スジャータ・マッシー著の「ボンベイ、マラバー・ヒルの未亡人たち」(訳・林香織、小学館文庫)を読んでいて、興味深い箇所があった。
本書は1921年のインド・ボンベイ(今のムンバイ)を舞台にした歴史ミステリー。
主人公はインドに住むゾロアスター教の信者(パールシーと呼ばれる)で、ボンベイ初の女性弁護士、パーヴィーン・ミストリー。
彼女は弁護士になる前、カルカッタ(今のコルカタ)からやってきた若い男と恋に陥り、結婚するのだが、結婚式を終えた初夜の様子を次のように描写している。
サイラス(結婚した相手の男)が自分のスドレとズボンを脱いだ。彼はズボン下だけの姿でパーヴィーンの前に立っている。
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パーヴィーンはおずおずと言った。「もう、神聖な腰紐(クスティ)を取ってしまったのね」
「セックスのときには、聖なる紐は決して身につけてはいけないんだよ」
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「ミセス・ソダワラ(パーヴィーンのこと)、あなたのクスティはどこですか?」
「あなたが捜してちょうだい──」そのあと、パーヴィーンは息ができなくなった。サイラスが体を押しつけてきて後ろに倒され、柔らかなベッドの上で、彼の温かな裸の体がのしかかってきたのだ」
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「愛してるわ」パーヴィーンはささやいた。クスティをほどき始めると、指が震えた。
ここに出てくる「スドレ」と「クスティ」とは何だろうか?
スドレとは木綿の白いシャツのこと。また、クスティはストローのような紐のことで、腰で三重(「善思・善語・善行」を表している)に巻かれる。「浄め」を意味し、常に付けている必要があるとされている。
ゾロアスター教には「ナオジョテ儀礼」と呼ばれる入信儀礼があり、本人が自覚できるようになってから15歳までに、悪と戦うための鎧とされる聖なるシャツのスドレと、聖なる腰紐であるクスティを身につけることで一人前と見なされるという。
小説では、セックスのときは神聖な腰紐であるクスティは決して身につけてはいけないのだという。そして、2人は、互いにクスティをほどいて愛を交わし合うのだ。
愛し合うときには腰紐をほどく、と聞いて、思い出したのが日本の閨の風習だった。
「万葉」の恋の歌の中には「紐」がたくさん出てくる。
ここでいう紐とは下紐(したひも)のことで、表面からは見えない下着(下裳(したも)や下袴(したばかま))に付いている紐のことだという。
たとえば大伴家持の次の歌。
忘れ草 我が下紐(したひも)に付けたれど 醜(しこ)の醜草(しこくさ)言(こと)にしありけり
(忘れなを持っているとつらいことを忘れられるというので下着の紐につけたのに、ひどい草です。少しもあなたのことを忘れられない)
以下は詠み人知らずの歌。
二人して 結びし紐をひとりして 我(あれ)は解きみじ直(ただ)に逢ふまでは
(あなたとお別れするときに、ふたりで結んだ下紐をひとりで解いて他の女(ひと)と寝てみようとは思わない。あなたにじかに逢うまでは)
つまり、下紐を解くというのは衣服を脱ぐの意から、情愛のあらわれ、男女が契りを結ぶことを意味していた。
我妹子(わぎも)し 我を偲ふらし草 旅の丸寝に下紐解けぬ
(いとしい妻が私を慕っているに違いない。旅で着物のまま寝たら下着の紐がほどけたよ)
「源氏物」にも下紐が登場する。
「夕顔」の巻で光源が詠んだ歌。
泣く泣くも今日は我が結ふ下紐を いづれの世にか解けて見るべき
(泣きながらこの下紐を一人で結んだとしても、いつの世にそれを解いてくれるあの人と逢うことができるというのだろうか)
平安時代にあっても「下紐を結ぶ」のは男女の愛情の証であり、「紐を解く」のは男女が打ち解けて睦みあうことを意味しているのだ。
「紐」の起源をたどると、男と女は紐で結ばれているという呪術的(おまじない的)観念にたどりつくとの説がある。
つまり、夫婦や恋人が別れる際、互いに紐を結び合い、再び会う日までその紐を解かないと誓った“魂結び”が「紐」の起源だというのだ。
そうした「紐」の起源には、ゾロアスター教の神聖な腰紐「クスティ」の影響もあるのではないだろうか。
何でこんなことをいうかというと、日本文化にはゾロアスター教の影響を受けたものが数多くあるからだ。
何しろ日本はシルクロードの終着点。シルクロードにおける東西交易で大きな役割を果たしたのがペルシャ系民族のソグド人で、ソグド人が信仰したのがゾロアスター教だった。ソグド人は日本にもやってきたといわれている。ソグド人ではなくてもゾロアスター教を信仰するペルシャ人がやってきていたかもしれない。
彼らは日本の文化に大きな影響を与えていて、たとえば奈良・東大寺二月堂のお水取りのルーツはゾロアスター教にあるという。さらにはお盆も、そもそもゾロアスター教の正月行事に由来するものだといわれている。
日本へのゾロアスター教の伝播は古代にさかのぼるとの説もあり、松本清張は古代史のナゾを追うミステリー「火の路」で、飛鳥時代にはすでにゾロアスター教が日本にやってきていたという仮説を取り入れている。
宗教行事だけではない。
ソグド人の赤ん坊の誕生を祝う行事に「ゆりかご縛り」という行事がある。ゆりかごに寝かされた赤ん坊に対して、口に蜂蜜を含ませ、手にはコインを握らせる。将来子どもが豊かに暮らせるようになることを願う行事だという。
赤ん坊の口に蜂蜜を含ませるのは日本の伝統行事にもある。
現存する日本最古の医学書で平安時代にまとめられた「医方心」(典薬頭を勤めた丹波康頼が928年に著し朝廷に献上)には、「新生児に朱蜜を与える方法」というのがあり、赤ん坊が生まれたときの最初の祝い方として、新生児の口に朱蜜(朱と蜂蜜を混ぜたもの)を与えたり、金銭99文でたたえたりすることが書かれている。
まさしくソグド人の風習をそのまま日本人に当てはめたものではないのか。
実際、治承2年(1178年)11月12日、のちの安徳天皇誕生の際、初めてお乳を与える「お乳付き」の儀式の中で「(皇子の)唇に朱蜜を塗り」と、ときの中宮権大夫・中山忠親は日記「山槐記」に書き記している。
ただし、医心方の内容は、丹波康頼が隋や唐の医書120あまりを引用して書き上げられたもので、「新生児に朱蜜を与える方法」は唐の時代の400年前後にまとめられた「産経」という医学書に準拠している。
中国には日本へより早くソグド人によってゾロアスター教が伝わっているから、ゾロアスター教のやり方が中国経由で日本に伝わったのかもしれない。
いずれにしろ、ここまでゾロアスター教が日本人の中に浸透しているのだとしたら、紐で結び合う日本の男女の“絆”にも影響を与えるのは十分に考えられることではないだろうか。