塩分含有量が増えていき、このため中国に近い方は淡水で、インド側は塩水になっているのだとか。
また、このように場所によって塩分濃度が異なるため、日差しを浴びると濃い緑色、淡い緑色、濃い青色など異なる色を見せるようになる。
湖上には船が何隻か。
国境警備の船だろうか。
目には見えないが湖には国境ラインが引かれていて、湖の東側の3分の2は中国の実効支配域に含まれ、西側の3分の1はインドの実効支配域にになっているという。
2020年6月にはパンゴン湖近くのガルワン渓谷でにらみ合いをしていたインド軍兵士と中国軍兵士の衝突が発生し、インド軍は「インド兵20名が死亡」と発表。中国側も「4人が死亡した」と明らかにしていて、今もこのあたりは要注意の地域らしい。
もちろん、われわれが立ち入った地域は別に兵士が警備しているわけでもなく、自由に動き回れるし、湖畔には宿泊施設もあるみたいだった。
それでも国境警備上、船を出すことは許されていないのか、湖はどこまでも静かだった。
ラダックもパンゴン・ツォも、インド人の多くは知らなかったらしいが、パンゴン・ツォを有名にし、ラダックを人々に知らせたのが2009年公開のインド映画「きっと、うまくいく」(原題「3 idiots」)だった。
インドで興行収入歴代ナンバーワンを記録する大ヒットとなったコメディ映画だが、インド屈指のエリート理系大学ICEを舞台にした3人の若者をめぐる物語で、最後のシーンのロケ地がパンゴン・ツォだった。それでたちまちパンゴン・ツォが有名になり、ラダックの存在が知られるようになり、観光客もやってくるようになったという。
映画にも出てきた「お尻」のポスターがあった。
湖に川が流れ込むあたりでお昼。
われわれが乗った4台の車。
この車に乗ってラダックを走り回った。4人の運転手さん、ありがとー!
帰り道では馬の牧場を通過。
野生のマーモットと出会う。
とても人懐っこくて、人間が近づいてもまるで動じない。
一路、山道を下っていく。
今回泊まったホテル。
ラダックのアルチではジムスカンホリディ(ZIMSKHANG HOLIDAY)、レーでは「ガルダンコンチネンタル(GALDAN CONTINENTAL)というホテルというよりゲストハウスなたいなところに泊まった。両方ともお風呂は温水シャワーのみ(なかなかお湯がでなかったりしたが)、なぜかタオルは大きめのバスタオル1枚のみでフェイスタオルはなし。歯ブラシ歯磨き粉もない。Wi-Fiはホテル内では何とか通じた。
ラダックでの最後の夕食。
ラダックの料理というより、結局最後までカレー味だった。
ラダックを去る日、出発前の朝の散歩。
牛が悠然とお散歩。
なぜか黒鳥?の像。
ビューティーショップの看板。
朝のレーの街並み。まだ8時前で人も車も少ない。
朝食にはおかゆが出たので、添乗員さんが持ってきてくれた梅干しでいただく。
レーからひとっとびでデリーへ。
お昼はデリーのレストランで1週間ぶりの冷えたビール。
うまかった!
レストランの前の木をリスが登っていた。
じっとして様子をうかがっている。
東京行きの飛行機は夜の21時出発なので、バスでデリーの市内観光。
インド門ではバスを降りて近くまで行く。
第1次世界大戦の戦死者を弔うため1929年に建てられた門。高さ42mの門柱には9万人におよぶ戦没者の名前が刻まれているという。
土曜日とあって家族連れなどたくさんの人たちが集まってきていた。
インド門周辺で出会った人たち。
デリーから成田までは所要時間8時間ちょっと。
翌日の午前9時まえに成田空港着。
昼は最寄り駅前のラーメン屋でラーメンを食べ、夜はご飯を炊き、近くの魚屋でみつくろった刺し身と日本酒で無事の帰国を寿ぐ。
ご愛読ありがとうございました。
(おわり)