イタリア・トスカーナの赤ワイン「サバツィオ・ロッソ・ディ・モンテプルチアーノ(SABAZIO ROSSO DI MONTEPULCIAN)2022」
ワイナリーはアンティノリが手がけるラ・ブラチェスカ。
古代ローマの時代から続くトスカーナの銘醸地、コルトーナでワインづくりを行っていて、ブドウ品種はプルニョーロ・ジェンティーレ80%、メルロ10%、その他5%。
濃縮した果実味が特徴のワイン。
ワインの友で観たのは、民放のCSで放送していたスペイン映画「抱擁のかけら」。
2009年の作品。
原題「LOS ABRAZOS ROTOS」
監督ペドロ・アルモドバル、出演ペネロペ・クルス、ルイス・オマール、ホセ・ルイス・ゴメス、ブランカ・ポルティージョ、タマル・ノバスほか。
愛に生きる一方で映画づくりに情熱的に打ち込む主人公の幸福の絶頂とそこからの予期せぬ転落、絶望、そして再生までの長い道程を描く。
2008年、スペインのマドリード。14年前の自動車事故で視力を失った男(ルイス・オマール)は、ハリー・ケインの筆名で脚本家をしていたが、彼には秘めた過去があった。
本名のマテオ・ブランコを名乗った映画監督時代、彼は大富豪マルテル(ホセ・ルイス・ゴメス)の秘書で愛人でもあった女優レナ(ペネロペ・クルス)と出会い、激しい恋に落ちたのだった。マルテルからの嫉妬と懐疑と欲望に翻弄された日々を思い起こすマテオ。
マルテルの死を知った彼は、甘く苦い愛の記憶をたどるうち、封印した過去に向き合おうとする・・・。
本作について、監督のペドロ・アルモドバルが、「過去と直面する男の物語は、スペインの現実のメタファー(隠喩あるいは暗喩)でもある」というようなことを語っているのが気になった。
どうやら本作を観るというか考える上では、スペインという国の時代背景を知る必要がありそうだ。
アルモドバルは1949年スペイン生まれ。父親は、ファシズムと人民戦線政府が対決して国を二分したスペイン内戦の体験者だったが、その体験を家族に一言も語ろうとはしなかったという。
スペイン内戦は1936年から39年までの3年間続き、ドイツ、イタリアなどのファシズム陣営が後押しし直接参戦もしたフランコを中心とする右派の反乱軍の勝利に終わり、第二次世界大戦にも影響を与えた。
この戦争をテーマにしたヘミングウェイの小説や映画にもなった「誰がために鐘は鳴る」や、ナチス・ドイツがスペイン北部のゲルニカに対して行った都市無差別爆撃を描いたピカソの「ゲルニカ」などでも知られるが、この内戦によりスペイン国土は荒廃し、勝利したフランコはファシスト体制による独裁政治を確立する。
しかし、このフランコ独裁政権も、ドイツ、イタリア、日本の枢軸国の敗北により一緒に消え去ったかと思ったら、そうではなかった。フランコの独裁政権は依然としてスペインに君臨し、彼が病気のため82歳で亡くなる1975年まで続いたのだ。
アルモドバルは、戦後、スペインがファシスト国家として国連から排除される一方で、東西対立による冷戦下、西側諸国からは反共の国として受け入れられつつあるころに生まれた。
そして、フランコの死により独裁は終わりを告げ、彼の遺言により王政が復活したころに10代を迎えた。抑圧された空気からの解放感と自由へのエネルギーをもとに、映画づくりの道へと進むようになったというが、同時に彼の目に、スペインの人々は忌まわしかったフランコ独裁政権下の過去を忘れようとしているように見えたという。
映画づくりを始めるに当たって、成熟した民主主義になった今だからこそ、あらためて過去を見直す必要があり、「癒えない傷の痛みを消すためにも、記憶の亡霊と向き合うことが大切だ」と考えるようになったという。
本作で、14年前、愛を貫こうとした主人公を転落させ、絶望の縁に立たせたのはフランコ独裁の亡霊かもしれないし、そこから立ち直って再生への道を歩もうとする男の姿とは、スペインの民主主義なのかもしれない。
そういえば視力を失って本名を捨てた男が、名乗っていた名前はハリー・ケイン。続けていえばハリケーンであり、日本でいったら台風だが、「感情の激発」の意味もあるという。
本作では、壁にかけられている絵がどれも名作っぽく見えたが、複製だろうか。
特に気になったのが大画面に拳銃を描いた作品で、アンディ・ウォホールのポップアートのようだった。
セリフにもおもしろいのがあった。
若い脚本家志望?の青年ディエゴ(タマル・ノバス)が、主人公に自分が考えた脚本の内容を話す場面。ヴァンパイヤが献血センターに血をもらいにやってきたときの騒動を描く物語で、映画化したらおもしろいだろうなーと思った。
ついでにその前に観た映画。
民放のCSで放送していたインド映画「途中のページが抜けている」。
2012年の作品。
