善福寺公園めぐり

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マヤコフスキー事件


マヤコフスキーといえば旧ソ連を代表する詩人の一人。20代のころ、マヤコフスキーとかフランスのアラゴンなんかの詩を読んだのを思い出す。
先ごろ第65回読売文学賞(評論・評伝賞)を受賞した本。
しかし、本書は評論というより推理小説を読む感じだった。

マヤコフスキーは1930年(ということは今から84年前)、36歳のときにモスクワの仕事場でピストル自殺を遂げたとされるが、筆者は「実は暗殺されたのではないか」と死の真相に迫る。
手がかりとなるのは、マヤコフスキーと恋愛関係にあったモスクワ芸術座の女優、ヴェロニカ・ポロンスカヤが書き残した3つの文章。

1つはマヤコフスキーが急死した当日に当局の事情聴取を受けたときの供述調書。ここではマヤコフスキーからのストーカー行為に困っていて、執拗に言い寄られたのをはねつけていたという内容。そこから、冷たくされたのを悲観して自殺したのではないかとの推測が成り立つ。

ところが、何年かのちにポロンスカヤが書いた回想記では、2人は相思相愛の仲だったと告白している。

そして3つめの文章は、マヤコフスキーの死後だいぶたって、フルシチョフ時代に書かれた手記で、「マヤコフスキーは殺された」と題されていて、出版しようとほうぼうの出版社を回るが実現せず、ついにはその原稿は行方知れずになり、ポロンスカヤも死んでしまった。

ほかにも、イスラエルで出版された本に引用されているマヤコフスキーが「自殺」の4、5日前に書いたといわれる手紙の内容など、まあ、いろんな資料をよくも集めたものだと思うほど集めて、これら資料をジグソーパズルを解く如く分析していくと、くっきりと「他殺」の文字が浮かび上がってくるという。

革命詩人であるはずのマヤコフスキーがなぜ殺されなければいけなかったのか。
当時はスターリン独裁の時代。
どうやらマヤコフスキーは、論敵トロツキーを排斥したりしているスターリンに反発を感じていたらしく、それを反ソ・反スターリンととらえられて粛清されたのではないかという。

それにしても、マヤコフスキーは恋多き男だったようで、その多感さはまた、詩の源泉でもあったのだろう。
詩人たるもの恋をすべし。いや、恋をするから詩人なのかもしれない。