善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

フィレンツェ・ドゥオーモの円窓 北イタリアの旅⑦

成田を出発して6日目の5月31日(水)、ポルトヴェーネレからフィレンツェに向かう。ポルトヴェーネレから国鉄のラ・スぺツィア駅までバスで行こうと思ったが、「時間が読めないから」との宿の人のアドバイスでタクシーで行く。
ラ・スペツィア9時23分発の電車に乗り、ピサで乗り換えてフィレンツェ着は11時半ごろ。
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駅から歩いて15分ほどの宿へと向かう。
途中、ピザの店のテラス席で昼食。ビールにサラダ、ピザを注文。生ハムと生モツァレラチーズの乗ったピザがおいしかった。

宿は朝食付きのいわゆるB&Bで民家をホテルに改造したものだった。民家といってもおそらく何百年も前に建てられた石造りの建物で、入口のガードは厳重。
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何しろ古い建物だからエレベーターなんかない。昔風の階段をエッチラのぼっていく。
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部屋は広く、天井の高さは3mぐらいあり、天井画が描かれてあった。
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もともとはお金持ちの住居だったのだろう。
バスルームも広々していた。
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荷物を置いてさっそく町に繰り出す。

まずは宿から歩いて10分ぐらいのところにあるドゥオーモへ。
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ここのドゥオーモ(大聖堂)もやはりでかい。
特徴的なのは中央の巨大な円い窓だ。
今回の北イタリアの旅では、どこに行っても教会のファサードに円形の大きな窓があった。
あれは何を意味するのか?
太陽を表現しているのではないか?
一般に教会の丸い窓は「バラ窓」と呼ばれる。バラ窓というと花のバラ(薔薇)を連想するが、せともとはフランス語の「roue(車輪)」に由来するといわれる。
車輪は古代ケルト世界においては太陽のシンボルだったという。
キリスト教以前のイタリアの古代信仰においても、最も崇められたのは太陽だったろう。
太陽信仰とキリスト教が融合した形が、あの円い窓なのではないだろうか。

実際、ローマの時代の主要な宗教として太陽神ミトラを崇めるミトラ教があり、キリスト教はこれと融合して広まっていったといわれている。(12月25日をイエス・キリストの誕生日とするのも、ミトラ神の誕生日をキリスト教に置き換えたものといわれる。12月25日は太陽信仰にとって再生の日である冬至のころだった) 

扉の上にあった「受胎告知」のモザイク画。
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中は意外と質素。主祭壇の上の天井画が見事。まさしく“天上の物語”が描かれている。
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ドゥオーモのクーポラ(円蓋)にのぼると市内を一望できるというので入口に向かうと長蛇の列。それより、同じぐらいの高さから市内を望める「ジョットの鐘楼」(ドゥオーモに隣接)にのぼることにする。
しかし、これにも行列の後ろについて切符を買わなくてはいけない。まず、切符売り場がある建物に入るための行列があり、係員が整理している。エンエン待って中に入ると、切符を買うには整理券が必要だというので係員の前で行列。そして最後は切符売り場に並ぶんだが、切符は2台の自動販売機で売っている。ところが、その自動販売機の操作がややこしてく、だれもスンナリ買えない。そこで係員が自動販売機をいちいち操作している。
これだけのことに何人もの係員が整理に当たっている。こんなに面倒なら最初から有人販売にしたほうがスピーディだと思うのだが。

それはともかく、414段の階段をのぼってフィレンツェの街並みをながめる。
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隣のドゥオーモのクーポラもよく見える。
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ドゥオーモより、さらにすばらしかったのがドゥオーモ向かいの「洗礼堂」だった。
(つづく)