フランス・ボルドーの赤ワイン「クラレンドル・ルージュ(CLARENDELLE ROUGE)2016」
5大シャトーの1つ、シャトー・オー・ブリオン(1533年設立)を所有するクラレンス・ディロンが手がけるワイン。
オー・ブリオンのワインを含む、ボルドー全域からクオリティの高いワインを厳選し、オー・ブリオンの醸造チームが手がけているという贅沢な造りの1本。
メルロ(74%)を中心に、カベルネ・ソーヴィニヨン(17%)、カベルネ・フラン(9%)をブレンド。
ワインの友で観たのは、民放のCSで放送していたアメリカ映画「バード」。
1988年の作品。
原題「BIRD」
監督・製作クリント・イーストウィッド、出演フォレスト・ウィテカー、ダイアン・ヴェノーラ、マイケル・ゼルニカー、サミュエル・E・ライトほか。
伝説のジャズ・サキソフォーン奏者チャーリー・パーカーを描いた作品。タイトルの「バード」は彼の愛称にちなんでいる。
1954年、自殺を図って病院の精神科に収容されたチャーリー・パーカー(フォレスト・ウィテカー)は、自身の過去を回想する。18歳でニューヨークで活動を開始して以来、苦労を積み重ねたパーカーは、やがて“ビ・バップ”と呼ばれる新しいジャズの演奏スタイルを生み出す。
それが大成功を収め、白人ダンサーのチャン(ダイアン・ヴェノーラ)とも結婚。だが自分のバンドを率いて西部に進出するが失敗し、愛娘の死も重なって、次第に酒や麻薬に溺れるようになってしまい・・・。
チャーリー・パーカーは1920年米カンザス州カンザスシティの生まれ。ジャズミュージシャンとして1940年代を中心に活躍し、モダン・ジャズの礎となる「ビ・バップ」という演奏スタイルを創生したプレイヤーのひとりとして知られる。
彼がニューヨークに進出する前、人々に支持されていたジャズといえば「スウィング」と呼ばれる演奏スタイルだった。スウィング・ジャズは、主にダンス音楽として人気で、管楽器を主体とした15名以上のオーケストラであるビッグバンドで奏でられ、踊る客のニーズに応えるため楽譜の音符に従って演奏するなどの制約もあった。
チャーリー・パーカーが生まれ育ったカンザスシティはアメリカでも有数のジャズが盛んな街でもあり、彼は自然と音楽に傾倒し、独学で楽器演奏をマスターして15歳のころにはプロのミュージシャンたちとセッションを重ねるほどだったという。
ニューヨークに出てきた彼は、最初はビッグバンドの一員として演奏の腕を磨いていくが、次第に楽譜通りの演奏に飽き足らなくなり、演奏者の瞬時のひらめきや個性を表現するジャズをめざすようになる。
これがのちに「ビ・バップ」と呼ばれる演奏スタイルとなり、以降のジャズの発展に多大な影響を与えるようになる。
ビ・バップ(Be-Bop)という言葉自体の起源は、即興的なスキャット唱法の中で使われた意味をなさない音の羅列から来ているともいわれるが、リズム先行、アドリブ重視の演奏スタイルをこう呼ぶようになったのだそうだ。
チャーリー・パーカーは、ビ・バップによる天才的なひらめきを伴ったアドリブ奏法によってジャズ界を席巻するが、重度の麻薬中毒とアルコール依存に苦しむようにもなる。異常な行動も目立つようになって病院の精神科への入退院も繰り返すが、ついに1955年5月9日、心不全のため死去。まだ34歳の若さだった。
彼が活躍したのは1940年代の前半から40年代末期のころまでで、その間、10年たらずでしかない。彼の演奏を録音したものも、その間のものしかない。
「ローハイド」のころからの俳優で、映画監督でもあるクリント・イーストウッドは、熱心なジャズ愛好家として知られていて、それどころか役者になる前、彼はジャズピアニストとしてアルバイトをしていた経験もあるのだとか。
チャーリー・パーカーの伝記映画は長年温めていたテーマであり、チャーリー・パーカーの妻だったチャン・パーカーは今も健在で、彼女から話を聞いたり、彼女が持つ未公開の演奏の音源を提供してもらったりして、映画化に漕ぎつけることができたという。
本作の何よりの魅力は、フォレスト・ウィテカー演じるチャーリー・パーカーのサックスの演奏シーンだが、すべてチャーリー・パーカーのオリジナル音源からパーカーのサックス演奏だけを抜き出し、撮影当時の若手ジャズ・ミューシャンによるバッキング演奏と合成したものを使用しているという。
それゆえにあの迫力ある演奏シーンが可能になったわけで、アカデミー賞の録音賞を受賞。
“口パク”とはいえサックスを吹くフォレスト・ウィテカーの演技も見事だった。彼はこの映画のとき27歳で、カンヌ国際映画祭で主演男優賞を受賞している。
話は少し横道にそれるが、昔流行った曲に「ビー・バップ・ア・ルーラ(Be-Bop-A-Lula)」というのがあった。
「Well, be-bop-a-lula, she's my baby」という歌い出しは「ビー・バップしてよ、ルーラ、彼女は俺の恋人さ」といった意味だろうか。
ここでの「ビー・バップ」とは、明らかにチャーリー・パーカーが創出した「ビー・バップ」のことだろう。
この曲が発表されたのは1956年のことで、ここでは「ビー・バップ」が「移り気」とか「浮気な」あるいは「はじけてよ」みたいな意味で使われていて、ルーラはルイーズ(Louise)という女性名なので、「ビー・バップ・ア・ルーラ」は「はじけてよ、ボクのルイーズちゃん」ということになるだろうか。