善福寺公園めぐり

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トルコ15日間の旅 その8

トルコの旅9日目の6月28日はエーゲ海沿いのクシャダス周辺の古代イオニア都市の遺跡めぐり。
エーゲ海に面したこのあたりはかつては(といっても紀元前の話)、ギリシャ文明圏でもあったのだろう。古代ギリシャの一部であるアナトリア人がいくつもの都市国家を形成していた。それまでアナトリア人はギリシャ本土とアナトリア半島(今のトルコ)の間にあるエーゲ海の島々に住んでいて、アテネやトルコの両方に移住して自分たちの国を築いたという。
その1つ、プリエネはBC350年ごろに成立した都市国家
このころすでに都市計画という概念のもと、綿密な都市整備が行われていたという。都市計画の最古の例といわれる。
背後にそびえる岩山の斜面を利用して建設され、整然と区画された碁盤の目設計となっていた。
遺跡発掘の結果わかった都市計画図。たしかに碁盤の目のよう。
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6000~7000人収容という円形劇場。
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立派なイスが残っていた。VIP用だろうか。
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柱の一部とみられる石がゴロゴロしていた。
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BC4世紀、東征中のアレキサンダー大王はこの地に立ち寄り、アテナ神殿を寄贈したといわれる。そのアテナ神殿は5本の柱を残すのみ。
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柱の上で鳥がさえずっていた。
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アレキサンダー大王はしばらくこの地に滞在していたようで、彼が住んだ家のあとを示す看板が立っていた。
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次に行ったのがミレト。
古代イオニア都市の中でも文化・学問の中心として発展。また、海に臨む恵まれた立地を利用して経済的にも発展したという。
1万5000人収容という劇場。
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トンネル。
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アゴラ(市場)の跡か?
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それにしても思うのは、ギリシャ文明系の遺跡のどこへ行っても必ず円形の野外劇場があることだ。
古代の人々はそれほど芝居を観るのが好きだったのか?
芝居を観るためというより、古代の劇場は市民みんなが集まる集会場としての役割が強かっただろう。

もともと演劇の起源は儀式というか祭祀、祝祭にあるという。
歌や踊り、あるいは詩の朗誦といったものは儀式にとって不可欠なものだったろう。
古代の劇場はそこに住む住民すべてが参加できるだけの規模を持っていた。
歌や踊り、詩を朗誦する儀式は、住民すべてが参加するものであり、劇場は町を上げての祝祭の場だったのだ。

続いてアポロ神殿で知られるディディムへ。
BC6世紀以来、神託の地として栄えたところ。
ペルシャのダレイオス1世やアレキサンダー大王、歴代のローマ皇帝もここにやってきて神託を受けたという。
アポロ神殿の跡。
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巨大なメドゥーサのレリーフ
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威厳を示すためか、とにかく柱が太い。
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往事は120本以上の石柱が立っていたという。
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有翼獣のレリーフ
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アポロ神殿でたたずむ少年は何を思う?
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