イタリアのスパークリングワイン「フランチャコルタ・ベラヴィスタ・ブリュット(FRANCIACORTA BELLAVISTA BRUT)2020」
(写真はこのあと鶏モモ肉のグリル)
北イタリア・ロンバルディア州東部のフランチャコルタ地域におけるトップクラスの生産者、ベラヴィスタのスパークリングワイン。
シャルドネ75%、ピノ・ネロ25%で、フレッシュな甘さとほどよい酸味でフランスのシャンパンとはまた違ったおいしさ。
ミラノのスカラ座とのコラボでつくられたのでスカラ座のファサードが描かれたボックス入り。
ワインの友で観たのは、民放のCSで放送していたアメリカ映画「チャンス」。
1979年の作品。
原題「BEING THERE」
監督ハル・アシュビー、脚本ジャージ・コジンスキー、音楽ジョニー・マンデル、撮影キャレブ・デシャネル、出演ピーター・セラーズ、シャーリー・マクレーン、メルヴィン・ダグラス、ジャック・ウォーデン、リチャード・ダイサートほか。

アメリカの首都ワシントンにある豪邸の庭師チャンス(ピーター・セラーズ)は、物心ついたころから住み込みで働いてきたため屋敷の外を知らない。知的障害のある彼は読み書きができず、唯一の楽しみはテレビを見ることだった。
ある日、当主が亡くなり、屋敷から追い出されたチャンスは、街をさまよううちビデオカメラに映る自分の姿に見とれて思わず車道にはみ出したところ、通りかかった高級リムジンに足を挟まれてしまう。
その車には、経済界の大立者でアメリカ大統領の腹心でもあるベンジャミン・ランド(メルヴィン・ダグラス)の妻、イヴ(シャーリー・マクレーン)が乗っていた。ケガを心配したイヴがチャンスを自邸に連れて行き、夫のランドに会わせると、チャンスの運命は激変する・・・。
純真無垢な中年庭師と、権謀術数渦巻く政界の黒幕たちとのミスマッチにより政治の裏面を暴く風刺コメディ。
チャンスはイヴから名前を聞かれて「名前はチャンス、ガーディナー(庭師)です」と答えたのに対して人名の「チャンシー・ガーディナー」と聞き違えるところから全ての誤解が始まる。
チャンス自身は植木や草花のことしか知らないただの庭師のままで、素朴な受け答えしかできないのだが、純真さを失った政界の大物たちは、常に下心を持って人と接し自分たちの都合のいいようにしか物事を見ようとしない。
チャンスが草木の成長の話をすると、それを不況下のアメリカ経済を立て直すヒントを語っていると勘違いした経済界の大立者は、チャンスを大統領に紹介。大統領も、天真爛漫なままのチャンスの庭師としての苦労話を、比喩による政治的アドバイスと思い込んで感心してしまう。
ジャージ・コジンスキーの1970年の小説「庭師 ただそこにいるだけの人」をコジンスキー自らが脚色。
同書はニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」を下敷きに書いたものだそうだが、映画のエンディングでも、静かに去っていく主人公は既成の価値観を乗り越えたニーチェのいう「超人」のようになって、聖書に出てくるイエス・キリストのように水の上を歩くという奇跡を見せて去っていく。
原題の「BEING THERE」は日本語に訳せば「そこにいる」。
「虚言を弄するのでなく、ただそこにいるだけの存在こそが奇跡を生み出す」と作者はいいたかったのだろうか。
ついでにその前に観た映画。
民放のCSで放送していたアメリカ映画「青いドレスの女」。
1995年の作品。
原題「DEVIL IN A BLUE DRESS」
監督・脚本カール・フランクリン、撮影タク・フジモト、音楽エルマー・バーンスタイン、出演デンゼル・ワシントン、トム・サイズモア、ジェニファー・ビールズ、ドン・チードルほか。

アメリカのミステリー作家ウォルター・モズリイのハードボイルドサスペンス小説を映画化。
1948年のロサンゼルス。仕事をクビになったイージー(デンゼル・ワシントン)が、黒人だからという理由で次の仕事が見つからず、住宅ローンの支払いに困っていたとき、知り合いが経営するバーで紹介されたナゾの男(トム・サイズモア)から「仕事がしたければ来い」と誘われる。胡散臭いものを感じながらも、目の前に積まれた現金の魅力に勝てずに仕事を引き受けてしまったイージー。
与えられた仕事は、市長選に立候補した富豪カーターの愛人だったが現在失踪中の白人女性ダフネ(ジェニファー・ビールズ)を捜すことだった。実はダフネを捜していたのはカーターの対立候補である資産家テレルであり、テレルは、ダフネが黒人と白人のハーフであることを知り、それをスキャンダルにしてカーターを追い落とそうと画策していた。
だが、テレルがダフネを追うのはさらに別の理由があり、それはテレルが少年に性的虐待を繰り返していて、ダフネはその証拠写真を持っているのだった・・・。
本作は、フィルムノワールを思わせるタッチでスリリングに展開するハードボイルド&ミステリー映画だが、人種差別が公然と存在していた時代を映し出す映画でもあった。
市長候補の愛人が白人であるなら何ら問題ないが、黒人の血が少しでも入っていれば候補者失格となる現実が1948年のロスに限らずアメリカにあった。
黒人はホテルやレストランの正面玄関からは入れず、裏口から入るしかないことも描かれていた。
邦題の「青いドレスの女」とは、白人女性ではなく白人と黒人のハーフとわかったジェニファー・ビールズ演じるダフネを指すが、原題は「女」ではなく「DEVIL」つまり「悪魔」。「DEVIL IN A BLUE DRESS」は直訳すれば「青いドレスを着た悪魔」となるが、この場合の「DEVIL」とはむろん単なる「悪魔」ではないだろう。
アメリカで「BLUE-EYED DEVIL」というとき、直訳すれば「青い目をした悪魔」だが、魅力的な男性や、ずる賢い口達者な人を指すことがあり、肯定的な意味合いとやや否定的な意味合いの両方を持つ表現としても使われるというから、「DEVIL IN A BLUE DRESS」も、その両方の意味が込められているのかもしれない。