スジャータ・マッシー「ボンベイ、マラバー・ヒルの未亡人たち」(訳・林香織、小学館文庫)を読む。
今からほぼ100年前の、イギリス領下にあった1921年のインド・ボンベイ(今のムンバイ)を舞台にした歴史ミステリー。
ちっちゃな文字で、文庫本629ページにも及ぶが、これがすこぶるおもしろかった。
主人公は若い女性弁護士のパーヴィン。現代以上に女性差別が激しかった時代、ケンブリッジで法律を学び、ボンベイ唯一の女性弁護士となるが、女性は法廷に立つことが許されず事務弁護士に甘んじるしかなかった。
高級住宅街マラバー・ヒルに住むムスリム(イスラム教徒)の織物会社の経営者には第1から第3夫人までがいて、夫人たちは外の世界からは隔絶され、外部の男の顔を見ることも許されない。その隔絶された屋敷の中で“密室殺人事件”が起こるのだが・・・。
パーヴィンも一度はカルカッタ(今のコルカタ)に住む会社社長の御曹司と結婚するが、嫁に行った先では月経を迎えると不浄を理由に1週間にわたって汚れた狭い隔離部屋に閉じ込められる。
何から何まで女性には不自由で理不尽な世界で、高級ホテルでは女性だけでアルコールを飲むことも禁じられている。
そんな女性差別に反旗を翻す♯MeToo運動の走りみたいな小説で、女性差別を描いた場面はかなり痛々しいが、それをはねのける下りはなかなか痛快。
もう一つ、本書の主人公がパールシーの一族というのも興味深い。
パールシーとは、10世紀ごろにイランからインドへ移住して来たゾロアスター教徒を先祖に持つ人々で、現在でもゾロアスター教の信仰を守っている。
パールシーとはわれわれがペルシア人というのと同じ意味であるという。インドに住んでいるペルシャ人ということか。
しかし、インドにおけるパールシーの人口は多いときでも15 万人程度で(現在では6万人に満たないといわれる)、そのほとんどがボンベイに住んでいる。
筆者はかなり徹底的に取材したのだろう、当時のボンベイの街の様子や、パールシーやムスリムの文化や暮らしぶりが生き生きと描かれていて、まるで100年前にタイムスリップした気分で読めるのが楽しかった。
中でも目についたのがパールシーの伝統料理。スパイシーな料理だけでなく、パールシーはかなり甘いものが好きみたいだが、食材も詳しく書かれていて、読みながらついつい涎が垂れてきた。
ところで先にあげたパールシー。風貌はインド人というよりペルシャ系であり、インドでは少数民族だが、自らを実利主義者ともいっているとおり会社経営者や弁護士、医師、研究者など高学歴・高収入の人が多いという。インドの巨大財閥、タタ・グループの創始者一族もパールシーだ。
ほかに世界的に有名なパールシーとしては、イギリスのロックバンド、クィーンのボーカリスト、フレディー・マーキュリーがいる。彼は当時イギリス領だったタンザニアでパールシーの両親のもとに生まれ、子ども時代にインドに移住したという。
彼のパールシーとしての生き方は映画「ボヘミアン・ラプソディ」でも描かれている。
指揮者のズービン・メータもボンベイのパールシーの家庭に生まれている。
ついでにいえば、日本のマツダ自動車の「MAZDA」の由来はゾロアスター教の最高神であるアフラ・マズダー(Ahura Mazda)。
こちらは創業者がパールシーというわけではなく、西アジアの文明の発祥とともに誕生した神にあやかっているのと、創業者の「松田重次郎」にひっかけた命名という。