善福寺公園めぐり

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きのうのワイン+東大寺のお水取り史上初の生中継

チリの赤ワイン「レゼルヴァ・デ・プエブロ(RESERVA DE PUEBLO)2016」f:id:macchi105:20210314112048j:plain

スペインのトーレスが、チリ政府からの依頼を受けて、チリの伝統品種であるパイスを蘇らせ、パイス100%使用で造られた赤ワイン。

パイスは元をたどるとカナリア諸島のブドウ品種で、パルミノの特徴に似ていることなどから、そのルーツはスペインではないかといわれているそうだ。

あまり重くなくて飲みやすいワイン。

 

ワインの友、というより、さっさとワインを呑んで身仕舞いを正して観たのは、NHKBSで放送された奈良・東大寺のお水取り(東大寺修二会=しゅにえ)の史上初の生中継。

 

大仏が開眼した752年、天下泰安・疫病退散を祈って始められて以来1270年、一度も絶えることなく毎年受け継がれてきた「不退の行法」がお水取り。

例年、2万人を超える参拝者が訪れるというが、1270回目となる今年はコロナ禍の中、一部の行事のときだけ2千人の参拝者を入れるものの、二月堂の堂内には一般の人は入れず、週末にあたる12~14日は二月堂周辺への立ち入りを禁止し、いわば「無観客」状態で行われることになった。

それゆえに生中継が可能になったのかもしれないが、午後6時半からの中継の第1部は、国宝・二月堂の欄干から突き出すようにして巨大な炎が駆け抜ける「お松明」。

いったん中継は休みになって、午後10時半からの第2部では、大陸から伝わった神秘的な深夜の秘儀を特別な許可で史上初の生中継。圧巻は、二月堂最奥で聖なる炎が走り飛ぶ「達陀の行法」だ。

 

お水取りの正式名称は「十一面悔過(けか)」というらしい。

本尊である秘仏の十一面観音に、日常犯してしまった過ちを懺悔(さんげ)するため、11人の練行衆がさまざまな行法に取り組む。

中でも、最も激しい所作を伴うのが「五体投地」だった。

チベット仏教などではよく見る光景だが、日本の宗教にも五体投地があるのかと思ったが、体全体を地面に投げ打つのではなく、膝だけを床に打ちつける。それでも合計すると84回にも及ぶという。「五体板」と呼ばれる板に膝を激しく打ち付けると漆黒の堂内に「バーン」という大きな音が響き、練行衆の痛みとともに祈りの深さまでもが伝わってくるようだ。

 

お水取りは、午前0時を回ってからの「達陀の行法」で最高潮に達する。

兜のような達陀帽を被った練行衆が長さ3m、重さ40キロもある松明を掲げ、飛んだり跳ねたり足を踏みならしながら堂内を引きずって回り、叩きつけたりする。そのさまはまるで踊っているようで、燃えている松明を床に叩きつけるものだからあたり一面火の粉の海となり、別の連行衆が必死になって消している。

まさに呪術的な“火の法”といえるすさまじい行法だった。

 

午前1時半近くなって、すべての行法が終ると、練行衆は小さな松明に照らされながら下堂するが、その際、「手水(ちょうず)、手水」と叫びながら一気に駆け下っていく。手水とはトイレのこと。これは、誰もいなくなった二月堂に天狗がいたずらにきては困るので、練行衆が「ちょっとトイレに行って来るだけだよ」と聞こえるようにいって、天狗をだますためらしい。

 

実はこのお水取り、ゾロアスター教の影響が指摘されている。

そもそもお水取りを始めたのは東大寺を開山した良弁の弟子の実忠(じっちゅう)といわれているが、実忠はイラン人(ペルシャ人)だったとの説がある。

 

ゾロアスター教とはペルシアで生まれた宗教であり、宗祖はゾロアスター。その成立年代は紀元前200年代から紀元前7世紀ごろまで諸説ある。

ゾロアスターギリシア語読みで、ペルシャ語ではザラスシュトラ。ちなみにドイツ語読みではツァラトゥストラニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」はギリシア語では「ゾロアスターはかく語りき」となる。

