土曜日朝の善福寺公園は曇り。風はなく、きのうよりは暖か。
けさも上池に文二くんらしいオスのカワセミ。
身を乗り出している。何か見つけたのか?
平べったい感じの緑色のカメムシ。
アオカメムシだろうか。
きのう見つけたアゲハのサナギ。
どう見てもバルタン星人か、特撮映画の大魔神だ。
上池を半周して下池へ。
3羽のカワセミが入れ替わり立ち代わりして飛んでいた。
ドテ座りの六兵衛か。
しきりに背伸びして、お前より大きいぞと威嚇しているのか?
こちらでも背伸びのポーズ。
メスのサクラちゃんもやってきていた。
離れた場所の枝にとまっていたのは、遠くてよくわからないが、小四郎か、六兵衛か、それとはも別の新参者か?
ゴミグモほどの小さなクモ。
体の大きさに似合わないような見事な網を張っている。
近づくと脚を縮めてファイティングポーズ?
ヒガンバナの葉っぱにチョウかガの幼虫が何匹もいた。
帰って図鑑で調べたら、ハマオモトヨトウというガの幼虫のようだ。
幼虫が食べる植物がヒガンバナ科のハマオモト、ヒガンバナ、タマスダレ、アマリリスなどのため、ついた名前がハマオモトヨトウ。
ヨトウは漢字で書くと夜盗で、日中は土中などに潜み、夜になると地上に出てきて食害するのでこの名がついたという。
脱皮した直後だろう。脱け殻が上にある。
ウンモンクチバらしいのが交尾中だった。
漢字で書くと雲紋朽葉。
朽葉色した前翅のもやもやとした班紋を雲に見立てて名づけられたようだ。
ガニマタポーズのキマダラカメムシ。
黒褐色の体に黄色の小さなまだら模様が散りばめてあるのでキマダラカメムシ。
それにしても、ハマオモトヨトウといいウンモンクチバやキマダラカメムシといい、昆虫につけられた日本語の名前、つまり和名は実にわかりやすい。
昆虫学者の丸山宗利氏、中瀬悠太氏と、解剖学者で虫好きでも知られる養老孟司氏との鼎談集「昆虫はもっとすごい」(光文社新書)によれば、日本では昆虫に必ず和名がつけられているが、そんな日本のように学名とは別にその国独自の名前を持っている例は世界的に見ると珍しくて、日本独特の文化なのだという。
たとえば甲虫の場合、欧米では有名な甲虫には英名があるが、ちょっと珍しい甲虫になるとほとんど学名だけという。
学名は基本的にラテン語だが、言語が似ている欧米人には何となく読めるから、必ずしも自国の言葉に置き換えなくともいいのかもしれない。
しかし、日本語しか理解できない日本人はそうはいかない。本書でも「日本の場合、明治維新で学名という概念が入ってきてもなお、江戸時代までにつけられた和名を残した」と述べていて、養老氏も「そうそう、明治維新のとき、日本は『科学を日本語でやる』前提をどんどん置いたんだよね。この考え方は世界的に見てもちょっと変わっていて、アジア全体でも日本ぐらいじゃないかな」と語っている。
おかげで日本では「アキアカネ」という、いかにも日本語らしい響きの和名があるし、「キノコヒゲナガゾウムシ」というのも、何となく見た目や生態が想像できる名前だ。
「科学を日本語でやる」のは医学も同じで、養老氏によると、「解体新書」で知られる杉田玄白や宇田川玄真は西洋の用語をせっせと日本語に置き換えていき、「コル」(ラテン語)や「ハート」(英語)とそのままカタカナで読むのではなく「心臓」というまったく別の日本語を当てはめていった。「当時の日本人はとにかく新しい概念を新しい日本語として使えるように、言葉を当てはめたり、つくったりした」と養老氏は述べている。
だから膵臓の「膵」の字は国字だし、「神経」という言葉も杉田玄白による造語で、オランダ語を訳すとき、「神気」と「経脈」を合わせてつくり出したのだそうだ。
それは医学用語に限らず、たとえば英語のインフォメーションやインテリジェンスをそのままカタカナ語で使うのではなく、「情報」という新しい言葉をつくって広めたのは明治の人たちの功績だろう。
ひるがえって、今の日本のカタカナ語の何と蔓延していることか。
「日本語に訳すのが難しいから英語のまま使っている」とかいってるが、日本語にする努力を最初から放棄しているとしか考えられない。
翻訳者たちの怠慢のおかげで、日本語が次第に遠くなっていくのが悲しい。