善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「私の好きな季節」「ハウス・オブ・グッチ」

フランスの赤ワイン「レ・コティーユ・ピノ・ノワール(LES COTILLES PINOT NOIR)2022」

ドメーヌ・ルー・ペール・エ・フィスは、ブルゴーニュ地方コート・ドール、サン・トーバン村を拠点にワインを造っている一大生産者。5世代に渡り受け継がれた伝統と革新を併せ持っている家族経営のドメーヌ。

ブルゴーニュとその他地域のピノ・ノワール100%。ほどよい渋みでエレガントな味わい。

 

ワインの友で観たのは、民放のCSで放送していたフランス映画「私の好きな季節」。

1993年の作品。

原題「MA SAISON PRÉFÉRÉE」

監督アンドレ・テシネ、出演カトリーヌ・ドヌーヴダニエル・オートゥイユキアラ・マストロヤンニカルメンチャップリンほか。

まだ美しいが中年にさしかかった姉と、その姉を慕って独身を守る弟を中心に、家族の行く末を見つめる家庭ドラマ。

 

公証人のエミリー(カトリーヌ・ドヌーヴ)は同業者の夫(ジャン・ピエール・ブーヴィエ)と大学生の娘アンヌ(キアラ・マストロヤンニ)、養子のリュシアンと4人家族。エミリーの弟アントワーヌ(ダニエル・オートゥイユ)は脳神経外科医だが、エミリーに対して姉弟関係以上の愛情を抱いていることから独身を貫いていた。

そんなある日、きょうだいの母ベルト(マルト・ヴィラロンガ)が脳卒中で倒れてしまう。エミリーが母を引き取るが、新しい環境に馴染めず家を出て一人暮らしを始めるが、すぐまた倒れてしまい養老院に入る。また、エミリーは夫とうまくいかなくなり、夫婦は別居。アントワーヌともケンカ別れし、家族はバラバラになる。

母がとうとう息を引き取り、葬儀のため家族はふたたび集まる。葬儀が終わった午後、庭に並べたテーブルを囲んで食事をする家族は、新しい絆を見つけ出そうとするかのように互いにどの季節が好きかを尋ねあう・・・。

 

原題の「MA SAISON PRÉFÉRÉE」も邦題と同じような意味らしい。劇場公開時は「私の好きな季節」の邦題だったのに、ビデオ発売時には「背徳のささやき」と改題されている。弟が姉をこっそり愛しているというのが「背徳」というわけなのか。美しい姉を持った弟の悲劇?というべきか、姉を愛するがゆえに弟はかえって反発したりして、きょうだいの仲もうまくいってないという設定になっている。

カトリーヌ・ドヌーブは本作が公開された年に50歳になっている。「シェルブールの雨傘」のときがちょうど20歳ぐらいのころ。あの映画の初々しさとはまた違った大人の美しさ。豊かなブロンドをバッサリ切ってショートカットになっていたが、それがまた、ゴージャスではない普通の大人の、幸せな家庭生活を送っているように見えてどこか憂いのある女性の美しさを醸し出していた。

ちなみに本作では、マルチェロ・マストロヤンニとの間に生まれた娘のキアラ・マストロヤンニとの初共演が話題になった。

ドヌーブとマストロヤンニは1971年の「哀しみの終るとき」で初共演し、2人の仲は急速に深くなったようだ。翌年、2人の間に生まれたのがキアラ・マストロヤンニだった。

ドヌーブとマストロヤンニは愛し合っていたものの結婚はしなかった。なぜなら2人には別居中ではあるものの互いに夫がいて妻がいて、ドヌーブは72年に夫との離婚が成立したものの、カトリック信者であるマストロヤンニは離婚していない。このためドヌーブとマストロヤンニは正式な婚姻関係になることがかなわなかったが、晩年まで交流があり、1996年のマストロヤンニの臨終のときにもドヌーブが立ち会っているという。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のCSで放送していたアメリカ映画「ハウス・オブ・グッチ」。

2021年の作品。

原題「HOUSE OF GUCCI

監督リドリー・スコット、出演レディー・ガガアダム・ドライバーアル・パチーノジェレミー・アイアンズジャレッド・レトほか。

サラ・ゲイ・フォーデンのノンフィクション小説「ハウス・オブ・グッチ」を原作にファッションブランド「GUCCI(グッチ)」の創業者一族の崩壊を描いたサスペンスドラマ。

 

1995年3月27日、GUCCI創業者グッチオ・グッチの孫にあたる3代目社長マウリツィオ(アダム・ドライバー)が、ミラノの街で銃弾に倒れた。やがて、犯行を指示した驚きの黒幕が明かされる。ヒットマンに殺害を依頼したのは、マウリツィオの妻パトリツィア(レディー・ガガ)だったのだ・・・。

 

誰もが憧れる世界的なブランドのグッチ。そのグッチの内幕を知って、「まさか、ホント!?」と飛び上がって驚くような内容の映画だった。

何に驚いたかというと、映画の冒頭に「事実をヒントにしたフィクション」との断りがあったが、ヒントにしたという事実そのものが「事実は小説より奇なり」のことわざじゃないが驚愕するような内容だったからだ。