原題「NADUVULA KONJAM PAKKATHA KAANOM」
監督バーラージ・ダラニダラン、出演ヴィジャイ・セードゥパティ、ガーヤトリ、ヴィグネーシュワラン・パラニサーミ、バガヴァティ・ペルマール、ラージクマールほか。
プレーム(ヴィジャイ・セードゥパティ)と恋人のダナ(ガーヤトリ)は、結婚式を明日に控えていた。ふたりは懐疑的な親族を粘り強く説得して結婚を認めさせ、苦労の末にやっと式を挙げるところまできたのだった。
その日、プレームは仲のいい友人であるバグス、サラス、バッジと暇つぶしに草クリケットで遊んでいたが、転倒して頭を打ち、一時的な記憶喪失になってしまう。友人たちのことは覚えているが、ダナや結婚のことはわからないというのだ。
プレームの症状を明かせば結婚自体が流れてしまうかもしれない。そんな危機に3人の友人たちは知恵を絞り、なんとか式を開催しようとするのだが・・・。
歌もダンスもないインド映画。結婚式の前日に記憶をなくした新郎と幼なじみ3人の、わずか数日のドタバタ騒動。それだけの話でも上映時間は2時間40分で途中にはインターミッションあり。
製作費もかなり安くすんだらしいのだが、仲よしの男4人のドタバタが受けたのか、インドでは驚異の大ヒットを記録したとか。
本作は、撮影監督の実話をモチーフにしていて、撮影監督のC・プレム・クマールは結婚式の2日前、監督バーラージ・ダラニダランら友人3人とクリケットをしていて、キャッチをしようとして転倒し、一時的に記憶を失った。医師の診断によると逆行性健忘症というものだったらしいが、この出来事を映画にしようと思い立ち、ダラニダランが脚本と監督を、一緒にいたバガヴァティ・ペルマールが出演者に、被害者のクマールは撮影を担当した。
ダラニダランは本作が長編1作目という新人監督であり、ペルマールも映画初出演。また、主演のヴィジャイ・セードゥパティも長い下積みの末にようやく頭角を現したところで、ヒロインのガヤートリはデビューから2作目。いわば新人ばかりのスタッフ・キャストによる低予算映画だったことがむしろ功を奏し、そのフレッシュさゆえに好評を博したのかもしれない。
民放のCSで放送していたオーストラリア映画「ニトラム」。
2021年の作品。
監督ジャスティン・カーゼル、出演ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、ジュディ・デイヴィス、エシー・デイヴィス、アンソニー・ラパリアほか。
1996年4月28日、オーストラリア・タスマニア島の世界遺産にもなっている観光地ポートアーサーで実際に起こった無差別銃乱射事件を映画化。
1990年代半ばのオーストラリア、タスマニア島。観光しか主な産業のない閉鎖的なコミュニティで、母(ジュディ・デイヴィス)と父(アンソニー・ラパリア)と暮らす27歳の青年(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)。小さなころから周囲になじめず孤立し、同級生からは本名の「マーティン」(MARTIN)本名を逆さに読みした「NITRAM(ニトラム)」という蔑称で呼ばれ、バカにされてきた。
何ひとつうまくいかず、思い通りにならない人生を送る彼は、サーフボードを買うために始めた芝刈りの訪問営業の仕事で、一人暮らしの裕福な中年の女性ヘレン(エシー・デイヴィス)と出会い、同居を始める。ところがヘレンは自動車事故で死亡し、孤独感を募らせた彼は、銃を買い求める・・・。
結局、彼は銃を乱射して多数の人々を無差別に殺害する事件を起こすのだが、なぜ犯行に及んだのかは明確にならないまま物語は終わる。実際の事件でも犯行の理由は不明のままだというから、監督のジャスティン・カーゼルもその点についてはあまり深追いはしなかったのだろう。
しかし、本作で明確に描き出されていたことがあった。それは、オーストラリアでは銃が簡単に買える現実だった。
監督によれば、オーストラリアでは「まるで釣り竿を買うように」簡単に自動小銃が買えてしまっていたという。
映画では最後に、この事件を機にオーストラリアの銃規制が進んだ一方で、銃の所持数は当時より増えている、との字幕が流れていた。
たしかに民間の小火器保有数の世界ランキング(2017年)を見ると、人口100人あたりで120丁と図抜けて多いアメリカは別格として、オーストラリアは15丁でタイとならんで世界22位。ちなみに日本は0・3丁(スイス・ジュネーブの国際開発研究大学院にある研究プロジェクトSmall Arms Survey調べ)。
日本の0・3丁はほとんど猟銃だと思うが。
“銃社会”といえばアメリカが有名だが、オーストラリアも決して安全な国とはいえない、ということを本作は訴えたかったのではないだろうか。