善福寺公園めぐり

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魂の歌と踊り ラッチョ・ドローム

銀座5丁目のエルメスビル10階にあるミニシアター「銀座メゾンエルメス ル・ステュルディオ」でフランス映画「ラッチョ・ドローム」を観る。f:id:macchi105:20210717173400j:plain

1993年の作品。監督・脚本トニー・ガトリフ

ジプシーとも呼ばれるロマの流浪の歴史を綴るドキュメンタリー。セリフで語るのではなく、ほぼ音楽だけで表現する映像叙事詩といえるもの。監督のトニー・ガトリフは、母親がアンダルシア地方出身のロマであり、ロマを題材とした作品を多数発表している。

題名の「ラッチョ・ドローム」とは、ロマの言葉で「よい旅」を意味するという。

 

ロマは約1000年の歴史を持つ流浪の民。今から1000年前ごろにインド北部、パキスタンと国境を接するラジャスタン地方から放浪の旅に出て、北部アフリカ、ヨーロッパなどにたどり着いたといわれる。なぜ旅に出たのか。迫害にあったのか、あるいは連れていかれたのか、理想郷を求めて西方に向かったのか、その理由は定かではないという。

映画は、彼らの起源の地といわれるインド北部のラジャスタンでの婚礼の儀から始まり、エジプト、トルコ、ルーマニアハンガリースロバキア、フランスのロマとその音楽が描かれ、最後はスペインのフラメンコで終わる。

起源は同じとしても、その先々で顔つきも体つきも変わっていき、奏でる音楽も変わっていくが、根っこのところでは変わらぬものがあって、一本の太い糸でつながっているように見える。

 

特に感動的なのが冒頭のインド・ラジャスタンの砂漠での歌と踊り。

踊りはカルベリアダンスといって、ラジャスタンに住む蛇遣い族のコミュニティで踊られてる即興の踊りという。

とてもエネルギッシュで、1人の踊り子がクルクルまわる様子は、トルコ中部コンヤのイスラム神秘主義の一派、メブレビー教団の旋回舞踊セマーにそっくりだ。

セマーの旋回舞踏は、クルクルまわることで神と一体になることをめざすものだが、ひょっとしてラジャスタンのカルベリアダンスから影響を受けているのではないか。それはわからないが、少なくとも中東アラブ圏のベリーダンスやスペインのフラメンコに影響を与えているのは確かのようだ。

映画で踊っていたのはスワ・デヴィ・カルベリアという人で、アフガニスタン出身の歌手で舞踊家らしい。

 

星空のもとでの男性の歌もすばらしかった。

赤いターバンを巻き、白い衣裳を身につけた男性は、映画「アラビアのロレンス」に登場するシャリフみたいな立派なヒゲの精悍な顔つきで、まるで朗誦するように甘い愛の歌を歌う。

声を口の中で転がすようにして、うねるように歌う独特の唱法で、女性たちはとろけるような表情でうっとりとして聴いていた。

 

ほかにも、エジプトではミュージシャンズ・オブ・ザ・ナイル、ルーマニアではタラフ・ドゥ・ハイドゥークス、チャボロ・シュミット、スペインではレメディオス・アマジ、ラ・カイータなど。どの音楽も、心と体を揺さぶるものだった。

 

映画を見ていて思ったのは、ロマという漂泊・放浪する人々の芸術性の高さだった。子どもまでも軽妙にリズムをとり、美しい歌声を響かせる。

しかし、高い芸術性とともに、おそらく1000年前から変わらなかっただろうと思うのが彼らの貧しさだった。放浪の民ということで差別の対象にされ、ナチス・ドイツでは「人種的に劣った集団」というので迫害されたという。

日本にも放浪の民として旅回りの芸人の一座があったし、猿回しや大道芸なんかもやはり放浪芸人として全国各地をめぐっていた。彼らは行く先々出で人々を楽しませもするが、同時に貧しさからも逃れられなかった。

貧しいからこそ、その貧しさから逃れるためにより芸術性を高めようとしたのかもしれない。いや、彼らは金儲けをしたくて音楽や芸能をやっているのではないだろう。それよりむしろ、ふるさとをあとにするからなおさらのこと、自分は一体何ものなのかを確かめたくて、祖先から受け継がれた音楽や芸能を大切にしたかったに違いない。