ゾロアスター教は火を神聖視するため「拝火教」ともいう。

ユダヤ教キリスト教イスラム教は同じ起源を持つことが知られているが、さらにさかのぼると原始ミトラ教に行き着く。ミトラ教は太陽神ミトラを主神とした宗教で、メソポタミア周辺に定住したアーリア人(イラン・アーリア人)の太陽信仰が元になって原始ミトラ教がつくられた。そこからゾロアスター教も生まれたといわれる。

ゾロアスター教の影響を強く受けて誕生したのがユダヤ教であり、キリスト教にも受け継がれた。一方、イラン・アーリア人と同じ起源を持つインド・アーリア人はミトラ信仰を元に土着の信仰を取り込んでバラモン教を生み出し、ヒンドゥー教へとつながっていった。

 

ゾロアスター教は、シルクロードを経て日本にもさまざまな形で伝わったとみられる。

拝火教」とも呼ばれるゾロアスター教は儀式の際に火を焚くことを大きな特徴としているが、日本でのお盆の迎え火、送り火密教の「護摩焚き」などはゾロアスター教徒であるソグド人の風習が伝わったものではないかといわれている

お盆という言葉(正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」)自体が、以前は古代インド語の「ウランバナ」のことだと考えられていたが、ペルシア語の「ウルヴァン(=霊魂)」を意味するのではないかという説もある。

 

やはり“水と火の行法”であるお水取りも、ゾロアスター教との関わりが深いとの説があり、そう強く主張したのがイラン学者で京都大学名誉教授の伊藤義教だった。

伊藤教授によれば、実忠という名前は古代ペルシャ語の「ジュド(異なる)」と「チフル(種族)」、つまり「異邦人」を意味し、実忠はゾロアスター教の教えや儀式を元にお水取りを考え出したという大胆な説を立てた。

 

お水取りの行事は、実忠にまつわるこんな伝説から始まったとされる。

実忠は毎年2月に修二会を行っていて、1万4000にも及ぶ神々を呼び集めるため神名帳を読み上げていた(これは日本の神仏習合の始まりともいわれる)が、若狭の遠敷(おにゅう)明神だけが遅れてやってきた。この遠敷明神は実忠の行法に感服し、観音さまに奉る水の供給を申し出ると、黒白二羽の鵜が岩を割って地中から飛び出し、そのあとから2本の水が湧き出し、たちまち清水が湧き出る井戸となった。この水は、遠く若狭から地中を伝って運ばれてきた水だった。

以来、13日の未明、十一面観音に供える閼伽(あか、仏に供する香水のこと)を二月堂そばの閼伽井屋(若狭井)から汲み取るのが習わしとなり、それでお水取りというわけだが、水が地下を伝って別な場所に出るというのはイランの「カナート」にほかならない、と伊藤教授はいっている。

 

実忠がイラン人だった、というのは、鎌倉時代に成立した日本初の仏教書である「元亨釈書」(げんこうしゃくしょ)による記述からも推測できるかもしれない。

同書によると、実忠は美男であり、聖武天皇の妻の光明皇后が恋慕したほどだったというのだ。

それによると、あるとき皇后は、参詣したおりにとても美しい地蔵菩薩像を見て、どうかこのような端正な容姿の紗門(男性修行者のこと)を得たいものだと思い、宮人に探させたところ、「実忠こそ、この像以上の美男であります」と報告してきた。そこで皇后は実忠に入浴させて彼の体をのぞき見すると、その肌色は鮮明美麗であり、皇后は目をしばらく離さず熱視して飽きなかった。突然睡魔に襲われて夢の中で実忠と交接したところでひょいと実忠の頭を見ると、実忠は頭に十一面観音像を頂いていた。皇后はたちまち後悔し、どうか聖師の力で私の過ちをお許しくださいといったという。(杉山二郎「大仏以後」より)

たしかに、当時の菩薩像などはイラン人やインド人をモデルにしたようなものが多い。

それに、時の皇后がここまで恋着したほどなのだからよほどの美男だったに違いない。