インド最北端の地、天空のチベットといわれるラダックの旅の5日目。
ラダックの中心都市レー周辺の遺跡やゴンパ(僧院)をめぐる。
まずはレー王宮跡。
ラダックの中心地で、かつては王国の首都として繁栄していた街を見渡せる小高い丘の上に建っていた。
1640年ごろ、センゲ・ナムギャル王により建てられ、レーチェン・パルカル(レー・パレス)と呼ばれた。19世紀ごろに放棄され、今は遺跡となっている。
入口の上からにらむのはスノーライオン(雪獅子とも表記される神聖な動物)。
廃墟となったころの様子が写真で示されていた。
現在、インド考古調査局により修復作業が行われているという。
修復された天井部分。柱はポプラで、天井材はヤナギ。
王宮内部には寺院もある。
ご本尊はドゥカルと呼ばれる白傘蓋仏母像なのだが、ガラスケースに入っていて写真ではよく分からない。
レー王宮のさらに上にある小さなゴンパがナムギャル・ツェモ。
小さな僧院の中には巨大な弥勒菩薩像が納められている。
元々のゴンパはレー王宮より古い15世紀に建てられたが、新たに17世紀にセンゲ・ナムギャル王を偲んで増設され今に至っている。
透かし彫りが見事だ。
下界のながめ。
途中みつけた飲料水の自動販売機。
レー郊外の丘の上にあるシャンティ・ストゥーパ(仏塔)。 1985年、日本山妙法寺によって創建された新しいストゥーパという。
ワンちゃんがお休み中。
日本のニッコウキスゲみたいな花が咲いていた。
こちらは黄色い花。
赤い花も・・・。
まわりは荒涼とした風景。
レーク空港近くにあるスピトゥク・ゴンパ。
中央が本尊のジョウォ・リンポチェ(釈迦牟尼)。
三尊のうちの左にはグル・リンポチェ。
右側にはドルマ・カルモ(白多羅)。
スピトク僧院の座主はバクラ・リンポチェ。ダライ・ラマ同様に転生を繰り返すとされており、先代のバクラ・リンポチェは2007年に73歳で亡くなり、その後まもなく生まれ変わりとされる赤ん坊が見つかり、当代のバクラ・リンポチェは少年に成長して現在別の寺で修行中という。写真は立体?写真。
続いてティクセ・ゴンパ。
高さ15mもあるラダックで最大のチャンパ(弥勒)大仏。2階建てのお堂の吹き抜けに鎮座していて、2階から大仏のお顔と対面するようになっている。
六道輪廻図。
シャキャ・トゥバ(釈迦牟尼像)
独特のタッチの壁画。
護法堂(ゴンカン)。暗い堂内に顔を隠した忿怒尊像が並べられている。
ほかにも壁画がどれもすばらしい。
最後はシェー王宮。
シェーとは「水晶」の意味。15世紀まではここにラダック王国の都があった。
現在残っているのは廃墟となった旧王宮と、その奥に建てられたゴンパ(僧院)。
高さ11mのシャキャ・トゥバ(釈迦)像。
壁画が美しい。
その1つに思わず足がとまった。
舎利弗は釈迦の脇に控えるぐらいだからエライお弟子さんなんだろうが、着ている衣裳から微笑みまで、まるでモナリザかヴィーナスのように美しい。イタリアルネッサンスの絵を連想してしまった。
今回のラダクの旅で最も美しいと思った仏画だった。
ほかにも・・・。
シェー王宮沿いの巨大な岩に描かれた金剛界五仏の磨崖仏。
いつの時代のものかは不明だが、チベット仏教が隆盛を誇る以前のアフガニスタンやカシミールの影響を受けた古い仏教遺物ではないかといわれている。
かなり時代がたっていてはっきりしないが、中央には獅子座に立つ大日如来、その向かって左は像座の上に立つ阿閦(あしゅく)如来、左端には馬座の上に立つ宝生如来、向かって右は孔雀座の上の阿弥陀如来、右端はガルダ座上の不空成就如来。
智拳印の大日如来。
近くの川を泳いでいた水鳥。奥にいるのは善福寺公園でもよく見るバン。
ホテルに戻って、夕方からはラダックの民族舞踊。
「キャット」というラダックの民族舞踊団という。
ラッパのようなのはギャリンというダブルリードの木管楽器。
この楽器は古代ペルシャが起源とされる。ペルシャから西に伝わって、トルコではズルナというやはりダブルリードの木管楽器となった。ズルナはメフテルというトルコ軍楽に不可欠の楽器でけたたましい音がする。
さらにヨーロッパに伝わってオーボエとなった。
ペルシャから東に伝わってチベットのギャリンとなり、中国ではチャルメラ、日本には篳篥(ひちりき)として伝わった。
民族衣装に身を包んだ踊りがどれもすばらしかった。
演目は、「ションドル」。王さまに捧げる踊り。
「チャプサル」。男性の踊りで、これも王に捧げる踊り。
「チャルセス」。春になって鳥たちが歌う。
「ジャブロ」。チャンタン高原の踊り。
「バルテガザル」。カルギル地方の踊り。
「ありがとう」。ザンスカールの踊り。
「タシスパ」。もう一度会いましょう、という踊り。
最後にわれわれも加わり輪になっての“総踊り”。
盆踊りみたいで楽しかった。
(つづく)