原作のサラ・ゲイ・フォーデンの内幕小説からして「THE HOUSE OF GUCCI」のタイトルのあと副題として「A Sensational Story of Murder, Madness, Glamour, and Greed(殺人、狂気、魅力、そして貪欲のセンセーショナルな物語)」となっている。

 

本作でレディ・ガガが演じたパトリツィアは1948年生まれ。彼女は実父を知らない。母親はレストランの皿洗いをして生計を立て、ミラノ郊外にある小さなアパートで極貧生活を送っていたが、パトリツィアが12歳のとき、母親は輸送会社の経営者と出会い、それがため2人は一転して裕福な暮らしを送るようになる。

経営者はパトリツィアにとって父親のような存在となり、彼女はいつも父親に愛される存在でいなければいけないと必死で、可愛く、美しくいることだけに専念し、おかげで自分が欲しいと望むものを手に入れることができたという。そしてパトリツィアが18歳になったとき、正式にその家の養女となる。

一方、のちにパトリツィアの夫となるマウリツィオは、グッチ創業者一族の御曹司。母を彼が6歳のときに肺炎で亡くし、父ロドルフォの非常に厳格な教育の下で育つ。性格は大人しく内気な少年だったが、大学では成績も優秀でスポーツ万能だったという。

女性と接する機会もなく、不器用でシャイだったマウリツィオが、20歳を迎えた1970年、友人宅でのホームパーティーで出会ったのが、真っ赤なドレスを身にまとったパトリツィアだった。たちま彼は一目惚れ。マウリツィオにとってそれが初恋で、2人は惹かれ合い、恋に落ちる。

マウリツィオの父ロドルフォは2人の交際を認めず、結婚にも大反対だったが、2人は反対を押し切って1972年10月28日に結婚。結婚式に父親は出席しなかった。

4年後に長女、さらに5年後に次女が誕生。ミラノの歴史地区一等地のサンバビラ広場にある豪華なペントハウスで優雅な生活を送り、豪華なヨット、サンモリッツの別荘と贅沢三昧の暮らしの中で、彼女はオカルトとカード占いにも執着し始めるようになる。

やがて彼女はビジネスに口出しするようになる。仕事で世界中を飛び回る夫に対して、子どもたちの育児はすべて自分に任せっきり。それがパトリツィアにはガマンならず、口論は日常茶飯事となる。いつしか彼女はグッチの夫人であるという地位を利用し、「グッチの女帝」のように振る舞い始める。

 

後継をめぐる一族内での骨肉の争いをへて、マウリツィオはグッチの3代目社長に就く。

そしてマウリツィオは、徐々にパトリツィアと距離を置き始めるようになる。なぜなら、マウリツィオには思い出したことがあり、それは父親ロドルフォのパトリツィアについての「あの女は金目当てだ。グッチの財産にしか興味はない」という言葉だった。その父が亡くなり、ビジネスに口を出すようになってきた彼女の振舞いに徐々に嫌気がさしてきたマウリツィオは、家を出て、別の女性と暮らすようになる。

はや夫の愛情を取り戻すことはできないと悟ったパトリツィア。さらには1993年9月、経営の才覚のないマウリツィオは経営に行き詰まってグッチの持ち株をバーレーンの会社に売却して社長の座から去り、グッチ一族がグッチと無縁になったことも引き金となって、こうしたことが1つ1つ積み重なってパトリツィアの不満は憎しみへと変わり、やがてマウリツィオに対する殺意へと変わっていく。

姉妹のように仲のよかった占い師に相談して、マウリツィオの暗殺を企て、犯罪組織からヒットマンを紹介され、その男に夫の暗殺を依頼する。

ヒットマンは、1995年3月27日の朝8時30分、ミラノにある会社の本社の前で待ち構え、階段の上から降りてくるマウリツィオに駆け寄り、ピストルで4発を発射。4発目がこめかみに打ち込まれてこれが致命的となり、マウリツィオはその場で即死。

 

2年間後、パトリツィアは共犯者たちとともに逮捕、起訴され、有罪の判決。

控訴院では弁護人が「夫人は、以前脳腫瘍の除去のため脳外科手術を受け、その後のコバルト療法により殺人を依頼した犯行当時は善悪の判断がつかない心神耗弱状態だった」と主張。精神鑑定を行った精神科医によると、彼女は「自己愛性パーソナリティ障害」とも証言されたが、懲役26年の有罪判決が確定し、1998年から服役。

模範囚として刑期を9年残して17年間の服役を終え出所。刑が短縮減刑されたことで巷では「不屈のクロゴケグモ(黒い未亡人)」と呼ばれたという。

その後のパトリツィアは、ペットのオウムと一緒にミラノで静かに暮らしているそうだが、今年(2024年)で76歳になっているはずだ。

 

本作を観ていて気になったのが、レディ・ガガ演じるところのパトリツィアの描き方だ。

事件に至るまでのあらましをこうしてみていくと、彼女はグッチの名声と財産をねらった“悪女”でもあるようだし、御曹司でありながら甲斐性がなく、そのくせ不倫に走った夫に裏切られた“悲劇のヒロイン”のようでもある。

映画を観た限りでは、ガガは悪女ではなく、愛のために生き、愛のために犯行に及んだ女性としてパトリツィアを演じたように見えた。グッチという巨大組織、ということはつまり男性がのさばる社会で疎外されながらも、立ち向かう女性の姿を、彼女は演じたかったのだろうか。