今年の世界報道写真コンテストで、125カ国・地域のフォトジャーナリストの中から日本人カメラマンの千葉康由さんが大賞に選ばれた、というニュースが、最近あった。
このニュース報じた4月17日のAFP電は、千葉さんが撮影した写真を「スーダンで行われたデモで携帯電話のライトに照らされながら抗議の詩を暗唱する若者」と伝えた。
彼が撮った写真を見ると、たしかに群衆の真ん中で若者が叫ぶようにしているが、あれは詩を読む姿だったのか。
抗議行動の先頭に立つ若者が詩を暗唱する姿に、とても心引かれた。
なぜ若者はデモの隊列の先頭でスローガンを叫ぶのでなく、詩を朗誦するのだろうか?
5月3日付の朝日新聞の付録「Globe」にこのニュースの後追いが載っていて、撮影者の千葉さんがインタビューに答えている。
彼は受賞後、時間が経つにつれて、こんな気持ちにもなったという。
「アラビア語圏では詩を使うことが特別なことではないと後で知った。この写真が単にデモの写真というだけでなく、スーダンの、アラビア語圏の人たちの生き方を伝えられたのではないかと思い、自分では気に入っている。むしろ、その部分が一番伝えたい点かもしれない」
なるほど、アラビア語圏では詩が日常の中に生きていて、抗議行動や抵抗運動の武器にもなっているのだろうか?
それで、ネットで「アラビア語圏 詩 抗議行動」をキーワードに検索したら、いきなりヒットしたのが、何と日本の公安調査庁がまとめたリポートだった。
公安調査庁とは、過激派や右翼、オウム真理教なんかの行動を調査するとしながら、共産党とか市民団体までも調査と称して監視している諜報機関。CIAの日本版といったところか。
その公安調査庁は中東の過激派組織についても研究しているらしくて、レポートは題して「アラブの古典的な詩を利用したイスラム過激組織のプロパガンダ」。
それによると、アラブ社会ではイスラム教が成立する以前から長きにわたって詩が愛されていて、現代のアラブ人にとって詩は、先人から受け継いだ誇るべき文化・伝統の集積のような存在である」という。
「現在でも詩はアラブ人にとって身近な存在であり、中東では詩人のオーディション番組が人気を集めるほどである」
「こうした詩への親しみがイスラム過激組織によるプロパガンダ活動で詩が活用される背景の一つともなっている」とレポートでは結論づけているんだが、詩人のオーディション番組まであるというのはすごい。
それでさらに調べてみたら、アラブ圏のテレビの人気番組に「百万人の詩人」というのがあって、視聴者は7000万人にものぼるんだとか。
この番組にヒジャブ姿の女性が出演して、反骨心にあふれた詩を披露。女性への厳格な戒律と男性優位の社会に旋風を起こした、というドイツ製作のドキュメンタリー番組が2年前のNHKBSで放送されたらしい。
アラビア語の詩ってどんなものなのか?
アラビア語圏で詩が人々の暮らしの中にある理由にはイスラム教の影響が大きいに違いない。
そういえばイスラム圏を旅行すると、しばしば礼拝の呼びかけであるアザーンがモスクのミナレットの高いところから流れてくるが、あれこそまさに詩ではないだろうか。
アザーンは本来、テープで録音したのを流すのではダメで、生の声でなければいけないという。聞いているとまるで歌うように高音域とコブシを巧みに効かしている感じがして、中には名人上手がいるだろう。
実際、トルコでは毎年1回、アザーンの朗誦コンケテストが開かれていて、全国の予選を勝ち抜いた参加者たちが全国一の座をめざすのだそうだ。
もともとイスラム教の正統派は、教義上、官能的快楽をもたらすものとして音楽を容認してこなかったという。音楽に代わるものが詩ではなかったろうか。
アザーンもそうだが、礼拝のときにおけるコーランも読誦もしくは朗誦という。その起源は、古代の呪文や、ムハンマド登場以前の前イスラム期における詩の詠唱に由来するといわれているという。
でも、改めてアザーンを思い出すと、あれはまさしく詩であり、歌だった。
夜明け前のホテルのベッドで聞いたアザーンの響きが、まざまざと記憶によみがえってきた。