善福寺公園めぐり

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Nスペ「アイアンロード」と「タタラ」

月曜日(13日)夜のNHKスペシャル「アイアンロード~知られざる古代文明の道~」を観る。

 

シルクロードより古い「文明の道」が最近の発掘調査によってその姿をあらわそうとしている。西アジアから東の果ての日本列島まで、各地に「鉄」を伝えたこの道は、研究者によって「アイアンロード」と名づけられた。

番組は、ユーラシア大陸の大草原や山岳地帯など人影もまばらな辺境の地での発掘調査から、エジプトやギリシャなどメインストリームの古代文明とは異なる「未知の世界史」を浮かび上がらせていく。

 

番組を見ていて興味をそそられたのが、トルコのアナトリア地方でのヒッタイトの鉄造りだった。

アイアンロードの出発点と考えられているのが、トルコ中央に位置するアナトリア地方であり、その主役はヒッタイトの人々だ。

彼らがアナトリアの荒野に国を築いたのは紀元前17世紀のこと。ヒッタイトの人々は世界に先駆けてさまざまな鉄器の量産に成功したと考えられている。

 

砂鉄や鉄鉱石から鉄を取り出すには1200℃ぐらいにまで温度を高くしないといけない。しかもその温度を長時間保たないといけない。そのためには人工的に風を送ることが必要で、そこで用いられる道具がふいご(鞴、吹子)だ。

だが、鉄器を大量生産しようとすると、ちっぽけなふいごでは役に立たない。

自然環境を利用して、強い風が吹く場所での鉄造り、それがヒッタイトの鉄造りだったと語るのは、中近東文化センターアナトリア考古学研究所の大村幸弘所長だ。

大村所長によると、ヒッタイトの人々は強い風の力を利用して製鉄炉を高温に保ち鉄の量産に成功したのだという。

 

以下は番組で語られているわけではないが、強い風の吹く場所とはいったいどこか。

高いところにある台地、高台だったのではないか。

強い風の吹く高台で製鉄が行われたのだ。

それだけではない。古代において製鉄は、たとえ大量に造るのだとしても「神事」として行われたに違いない。古代の人々が信仰したのは太陽だった。太陽信仰においては地平線から昇る太陽を仰ぎ見ることが重要であった。

強い風の吹く場所であり、太陽が昇るのを仰ぎ見ながらの「神事としての製鉄」にふさわしい場所といえば、まわりに何もない高台だったのではないか。

 

「タタラ」という言葉がある。

日本古来の製鉄法を「タタラ製鉄」という。

アイアンロードを経て日本に鉄造りが伝わって以降、築き上げられてきた日本独特の製鉄法で、1000年以上の歴史を持っているという。タタラとはどんな意味かというと、ふいごの意味とされている。

日本書紀」には神武天皇の妃で媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずのひめのみこと)という女性が登場する。この人は出雲の神、事代主命(ことしろぬしのみこと)の姫といわれ、日本の鉄の主要な産地となる出雲と関わりがあるところが興味深いが、「蹈鞴」と書いて「たたら」と読ませ、蹈鞴とは足で踏んで風を起こすふいごのことだという。

 

しかし、別の説もあって、タタラの「タタ」は日本語の「高(たか)」と同源の言葉であるという。そうすると、タタラとは高い場所を意味しているのではないか。

また、国語学者大野晋氏は、「タタとはタツ(立)という動詞の古い名詞形である」として次のように述べている。

タツ(立)とは、見えなかった太陽とか月とかが地平線から現われる意であり、また、風などの自然現象が活動を始める意である。太陽・月などののぼることが即ちタタであり、タタの転がタテである」(「古語雑考」より)

すなわち、タタラとは太陽が地平線から昇るのをのぞめる場所、風が吹く場所を意味し、そこで行われる製鉄をタタラとも呼んだのではないだろうか。

 

タタラについては「タタラ=タイラ(平ら)」ではないかとも考えていて、「タイラと太陽」との関わりについても関心があるが、番組を見て、いろんな興味が湧いたのだった。

歴史っておもしろい。